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「殿下、お願いしたい事があるのですが・・・」
「ん?何かなハイライド大臣。」
毎朝恒例の定例会議。出席する大臣というのはその日の会議によって違うのだが
ただ共通しているのは毎回王族の者が一人必ず出席する。
この頃は女王が自らの名代としてジェイド第二王子を遣わすようになっているためか
殆ど毎日、彼が出席している。
カリナはその日査察部の監査報告のために出席した会議の終了直後
足早に去っていくジェイドを捉まえて彼の執務室にまでついてきた。
ジェイドは自身の大きな執務机においてある椅子に腰掛けて頬杖をついてカリナを見据えた。
カリナは一息ついて厳かに言った。
「・・・わたしを、ニーゼット領に派遣していただきたく思います。」
「・・・ニーゼットに、君自ら?」
「はい。」
おかしなことを言っているとカリナ自身もわかっていた。
ニーゼット領はニーゼット公爵が保有する国内有数の大都市を含む領地である。
ニーゼット公爵は王宮に出仕していて彼もまたカリナと同じく大臣職に就いている。
査察を入れるなら、ニーゼット公が現在居住している首都の別宅に
直属の部下を貼り付ければそれで済む。
それをわざわざ公爵領にまで行く必要があるのかというのはカリナも思っていた。
けれど、事態は一刻を争うものだった。
「君は査察部として行くつもりなのか?
ならば君の部下を派遣して、君は首都にとどまればいいのではないか?」
至極もっともな意見である。しかしカリナは譲れなかった。
「確かにそうするのが一番いいでしょう。
でも今回だけは、私の目で確かめさせて欲しいのです。」
「・・・君の、母上絡みか?」
その一言がすんなりとジェイドの口から滑り降りてきた。
改めて確認させられた事実に、カリナは殆ど吐息のような声音で答えた。
「はい・・・わたしの母の、査察です・・・」
「ギルバート、ちょっと来てくれ。」
ちょいちょい、とジェイドに手招きされて今まで机で作業していたギルバートは
手を止めて自らの雇い主を見た。
「今行きます、殿下。」
そういいながらギルバートは自らに与えられた席を離れてジェイドに近付いていく。
このだだっ広い執務室を個人専用で与えられているギルバートの主・ジェイドは
この国で王子という、大変庶民にはお目にも掛かれない非常に高い身分の人間だった。
そしてその身分に見合うかのような、美貌を誇り、頭も相当に切れるとの噂である。
しかし、実際の所ギルバートには性根が修復不可能なぐらいにひん曲がった
見た目は天使、中身は悪魔としか見えなかった。
その美貌の王子は朝陽を背に浴びて、まるで後光の差した神とも見まがうような体で
ニッコリと微笑んみながら、ギルバートの痛いところを寸分の狂いも無く突いてきた。
「君、奥さんに最近会った?」
「・・・・・・それは、殿下の方がよく御存知でしょう・・・?」
ギルバートは不敬と捉えかねても仕方の無いような低い底から出すような声で答えた。
ジェイドはそんな態度を臣下にとられているにも関わらず意に介した風も無く喋り出した。
「ん?まあ一応本人に聞くだけ聞いてみただけだよ。
その様子だとやっぱりあれ以来彼女とあってないようだねえ。
さすが別居夫婦というだけあるねえ。そこだけは上手い事仮面を被ってるなんて
本当鈍感というか天然というほうがいいのか・・・」
「・・・殿下、本題を仰ってください。」
因みに『あれ』、とは2週間ほど前にギルバートがこのジェイド王子によって
超法規的とも言える辞令を出された事に怒り心頭になったカリナが
殴り込みをかけてやってきたことである。
そして、その時カリナはジェイドと二人きりになっているときに何かをされたようだが
ジェイドは何をしたかについて未だに口を割らない。
ギルバートは一応上司でしかも不敬罪を一言となえれば
即刻ギルバートなど牢獄行きにすることも可能なジェイド王子に歯向かう力は無い。
だからといってカリナに聞き出そうとも、別居している上、
毎日大臣職についているがために忙しい彼女と会う時間は取れるわけも無かった。
それを見越した上の質問である。
ジェイド王子の底意地の悪さにギルバートはそっと溜息をつくしかなかった。
「本題っていってもねえ、ちょーっと彼女関連で色々あったっぽいから
君も何か聞き及んでないかなと聞いてみただけだよ。」
「・・・彼女関連って、姫に何かあったんですか!?」
身を乗り出して詰め寄ろうとするギルバートを見て、ジェイドはほくそ笑んだ。
「君、そんなにすぐにカリナのことでカッカしてちゃすぐバレるよ
君が、あの天下のハイライド侯爵と結婚してるってこと。」
「うっ・・・」
「第一、君はカリナと仮面夫婦でいるのを持ちかけたって言うけど
あんまり意味がないと思わないのかい?
