第8章:絶望と希望の箱
パンドラの箱。
それは、ありとあらゆる災いを世界にまき散らす、決して開けてはいけない箱。
そして、俺に絶望をもたらすという意味ではこの段ボール箱も同じ。
那奈姉にだけは見つかってはいけない。
この窮地を脱しなければ俺に未来はない。
……冗談抜きに。
「その後ろの箱は何かしら……ねぇ、道明?」
「え、え、え、いや……それって、どの箱だろうねぇ?」
咲良の部屋に隠してもらっていた俺のコレクションの数々がしまいこまれた箱。
なんか妙なタイミングで見つけるから、怪しいとは思ってたんだよ。
これがフラグと言う名の爆弾だったんだ、いつか爆発するために仕組まれていた。
既に一度、俺は那奈姉に見つかっている。
二度目はないと釘を刺されている、それは彼女の優しさらしい。
だとすると、バレたらどうなる?
……想像がつかないから、めっちゃ怖いっす。
「あのー、ふたりともどうしたの?なんか雰囲気が変だよ」
状況が分からない咲良を巻き込んでしまったのは不覚。
変なことに巻き込んでごめん、咲良。
今度、バームクーヘン、ハーフサイズ(税込630円)を買ってくるから許してね。
那奈姉も何かで許してくれるものはないだろうか
『私は優しいからどんな罪もひとつだけは許してあげる。でも、2度目はないわ』
……ダメっぽいです、何も対抗策がありません。
俺には那奈姉からあの段ボール箱を守る以外、どうしようもない。
「道明、お姉ちゃんはね……とても、今、不愉快度指数が上昇中なの」
「へ、へぇ……それはなぜに?」
「聞きたい?どうしても、聞きたい?」
凍りつく空気、張り詰める雰囲気……。
怒ってます、マジで怒っておりますよ。
そして、勘のいい那奈姉のことだ。
きっと俺が必死に隠すあの箱の中身にも検討がついてるんだろう。
「うわぁ、那奈お姉ちゃんって怒ると怖いんだ……」
咲良が何だかテレビ番組の修羅場を楽しむような他人事のように呟く。
そりゃ、咲良にとっては他人事でしょうが、お兄ちゃんの心配もしてよ。
にっこりと微笑む那奈姉、その笑顔を俺は一度体験している。
那奈姉は笑顔で怒るタイプらしい。
だからこそ、余計に怖さが伝わってくる。
「おかしいと思ったのよ。道明が、あの手のモノを1冊しか持っていないはずがない。でも、部屋にはない。隠したとしたら、どこに?まさか、妹の咲良ちゃんの部屋とは想像の域を超えていた。道明、その発想はなかったわ」
「……な、何の事か分かんないなぁ。何の話だろう?」
箱の中身を見られなければいいんだ。
どんな方法を使ってでも守りきり、この場をすごせればそれですむ。
あとはどさくさにまぎれて、またどこかに隠せばいい。
ここさえ乗り切れば、那奈姉から俺への――はない、――だけは、――は……。
彼女に怯えきる俺に、那奈姉はたたみかけてくる。
「そう、しらを切るのね。わざと、そう言う事を言って誤魔化して。お姉ちゃんを騙すのね?悪い子だわ、本当に……しばらく会わない間にずいぶんとずるい子になってるのかしら。だとしたら、お姉ちゃんは残念よ。とても残念……」
もう、泣きだしたいくらいに怖いよ。
那奈姉って笑顔で人を泣かせられるよ。
「……道明。これが最後よ。最後に一度だけチャンスをあげるわ」
「チャンス?」
「己の罪を認めて、自己申告しなさい。そうすれば、許してあげる。初犯扱いにしてあげるわ。私も大事な婚約者をこんなことで――なんてしたくないもの。今なら、謝罪だけで許してあげる。お姉ちゃん、素直な子は好きよ」
舞い降りた奇跡。
俺に与えられた選択肢が増えた。
「ふみゅ?――って何?」
そこに突っ込むな、咲良。
お兄ちゃんの口からはとても言えない事をされると言う事だけ理解しておいてくれ。
「さぁ、どうする?道明。後ろの箱を素直に引き渡すか、罪を認めず抵抗するか。貴方に選べるのはふたつにひとつよ」
どうすればいい?
そんなのは……ひとつしかない。
「那奈姉、さっきから何を言ってるか。俺、全然分かんないや」
俺はあえて、第3の選択肢『この場を乗り切り、うやむやにする』を選んだ。
その選択肢にすべてをかける。
全力だ、男のプライドやら、俺の未来や全てを賭けてみた。
那奈姉の自己申告ってのは魅力的に思える。
だが、今の那奈姉が果たしてそんなに甘いだろうか?
