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途中宿泊や休憩を重ねつつも、1週間ほどで首都から南西に位置する
『洋国』でも指折りの大都市でああるニーゼット公爵領ヒースランドにたどり着いた。
首都ほどではないが下水道が整備され側溝に蓋がされているおかげで悪臭も殆ど漂っていない。
道路整備もきちんと行われており、水はけのよい、非常に衛生面からいっても指折りの意識の高さがうかがえる。
気候が比較的国内でも温暖な地域で、そばに標高の高い山が控えていることもあり、酪農や果樹園を営む農家が多い。
商工業は農業に比べるとやや遅れがちではあるが、
鉱山がそばにあることから製鉄技術はおそらく国内トップを誇る。
カリナはただのド田舎といっても過言ではない自らの故郷との差異に驚く。
「公爵領ってたいがいどこもすごいって聞いてたけど、ここは格別かもしれないわね。」
一旦馬車を停めて窓から街中を通る大路から街の風景を眺めてカリナは感嘆の息を吐いた。
「俺もいろいろなところを見回ってきましたが
ニーゼットほど衛生環境面が充実している地方都市はないと思います。」
御者台からギルバートが答えた。
情報部として多くの地域を訪れ様々なことを見聞していたギルバートでさえそう言うのだから
よほどのことなのだろうとカリナは思った。
煉瓦造りの町屋が並び、商いを営む声が聞こえてくる。
活気づいているところを見ても経済的に安定している様子がうかがえる。カリナは一度町に降りるのもいいかもしれないと思った。
再び馬車が走りだす。
町の中心を外れて、立ち並ぶ家が民家ばかりになってきた頃、
その城は突如目前に現れた。外敵の侵入をかたくなに拒むかのように堅牢に築かれた外壁は、
思っていた以上に高く見るものに威圧感を与えている。
周りの外堀も深く、主の用心深さをそのまま反映しているかのようだ。
釣り橋がかかっており、そのまま馬車は前に進む。
途中門番に身分を聞かれギルバートがそれに淀みなく答えたおかげでするりと中に入れた。
庭は外からの無機質さとは正反対の、植物に溢れた温かみのある場所だった。
首都よりも早く春が訪れているためか、種種の花々が綻んでおり思わずカリナは窓を開けた。
ぷんと、風に乗って香りが運ばれてくる。
『・・・どうか、何事も上手くいきますように・・・』
そんな切なる願いが叶わぬかもしれないということも同時に、カリナには十分すぎるほどわかりきっていた・・・
景勝地を有する貴族の屋敷は大概開放的である。
一般に開放するということは確かにあまりないことなのだが、他の貴族達に対しては観光目的で屋敷を開放して宿を提供する。
そして訪れた貴族達はお金を落としていったり、縁故が築けたり、またそれを社交界の一時の話の種として使ったりと付随する効果が期待できるのだ。
首都に滞在する事が多い貴族達は、与えられた所領に持っている屋敷を空ける事が多い。
大抵は貴族達本人が家に滞在している時を狙っていくのがより良いのだが首都に滞在する事が多い貴族達は、
与えられた所領に持っている屋敷を空ける事が多い。
別に当人達がいなくても、屋敷は多くの使用人が管理しているし、当人達がいる場合には面倒くさく彼らの接待
―相手側からしたらお世話をするということになるのだが―に付き合う必要性が出てくる。
それを省いても可とされるので、カリナはそれを利用してここに来たのである。
ニーゼット領の景勝地はノートニアと呼ばれる、面積はたいしたことがないが
周りの山々の窪地に出来上がった湖で、春の晴れ渡った空の下に映る湖面の透明度が、
ほかものよりもずっと勝っているといわれるほどである。
景勝地以外にも、ニーゼット公所有の美術作品を一同に集めた部屋が城の中にあり、それらの見学も可能になっている。
ゆえに他の貴族達の所領に比べて見所は多いほうだといわれている。それに乗じる形でカリナは調査にやってきていた。
カリナは到着と同時に使用人によって2階の客室に案内された。
そこは、隣に使用人用の部屋も付けられた、かなり広めの部屋だった。
暖色基調の室内は置かれている調度品や家具はどれも一目見ただけで高級そうで、贅沢な暮らしをしているのだなと思わせられる。
案内してきた使用人が出て行った瞬間、カリナはトランクケース運びをしていた
ギルバートのほうに向かって言い放った。
「何度も言うけれど、あなたは私の使用人のフリをすればいいだけ。
人の目がないところではそれらしく振舞う必要はないのよ?」
「わかってます。でも、あなたは足が不自由だ。それなのにほかに使用人を連れて来ていない。
だから、あなたができない範囲のことは是非俺にやらしてください。」
そう、真摯に言った。カリナはなんだかむすっとして言い返した。
「あなたに身の回りのことで頼む必要が出てくることなんてないわ。
助けてもらうのは調査のことぐらいよ。気負いしないで頂戴ね。」
「わかってます。あなたがそういう人だということぐらい。」
くすっとした余裕のある微笑とともに返されてカリナはカっと頬が赤くなる感じた。
「わかってるならそれでいいわ。もう、好きにして頂戴。」
手持ち無沙汰になって窓際に寄って行ってそっぽを向いていると、
トランクから中身を出し、クローゼットに掛け直したギルバートがすっと近付いてくる気配がした。
いじけてツンとした声をだしてしまっていた。
「何?」
「・・・それで、調査の内容を教えてください。
勿論、何の目的でするかは言わなくてもいいですよ。あなたの気分を害するようなことはしたくない。」
無駄に気遣わしげで優しげなギルバートについほだされて、甘えた事を口にしそうになったが
カリナはそれを内心に留めて冷静に振り返って答えた。
「単純といえば単純、でも、その反面とても難しいかもしれないことなのだけど・・・
ニーゼット公爵の愛人についての噂を聞き出して欲しいのと、
あなたの情報部にいた頃に培った技術を今も使えるなら・・・探して欲しいものがあるの。」
そういってカリナがゆっくりとした歩みで自ら肌身離さず持ってきた鞄の中から、一枚の紙切れを出した。
その紙には黒檀で描かれた、あっと息を呑むほどの鋭い視線を見た者にくれる、
猫っ毛で色素の薄そうな髪質の青年の絵だった。
勿論、ギルバートにとっては見たことない者だった。
「この男に関連するもの全てを探して欲しいの。盗んでくれとはいってないわよ。何があったかを報告してくれるだけでいいわ。
首都の別邸には置けないものだもの・・・こっちにはきっとどこかにあるはず。」
「・・・この男は、ニーゼット公ゆかりの人物なのですか?」
その質問はまさに核心を突いた質問だった。
カリナは、それ以上の質問を拒ませるかのように、彼女に全く似つかわしくない、皮肉げな笑みで唇をゆがめた。
「ゆかりもなにも、この男、
ニーゼット公の、息子よ。」
カリナは
「ちょっと着替えてくるから。あ、手伝わなくてもいいからね!」
といって隣の衣装部屋に服を持って入っていってしまった。
その間、本当に手持ち無沙汰になったギルバートは、ジェイドから貰った『旅のしおり』を嫌々ながら見ることにした。
確かに『旅のしおり』には、表紙からして、いらんことがいっぱい書いてあり
・カリナと新婚旅行を楽しむ4つのコツ!