そうやってカリナのことを姫とか読んでる時点で、最早君のカリナに対する気持ちは駄々漏れだ。」
ギルバートは痛いところを突かれて二の句が告げなかった。
苦い表情で固まっているギルバートを見て、ジェイドはくすっと
普段の裏のあるような笑顔ではなく、天使の微笑と揶揄される笑みを浮かべた。
「まあそういうところが君達らしいよ。
それに見ててこっちも楽しませてもらっているもんだからね。ははは。」
「・・・・・・で~ん~か~・・・?何をお楽しみになっておられるのですか?」
突然、獣の唸り声のように低い何者かの声が執務室に響いた。
ギルバートの眼前でスクッとジェイドが立ち上がった。
微かに身体が震えているところから、明らかにそれに対しておびえた風体である。
「ア、アンか・・・?嫌だなあ、どうして君はいつもそんな怖いんだ・・・?」
「それは殿下がいつも人様に御迷惑をおかけしまくっているからでしょう・・・?」
「アン、この状況の何処が迷惑をかけているというんだ?
単に部下と他愛の無い談笑をしていただけだろう?」
「・・・殿下、今、何時か御存知ですか?」
アンはようやくジェイドのすぐ傍までやって来た。
見た目は10代の女の子らしく、瑞々しい美しさに満ちているが
表情は悪鬼とも見まがう不機嫌さだった。そして、相変わらず声は地の底よりも低い。
ジェイドはそれから逃れるようにスススとギルバートの傍にひっついた。
「えっと・・・11時、ぐらいか?もうすぐお昼だなあ。
ア、アンはそろそろ昼の用意をした方がいいんじゃないか?アハハハ」
「アハハハハハじゃあありませんっ、殿下!!
今日いくつ懇談があったか御存知ですか?
それなのにそれらを放っておいて、ギルバートさんと談笑ですか?
何をほざいてんですかその口は!?」
アンリエッタは不敬罪ととられても弁解の余地の無い悪態を吐いた。
けれども完全にアンリエッタにおびえてギルバートにしがみついているジェイドに
そんなことをする余裕はなさそうに見えた。
「わたしは、朝お見送りしたはずですよ、本宮のあなた様の執務室に!
今日は外務大臣に総務大臣に、そして宰相閣下との御約束があると再三申し上げました!
それなのにいつの間にこちらにお戻りになっていたのですか!?
あちらの秘書官の方たちがあなたをお探しについさっきここまで来られました。
あなたの実のお父上で在らせられる宰相閣下との御懇談がまだお済でなかったと
仰っていて、非常にお困りでしたよ!?」
宰相という言葉を聞いてアンリエッタの剣幕におびえていたジェイドは
途端真面目な顔つきに戻った。
「・・・はあ、父上だったら大変だな・・・んじゃアン、ギルバートにあの事を伝えておいてくれ。」
「あの事、ですか?ギルバートさんで宜しいのですか?」
「・・・いや、ギルバートこそが適任だ。」
「そうで御座いますか。ではお伝え申し上げておきます。
・・・殿下、それはそうとちゃんと寄り道しないで本宮まで行ってくださいね!?
外でずっとお待ちになっていた付きの者もちゃんと傍にお付けになってくださいね!」
「はいはいわかってるわかってる。」
そういい加減な返事をアンリエッタにしてフラフラと背を向けてジェイドは執務室を出て行った。
ギルバートには相変わらずジェイドとそのメイド・アンリエッタのやり取りの唐突さに
ぽかんとするしかなかった。
アンリエッタは嵐の去った部屋でようやくいつものアンリエッタらしい表情を取り戻して
すぐにギルバートに定規で測ったような90度ぐらいの角度で頭を下げて謝ってきた。
「ギルバートさん、申し訳御座いません。
毎度の事はといえ、人がいる前でわたしったら・・・」
「いや、いいんです。あなたが王子殿下の手綱をしっかり握ってるお陰で
国政は成り立っているといっても過言ではないんですから。」
「いえ、そんな大層な事ではないですわ・・・」
とアンリエッタは謙遜する。
確かに、手綱の取り方は破天荒にも過ぎるとは思うが、ギルバートの目から見ても
ジェイドがアンリエッタに心底依存している事はわかりきっていた。
この二人の行く末こそがギルバートにとったら荊の道のように見えてならないが
それも当人達の意志次第である。
ギルバートが考えていると、アンリエッタはそうだ、と思い出したように
勝手にジェイドの執務用の机の引き出しから書類を取り出した。
王子から書類の整理まで許されているメイドがいるとはそうそういるものでない。
ギルバートはアンリエッタとジェイドの関係の密を更に目の当たりにされて驚いていたが
それに全く気付かないようでアンリエッタはその書類をペラペラ見ながら話し出した。
