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政略結婚のススメ  作者: プラスティック
仮面夫婦の潜入捜査
19/76

夜も更け、辺りが暗くなってきた頃。唐突に部屋のドアがノックされた。

ギルバートが隣の部屋でこれから偵察に出かける準備をしていたので、カリナ自身が応対に出る。

「マチルダ・ルインギット夫人、夕食の準備が整いましたので、1階の食堂までいらしてくださいませ。」

慇懃そうにこの家の家令と思われる壮年の男性が告げた。

「ご苦労様。すぐに行かせていただくわ。」

そう返事すると、男はさっさとそこから離れていった。

カリナは小間使いの部屋でしゃがみこんでなにやら触っているギルバートに向かって

入り口の柱にもたれかかりながら言い放った。

「ギルバート、準備が整い次第行ってきて。

多分、私はあの跡継ぎのお坊ちゃまに2時間くらい拘束されるだろうからそのあいだに。

ここの家は部屋数が多い割に使用人は家令を除いて3,4人しか雇ってないそうだから

十分見つかる心配はないわ。警護も外回りが厳しいだけで中は案外入りやすいみたいだし。」

話しかけている間も黙々とギルバートは作業している。

カリナは相手にされないことにもいらだってつい憎まれ口を叩いてしまう。

「・・・もしかしたらあのお坊ちゃま、食事の後はあわよくば

部屋に連れ込もうとでも思ってるかもしれないけれど、私は行って来るわよ。」

挑発的に言ってしまったからか、瞬時にギルバートはカリナのほうを振り向いた。

手に持っているものがチラリと見えて、カリナは

『鍵をこじあけるための、細工した針金ね・・・』

と冷静に考えていた。

「姫。何かされないようにするんですよ。あなたはか弱いんです。

そしてここはお互いしか味方がいない。自分のみは極力自分で守るしかないんです。」

「わかってるわよ。」

「あなたはわかってない。

あの男の評判は限りなく悪い。特に醜聞が酷すぎる。そういう男の元にあなたは独りで行くんですよ?

ああいう典型的な女好きな男は、女性に対しては猛獣にもなれるものなんです。」

しごく真剣にギルバートは告げた。

まるで既にカリナが被害に遭っているかのような口ぶりとさえ思える。

その例えがあんまりおかしくて、カリナはついつい笑ってしまう。

「ふっ・・・じゃあ、昔、女遊びに興じてたあなたもそうだったりするの?」

どうぞ突いてくださいといわんばかりの自分の脛を傷つけるような、

前もってわかっていただろうという台詞だったはずなのに、

ギルバートがぎくりと固まっている。言葉が出ないように見えた。

カリナは一本口で負かした喜びで、華やかに微笑みながら

「せいぜい、あなたの不安の種にならない程度に振舞いますわ、我が従者様。」

と、軽やかに冗談を言って背を向けて出て行こうとしたのだが。

不意に後ろから腕を引かれて、呆気なく身体のバランスが崩れた。

ただでさえ、左足が不自由なのに

(特に今回は変装に強烈な印象を与えないために杖を極力使わないようにしていた)