・ニーゼット領でオススメのデートスポット
・俺的夜のムード盛り上げの秘術
など、どこの情報誌なんだというぐらいの無駄情報てんこ盛り具合だったが、
ほんの数ページではあったが、きちんとニーゼット公爵家の内情について記してあった。
当代ニーゼット公爵は46歳で、現在世襲制によって外務大臣を担当している。
正妻は1歳年下で、25年前に政略結婚。
公が大臣という職務についているために、二人は1年の殆どを首都で過ごしている。
そんな二人はこれまでに5人の子どもに恵まれた。
うち一人は生まれてまもなく夭折しており、現在子どもは4人である。
跡取りと目されている長男は21歳で、公爵家の長男らしく縁談が舞い込んでいるらしいが
今の所婚約がまとまったという話は聞かない。
長女は23歳で既に5年前に他公爵家の跡取りと結婚している。
その次に次女がおり、15歳だが彼女は生まれた頃から身体が弱く、領内の保養地で療養を続けている。
そして二人の間に最後に生まれたのが次男であり、現在12歳。
年齢で考えると、既に青年の域に達していると思われるこの絵の人物が、この次男であるとは考えにくかった。
では、さきほどの絵は長男なのか・・・と、考えててみると、
どうして別邸に跡目を継ぐはずの長男ゆかりの物が置けないのかという疑問が生まれる。
次々と疑問がギルバートのなかで泡の様に生まれては弾けていたまさにそのとき、突然部屋のドアがノックされた。
どうせ使用人だろうと気軽にギルバートは応対に出たのだが・・・
ドアの前に現れた若い男の身なりは、非常に洗練されていて、一目見て使用人とは全く相反する身分のものだと判断できた。
「・・・君は、彼女の使用人かい?
男の使用人を彼女は平気で部屋にまで連れ込んでいるんだね・・・ますます、興味をそそられるよ。」
「失礼ですが・・・どちら様でしょうか?奥様はあいにく席を外しておられます。
伝言ならお伝えいたしますが・・・」
女性に対して侮辱ともとれるような発言をいきなりこの男は発した。
ギルバートはかちんときたので彼の言質を無理やり、遮って言うことは言っておく。
それに気を害したのかそうでないのか分からなかったが、男は皮肉ともとれそうな柔和な笑顔をたたえた。
「マチルダ・ルインギット夫人、今宵の晩餐会にお招きする、と。
本当のところは、招待状を送るべきだったのだろうけれど急な誘いだから
こちらから直接伺いを立てたほうがいいだろうと思ってね。できれば話をしたかったものだけれど・・・」
自分の事情をペラペラと喋るだけで、ギルバートは肝心な事を相手が言っていない事に苛ついた。
権力を笠に着てのうのうとしている者達は、往々にして自分の都合が最優先である。
おそらくこの人物もそういった人種なのだろうという事はギルバートには想像に難くなかった。
そんなギルバートの内心を知ってか知らずか、更に苛つきを助長するかのような
満足げな笑みを浮かべて、その男はようやく一番最初に言うべきセリフを口にした。
「テレーバー・ドロレス・ニーゼット。よろしくルインギット夫人には伝えてくれ。」
「・・・畏まりました。」
ギルバートが深く一礼すると、そのまま男は去っていった。
何故、社交シーズンであるにもかかわらず男が首都におらずこちらの領内に帰っているのかということや
そして本来なら接待する必要はないはずの一回の貴族の端くれ、という設定になっている
女にわざわざ自ら会いに来るのか・・・という疑問がギルバートのなかで同時多発的に生まれる。
しかしそれよりも、
針金のように真っ直ぐな焦げ茶の髪や、眦がやや下がり気味な目、そして
何より、あの絵のかもし出していた身を切るような鋭さとは、全く別種の気質の持ち主のように思えた。
そして名前は、さきほどの『しおり』に載っていた長男のもので間違いない。
つまりは・・・
『姫が探して欲しいと言ったニーゼット公の息子は・・・
正妻との子ではない、ということなのか・・・?』