「えっと、それでさっき殿下が仰ってたことを私が変わりにお伝えしますね。
つい先日、ハイライド大臣が殿下に頼まれた事があるんですが・・・
殿下はその頼まれごとを、ギルバートさんに請け負っていただきたいと仰ってます。
あの・・・引き受けていただけます?」
唐突にアンリエッタの口からカリナの名前が知らされてギルバートは自然と緊張した。
ギルバートとカリナの婚姻実態を知っているのはこの王宮で軍部の上司でも数えるほど、
後は王家の人間のように、カリナのような家柄に近しいものぐらいである。
アンリエッタも当然知らないはずである。ただ、アンリエッタはジェイド付のメイドだ。
いつジェイドが知らせるかはわかったものではない。
それにビクビクしているギルバートに相変わらず気付いていないアンリエッタは続けた。
「っていっても、どんなお仕事かわかりませんわよね。でも
わたしも詳しくは存じ上げてないんです・・・
ただ、ちらとわたしが聞きかじった分だと、
どうやらハイライド大臣がどこかに御用事で行かれるようで、
その時の護衛、のような形で誰かに頼んでいただけないかという旨のことを
殿下に仰っていらっしゃいました。」
「大臣の、護衛、ですか・・・」
「ええ。それでこの書類というか殿下のメモというにもお粗末な落書きなんですが・・・」
といって差し出したのは先ほどアンリエッタが引き出しから取り出した書類である。
どんなものだろうとギルバートが覗き込むと・・・・
『カリナ、人欲しい。
ギルバートでいい←アンリエッタこれ言う。
費用、公費で賄うとのこと。二人の初めての旅行じゃないのか?』
・・・・・意味不明な羅列ではあるが見逃せない言葉があった。
『二人の初めての旅行じゃないのか?』
明らかに、二人の関係を知るものでないと書けない文言である。
尚且つ、この文言を見たものには勘がよければ関係を読み取らせる事も出来る。
ギルバートはアンリエッタもまさか気付いたのかと怖れるが
アンリエッタは少し眉を顰めていった。
「申し訳ありませんわ、殿下ったらいつもメモは
御自分がわかればいいとかいう不親切な取り方しかしない人なんで・・・
あと、ご自分の考えも適当に並べて書く御方だから
私達のように殿下の思考に考えが及ばない者からすると訳が分からないんですよね。」
と、どうやらジェイドの考えが意味不明だからということで処理されたようだ。
しかしギルバートは初めてジェイドの意志がこの時はっきりと汲み取れた。
『もしかしてもしかしなくてもこのジェイド王子は
俺達に新婚旅行をさせたいわけか――――!?』
ギルバートとカリナは5年前の結婚以来一度も、一夜を共に過ごした覚えは無い。
別居のお陰で会うのは最近でも1ヶ月に1度か2度、
新婚当初は特にギルバートが情報部に所属して全国各地を転々としていた影響もあるが
半年会わないこともザラだった。
そんな二人がまず旅行をするという機会はなかった。
政略結婚をしたのだから、婚前にだってそういう機会は無かった。
つまり、そんな状況をかいつまんで知っているジェイドが考えている事とは、
結婚して5年経っても未だ新婚旅行すらできていない二人に
旅行をさせてあげようという意図、のようだ・・・
しかし、ギルバートにはこれによって困る事が一つあった。
「でも、この文意から見ても、ハイライド大臣は誰か人が欲しいと仰ってるだけで
俺に要請したわけじゃないんでしょう。・・・俺が行っても、大丈夫なんですか?」
もしカリナが、
『なんであなたが来たのよ!かえって!』
とでも言われたら傷つくのは他でもないギルバートである。
そして怒りの矛先は当然ジェイド王子に向かう。予想しうる以上に十分あり得る展開だ。
しかしアンリエッタは、
「でも、大臣はどなたか欲しいといったわけですから、
殿下はギルバートさんが適任ならそれでいいと思われたんじゃないのでしょうか?
こうと決まれば殿下はそう大臣にお伝えなさると思いますし
ギルバートさんは心配なさらなくても大丈夫ですわ。それに
大臣とギルバートさんってお友達ですものね。
あの横暴殿下に使われるって決まった時、大臣が乗り込んでいらっしゃったのを見てわたし
友情って何て素晴らしいものなのっ!と感動いたしましたもの。
そんな方がギルバートさんを邪険にするわけないですわっ!」
と見事な勘違いっぷりを披露してくれた。
ギルバートは超天然体質のアンリエッタを横目に
『ああ・・・このままだと姫に嫌われる可能性が更に増えたし
軍部の仕事も溜まる一方になりそうだなあ・・・』
と、嫌な事が溜まる一方の事態にひっそりと溜息を吐くしかなかった・・・




