序章:我が家に姉がやってきた
誰にでもいる、子供の頃の初恋相手。
『それじゃ、道明君。約束しようか?』
例えば、好きな女の子がいたとして――。
『何年かたって私と会えたら、お姉ちゃんがまた遊んであげる』
その相手と再会できるとしたら誰だって嬉しいはず。
俺にも初恋の相手はいた。
年上で、優しくて可憐な俺にとって姉のような存在。
彼女の事が好きで、でも、彼女は俺の前からいなくなってしまって。
そんな初恋の思い出を忘れかけていた。
彼女との別れから6年、俺たちは再会することになる。
中学卒業後、春休みに入ってしばらくたった3月下旬。
俺の名前は望月道明(もちづき みちあき)。
4月から入学式を迎えて、高校生になる。
そんな時、母さんから思わぬ話を聞かされた。
「姉ちゃんがここに帰ってくる?」
「えぇ、大学に合格したのよ。大学がこちらだから、うちに来ないかって話になったの。一応、4年間、下宿という形で来ることになってるわ。懐かしいわよね、那奈ちゃん」
「へぇ、那奈姉ちゃんが来るのか。本当に久しぶりだな」
彼女が帰ってくる、それだけでも俺にとっては期待があふれる。
俺の初恋の女の子、望月那奈(もちづき なな)。
年が3つ離れた従姉で今年は大学生になるらしい。
元々はこの家の近くに住んでいたのだが、おじさんの仕事の都合で九州に行ってしまったのが今から6年前の事だった。
疎遠気味になっていた憧れの従姉との再会を待ち望む。
「部屋はどの部屋を?」
「そうね、道明の隣の部屋でいいんじゃない。倉庫扱いの部屋があるでしょう」
「あぁ、あの部屋か。掃除すればいいのか?」
「えぇ。明後日には来るから、それまでに整理をしておいてね」
母さんから部屋の掃除を押し付けられたが、今の俺はそんなことは気にしない。
すぐに掃除道具を片手に部屋の掃除を始めていた。
掃除と言っても、段ボール箱を別の空き部屋に押し込むだけ。
「お兄ちゃん、聞いた?」
掃除中の部屋に、ぴょこっと顔をのぞかせた女の子。
俺の妹、望月咲良(もちづき さくら)。
赤色のシュシュで髪を結んでいる可愛らしい女の子。
可愛らしく優しい、自慢の妹である。
今年で中学2年になるが、この俺に懐いてくれる良い妹なのだ。
「聞いたぞ、従姉の那奈姉のことだろ?」
「うん。久しぶりだよね。もう何年、あっていないんだろ。さすがに九州は遠いもん」
「そういや、咲良は6年前って言ったら7歳か。小学1年生の頃の記憶なんてあるのか?覚えてる?」
「ちゃんと覚えてるよ。那奈お姉ちゃん、ずっと会いたかったんだ。よく遊んでくれたお姉さんだから」
彼女もよく那奈姉に遊んでもらっていたからな。
姉に対する憧れは俺と同じというわけか。
「大学生で一人暮らしをするくらいなら、うちに来たらいいってパパが勧めたみたい」
「マジか。父さん、グッジョブ!」
「楽しみだよね。ここがお姉ちゃんの部屋になるの?」
「そう。ただいま、掃除中だ。綺麗にして迎えたいからな」
咲良は「私もお手伝いするね」と言って掃除機を使い、掃除を始める。
細かいことは妹に任せて、俺は段ボール箱の移動に専念することにした。
作業開始から1時間後、部屋は見事に綺麗になった。
これなら、姉ちゃんも快適に過ごせるだろう。
「これくらいだね。綺麗になった♪」
「よしっ。次は俺の部屋だ」
「ふにゅ?どうして、お兄ちゃんの部屋の掃除?」
「掃除ではないが、咲良に頼みたいことがあるのだ」
俺は咲良を自室に招くと、部屋のあちらこちらから、ごそごそと“ある物”を段ボール箱に詰めていく。
全国の健全なる10代男子諸君の部屋にある“アレ”な雑誌、写真集、DVDやらである(無駄に数が多い)。
不思議そうな顔をしてその作業を見つめる妹、今はこちらを見ないでほしい。
俺は最後の確認を終えて、その箱を閉じて、妹に託すことにした。
「咲良にお願いがある。しばらくの間、この箱を預かっておいてくれ」
「お兄ちゃん……この箱の中身はなぁに?」
「男の秘密だ。トップシークレットで危険なものだ。18歳未満の子供は決して箱はあけてはいけません」
「もしかして、エッチな本とか?それを実妹に預けるのってどうかと思うよ」