いきなり腕を引っ張られたら倒れこむに決まっている。

「な、なにするのよ・・・!」

カリナはそのまま床にしりもちをつくかと思ったのだが、特に転ぶようなこともなく

何かにしっかりと肩口を支えられて上手くこけずにすんでいた。

そしてその肩口が当っている部分というのは・・・

「ギルバート・・・?」

見上げると顔を覗き込まれていた。チョコレートのような茶の瞳がどこか曇っている。

カリナは目を奪われて一瞬息をするのを忘れた。

軍人らしく鍛え上げられた強靭な胸板に支えられながら我に返ったカリナは自力で体勢を整えようとするが

今度はがっしりと腰を捕まえられて無理矢理ギルバートの正面に向きなおされる形で立たされた。

じいっと、顔を覗き込まれる。

カリナはいくらいろんな要人と相対し、お互いの腹を探り合うような経験を何度もしてきたとはいえ

真正面から心の奥底を覗き込もうとするかのような正攻法には慣れていなかった。

「な・・・なにするの・・・?」

心臓が早鐘のように鼓動を刻んでいる。カリナは追い詰められている獲物の心理になっていた。

じっと静かにカリナのほうを見つめていたギルバートは、

一刻ぐらいはありそうな沈黙―実際は十数秒ほどだったけれど―を脱して口を開いた。

「・・・姫。くれぐれも、一人で何でもやろうと思わないで下さい。

なにかあれば、必ず、助けを呼んでください。わかりましたね?」

真摯な態度で投げかけてくるものの、はっきりとした紋きり口調に、

揺ぎ無い強烈な視線、がっしりと手に加わった力が伴って

カリナに有無を言わせないぐらいの迫力を感じさせた。

「・・・え、えぇ・・・わかったわ。」

カリナは喉に言葉がつっかかりそうなぐらいの緊張を感じながらも頷いた。

途端ギルバートはカリナの腰から手を離した。

瞬間カリナは筋肉が弛緩するかのような脱力感を覚えてふうっと息をついた。

一方ギルバートはくるりとカリナに背を向けて再び何やら作業をし始めた。

筋肉ががっちりついた幅のある男性的な背中がカリナにはひどく印象的に映った。

ギルバートはくぐもるようなぐらいの声でそのままの姿勢で言い放った。

「お時間ですから行ってきて下さい。俺は姫が出て行かれてからここを出ます。」

「・・・そうね。私はこれから行って来るわ。あなたも気をつけて。」

そのままカリナはドレスの裾を巧妙に捌きつつ部屋のドアを開けて足早に出て行った。

廊下の足音も聞こえなくなった頃。

ギルバートは天井に顔をあお向けて大きく溜息をついた。

「はぁーっ・・・・」

手を額に置く。さっきまでの緊張で、目の前が歪むようにくらくらしていた。

ただ、眩暈を覚えたのは緊迫感だけではないことをギルバートは自分でよく知っていた。

『よくあそこで姫を行かせたよな・・・』

ギルバートにとって、あの腕を引き止めるように引いたのは決して、理性的な反応ではなかった。

無意識の行動だった。

ほんの少しだけでも相対したあのニーゼット公の御曹司は

同性であるギルバートの目から見ても全くカリナに相応しいとは思えない奴だった。

貴族的志向そのままを具現化したような男で、

公爵という身分に依存してこの年まで生きてきたといっても全く過言ではない振る舞いの数々だった。

そんな人間が、貴族社会に疑いの目を向けながら生きている

カリナとは水と油といってもいいぐらいに違いがありすぎる。

しかし、男という生き物は悲しいぐらいに女性に目がない。ことに、美しい人に対しては。

カリナはまさにそれに当てはまる。

本人が望んでいなくても、回りを囲おうとしているものは多数いる。

その中に、決して理知的ではない男が混じっていても全く不思議ではないのだ。

そしてそういう人間だからこそ、カリナには思いつきもしない方法で

カリナを意に沿うように無理矢理手に入れようと考えるのである。

ギルバートはそれが怖かった。自分もまたカリナに受け入れられているわけでもないのに。

けれども、なんとしても、カリナを行かせたくなかった。

しかし頭の中の理性的な部分ではここでカリナに口出しをしたら

彼女の気分を害して、任務にも支障をきたすかもしれないと考えていた。

だから、ギルバートは黙って見送るつもりだった。

なのに、思わず手が出た。

これが意味する所は・・・――

『俺も・・・相当なところまで来てる、っていうことなのか・・・?』

自分までもが御曹司のように、欲望に忠実にならないよう

どうにか理性的でありますようにとギルバートは願わずにはいられなかった。


「美しい。その黒いドレスといい、赤いコサージュといい・・・

なにもかもがあなたをより一層美しく照り映えさせている。

そんな中でも、ルインギット夫人、

あなたは神話ミュトスに出てくる女神のように神が作り上げた創造物としか思えない!」

あまり個性的とはいえない、使い古された褒め言葉だったがカリナは一応社交辞令程度の笑みを浮かべて

「お褒めに預かりまして光栄ですわ、ドロレス・ニーゼット子爵。」

と答えるにとどめた。

あちこちが蝋燭の火で灯された公爵邸の食堂は思わず簡単の息を漏らしてしまうほどに広かった。

ぽっかり空洞が空いたのかと思われるほど高い天井には色とりどりの宗教画が描かれており

その下には大きな金色のシャンデリアがぶら下がっている。

食卓も呆れるほどに長く、今日は二人だけしか使わないというのに、

皺ひとつなく伸ばされた純白のテーブルクロスが端までを多い尽くしている。

カリナは子爵に片手をゆだねてエスコートされながら食堂に入って席に着いた。

杖なしで長い距離を歩くのは最近では殆どできたためしがないので、

早々に座らせてくれたのはカリナにとっては有り難かった。

「いきなりの申し出で夫人には大変迷惑をかけたかもしれませんが・・・

こうして出ていらして本当にありがたい。

いつも私一人でこのだだっぴろい食堂で食事を取っているものだから味気なくてね。

あなたがいらしていると聞いてついお誘いしてしまったのですよ。」

「あら、そうでしたの。こんな未亡人のお相手をしてくださるだなんて・・・

もっとお若い方のほうがよろしかったでしょう?」

「いえいえ、とんでもない。あなたほど美しい方には滅多にお目にかかった覚えがありませんよ。

あなたとこうしてお話できる事自体

私にはまるで神が用意してくださった奇跡のように思えるのですよ。」

本当のところ、ジェイド王子とカリナが二人で抜かりなく進めてきた計画の

今のところ唯一の穴とも言うべきなのがこの御曹司との接触だった。

それでもこの御曹司との接触は棚から牡丹餅ともいえることだったので

カリナはむしろ追い詰める一手が増えてありがたく思っているほどだった。

水面下でカリナが策謀をめぐらしている中、壁際までやってきていた給仕係によって

卓上にあったグラスに血のように赤いワインがトクトクと注がれた。

「これは20年ものなんですよ。私の生誕の時に父が記念に、と醸造させたものなんです。

今回初めて開けるんですよ。」

「まあ、私のためにそんな記念のものを開けてくださるなんて・・・

ご家族の方と御飲みになるべきじゃありませんこと?」

カリナはあくまで、飲みたくないという意思表示はさせずに相手のことを気遣っておく。

相手の心象をこちらへ傾かせるのは重要な懐柔の手段である。

案の定御曹司は満面の笑みを浮かべながら、ワインの入ったグラスを乾杯するような形で持ち上げた。

「いいのですよ、美貌の方。このまたとない出会いを記念するのに相応しい。

もう私も家族家族と言っていられる年齢ではありませんからね。

むしろ、自分が築くものに、自分のできるかぎりのことを尽くしていきたい。」

本気で口説こうとしているかのような真剣な表情だった。

もしかしたら、初心な女性とかはコロリと騙されるのかもしれないが、

全く恋愛ごとに首をつっこむ気がないカリナにはあまりに嘘臭く感じられた。

しかし、嘘をついているのはカリナも同じである。

「子爵の御年なら家族とのご関係もそろそろ考え直すものですものね。ご立派ですわ。」

カリナもまた満面の笑みを浮かべて乾杯に応じた。

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