否、甘くない……彼女は、絶対に何か俺に処罰を与える、間違いなく。
どうすればいい、この選択はかなり難しいぞ。
「そう。まだ誤魔化すのね。……ホントに許してあげようと思ったのに」
タイムアウト。
頬を膨らませて拗ねる彼女。
あれ……実は何も裏がなくて、許してくれるつもりだった?
「いいわ、道明がそういうつもりなら、私も本気だから」
くっ、もうすでに手遅れか。
また選択肢をミスった、この手の選択肢の良い選び方を誰か教えてくれ。
「ドキドキ、生の修羅場なんて少女漫画みたいで面白いねぇ」
「咲良、この状況をひとりだけ楽しまないで!?」
「よそ見していていいのかな、道明」
那奈姉がジリジリとこちらに迫る。
これが最後の防衛戦、行かせるわけにはいかない。
「那奈姉、どうしてもここから先に行きたいと言うのなら」
「言うのなら?」
「俺の屍を越えて……やっぱり、冗談!?ま、待って、那奈姉。話し合おう」
こちらに向ける殺気が半端なくて、俺はへたり込みそうになる。
「裏切られて悲しい。お姉ちゃんの悲しみが分かる?」
「……分かりません」
「本気でその身に分からせてあげようかしら」
那奈姉、今度、遊園地でお化け屋敷のホラー担当のアルバイトをしたらいいと思うよ。
誰もが逃げ出す怖さ、まさにホラー向きです。
「どきなさい。何もないと言うのならどけるはずよね?」
那奈姉が俺の横を通りすぎて、箱に手を伸ばす。
――させるかぁ!?
だが、俺がそれを身体で阻止する。
思わず手を伸ばした結果……。
「きゃっ」
思わぬ恰好で那奈姉に抱きついてしまう。
肌が密着して、互いの体温すらも聞こえそうな距離。
これだけ近い距離は初めてだ。
女の子ってこんなに身体が柔らかいのか。
それに何だかとてもいい香水の匂いもするし、咲良を抱きしめるのよりもちょっと違う。
これが大人の魅力、大人の雰囲気!?
……いや、今はそれを堪能している場合ではない。
「どうしても、邪魔をするのね」
那奈姉は一呼吸して、俺にまっすぐな視線を向ける。
そう、今の俺たちは至近距離――やられる!?
「……ちゅっ」
予想外の攻撃、それは触れる唇。
人生2度目のキスは突然に。
「……んぅっ……ぁっ……」
那奈姉が俺にしてきたのはキスだった。
前回よりも長いキス、これが本物のキスの余韻か。
「き、キス~っ。きゃっ。リアルでキスしてるよ、ふたりとも!?」
咲良、お願いだから今だけは大人しくしておいてください。
年頃の女の子だから、こういうシチュが好きなのは分かるけどね。
「んっ……」
ようやく唇を離した彼女。
俺は呆けていることしかできなかった。
き、キスって、もっと雰囲気を重視して、いや、気持ちよかったけどさ。
那奈姉もキスをするのなら、キスすると言ってほしい……心の持ちようってものが……。
「……はい、ゲームオーバー」
「ハッ!?しまった!?」
気付いた時には既に時遅し。
キスをおとりにした、那奈姉の作戦に見事にハマってしまった。
俺の横をすり抜けた那奈姉は俺の後ろにある箱に手をかけていた。
「道明、お姉ちゃんは悪い子は許さない。私に逆らった事、後悔させてあげるから」
チェックメイト。
那奈姉の完全勝利、俺の人生オワタ\(^o^)/。
「……あ、あぁ……だ、ダメだぁあ……!」
震える声と共に手を伸ばすが、那奈姉の方が早かった。
あっけなく開かれた、パンドラの箱(段ボール)。
俺限定であらゆる災害が降り注ぐ、禁断の箱を那奈姉は開いてしまった。
「咲良ちゃん、この箱の中身を知ってるの?」
「お兄ちゃんから預かったの。自慢のコレクションだって聞いてるよ」
「へぇ、そうなの。中身は何かしら……?」
なんと、咲良も巻き込まれたくないと最後の最後に裏切った。
絶体絶命の大ピンチ、もう俺に逃げ場ない。
はははっ、どうしよう、ホントに、どうなるんだろう?
乾いた笑いしか出てこない、その夜……俺は那奈姉に敗北した――。