妹に呆れられてしまい、俺は冷や汗をかく。
咲良も中学生になり、小学生の頃と違い、そこまで素直ではないらしい。
ええい、兄として、妹に頼むことではないとは分かっているのだが、やむにやまれない事情があるのだよ。
「……ち、違うんだ。これは、その……くっ、良い言い訳が思いつかない。頼むよ、この箱を何も言わずに咲良の部屋で預かっておいてくれ。あの那奈姉に見つかるなど失態をおこすわけにはいかないのだ」
「はぁ……お兄ちゃんは今でも、お姉ちゃんラブですか」
「那奈姉ラブだから、咲良にあえて恥を忍んでお願いしてる」
この危機を回避できるのなら、妹に頭を下げろというのならば、下げてもいい。
兄としてのプライドよりも守るべきものが時に男の子にはあるのだ。
那奈姉は穏やかな女の子なので、別に責めやしないだろう。
だが、同居中の不意なアクシデントで好きな人に自分の趣向が見つかるのは屈辱でしかない。
ならばこそ、彼女が来る前に危険な種は処理するに限る。
「分かった。その代り、今度出かけたらお菓子でも買ってきて。それで預かってあげる」
「おおっ。さすが俺の可愛い妹、咲良。ありがとう、ありがとう!」
俺は彼女を頭を撫でるとくすぐったそうに笑う。
これで兄としてはダメだが、男としては大切な何かを守れそうだ。
「……で、ホントに今でも好きなの?」
「多分、好きだぞ。俺は今、好きな人は誰かと問われたら、那奈姉だと思う」
初めて彼女に恋をして以来、俺は那奈姉以外の子を好きになっていない。
「そっか。そんなお兄ちゃんに応援の意味を込めて、この言葉を贈るよ」
咲良は満面の笑みを浮かべて言うんだ。
「――初恋は二度目があるから初恋って言うんだよ」
「――再会前から俺の失恋決定ッ!?」
ガーン、俺はまだ告白もしていないのに。
「大体、那奈お姉ちゃんも高校卒業して大学生でしょ?彼氏の一人や二人、いるに決まってるってば。お姉ちゃんは美人だったからね。初恋どころか、5度目の恋とかじゃないの。お兄ちゃん、“夢”っていうのは寝てる時にだけ見られるんだよ?」
「やめて、男の夢を壊す発言はやめて!?」
くっ、咲良め……これが今時の現役女子中学生か。
俺の夢を危うく木っ端みじんに壊されるところだった。
それにしても、那奈姉はどんな女の子になっているんだろうか。
その夜、俺は那奈姉の夢を見た。
夢の中の那奈姉はいつも笑みをたやさない。
『道明君、気をつけなきゃダメよ?』
穏やかで優しい、可憐と言う言葉がよく似合う女の子。
『はい、絆創膏。怪我、痛い?大丈夫?』
俺が走って転んだらやんわりと注意しながら傷の手当てをしてくれる。
『今度からはゆっくりと歩いて怪我をしないように。ね?』
俺は彼女の笑顔が好きだった。
今も……鮮明に思い出せる、那奈姉の笑顔。
俺には姉がいないので本当の姉のように思い、慕ってきた。
彼女が九州に行ってしまった時はすごくショックだったっけ。
あれから年賀状くらいでしか、やり取りもなく、実際に会う機会もなかった。
それなのに、我が家で4年間も一緒に暮らすことになる。
これを素晴らしいと言わず、何と言うのか。
俺は期待に胸を高鳴らせていたのだった。
そして、2日後、ついに那奈姉ちゃんが我が家にやってきた。
玄関の方で母さんと話している声が聞こえる。
リビングにいた俺と咲良は急いで玄関へと向かう。
玄関先にいたのは1人の女性。
久々で、俺は思わず声を上ずらせてしまう。
「那奈……姉ちゃん……」
ほぼ6年ぶりの再会、那奈姉は美人へと成長をしていた。
「え?……もしかして、道明君?久しぶりだね。カッコよく成長してるじゃない」
姉ちゃんはあの頃と変わらない……と勝手に思っていた。
彼女が俺に笑顔で、次の言葉を言うまでは――。
「――ねぇ、道明君。約束通り、お姉ちゃんの“モノ”になる準備、ちゃんとしてた?」
思わぬ想定外の発言に固まる俺。
そこには優しかった頃の面影はなく、悪戯めいた挑発的な微笑みを浮かべている。
那奈姉ちゃんとの6年という時を経ての再会。
時間の流れの変化というものを思い知ることになる――。




