災会
長雨が続いた。おかげで河川が危険水位に達した。濁流が隆々と流れていく。
避難指示も出ている。今にも決壊しそうだというのに、わざわざ様子を見に来る野次馬が後を絶たない。しかめ面のオジサン、どこか楽し気ですらあるオバサン、自転車で駆けこんできた腕白小僧はパシャパシャ写真を撮り始めた。彼らはどれほどの危険に晒されているかまったく分かっていないのだ。
私もまた野次馬の一人である。いや、自分の意志ではない。本社からの指示で止む無くだ。
その日は日曜日で、事務所には私と外勤の二人、計三人が出勤していた。当然この事務所も避難指示の地域に含まれている。しかし業務は平常通り行い、二時間ごとに状況を報せよ、と指示が出た。おかげで何度も橋を行き来するハメになったわけだ。私は川の氾濫に巻き込まれるかもしれない。場合によっては退社するように、とも。それはいつなのか?氾濫してからでは遅いというのに。災害というのはいつも、起きた後で「ああすればよかった」、「こうすべきだった」と議論される。犠牲者が出た後で。私も犠牲になってしまうのか?どこかノンビリ気分で、今にも溢れそうな川面を眺めながら、橋の上を行ったり来たりしたものだ。
渡った先にショッピングセンターがあって、昼にそこで弁当を買った。
店内はいつもより人が多いくらい。特に子供の姿が目立つ、夏休みだ。全く不思議だ。災害はすぐそこに迫っているというのに。何も起こりはしないと高を括っているのか、平静を装っているつもりか。この場合どう振る舞うのが正解なのだろう。血相を変えて避難所に駆け込むべきである、外野はいつもそう言う。現実は逆で、駆け込む人々は圧倒的少数である。それは結局何も起こらない、と考えている人々が圧倒的多数であるのと呼応するだろう。
ピロリロリン!ピロリロリン!私のスマホはもちろん、買い物客たちのスマホが一斉に鳴る。緊急災害アラームが。まるでオーケストラの演奏のよう。不安のシンフォニー。おっ!おお!観客たちが不安げな声をあげる。それは、避難地域が拡大したことを告げるものだった・・・
「〇〇君!」駐車場で呼び止める声がする。振り返ると、見覚えのある顔、Aがそこに居た。あまりにも当時の顔と同じで驚いたくらいだ。彼は古い知り合いで十年ほど前に県外へ転勤した。「調子どうだい」、「三人で飲みに行きたいな!あの頃みたいにな!」、それだけ言うとサッサと自分の車に乗り込んだ。「いいね、連絡してみる」そう言うと、二ッと白い歯を見せて彼の車が走り出す。何だか覚えのあるシチュエーションだった。何日か前に三人目の人物Bからメールが来たばかりだったのだ。我々三人には不思議な縁があるらしい。
マイカーに乗り込む。チラと後方をみる。ルームミラーに映った自分、ここ何十年か殆ど変わっていない顔。「年齢不詳だよね」私もまた若く見られる。それは四十を超えた者にとってどういう意味を持つのか。恐らく「良い意味」ではない。私がAの顔をみて、当時のままなのを「悪い意味」で驚いたように。
Bとも十年ほど会ってない。数年に一度メールをやりとりするくらいの付き合い。その夜。Aに偶然会った、三人で飲みたいようだ、その旨メールすると「休みが合えばいいよ」と、意外な返事が来た。十年も昔なので記憶が曖昧だが、BはAを良く思っていない印象があったから。私は動き出した。Bは乗り気だったと、まずはAにメールをした。
二日経ってもAからの返信は無い。電話すると女の声。「Aさんですか」、「え、違います」、「ああ、すいません・・・」Aは電話番号を変えたらしい。同時に、もうAと連絡を取る術がない事に気づいた。あの時と同じだ。何もかも思い出したぞ。
「あの時」とはAの転勤が決まった時の事。我々三人はAの送別会を催した。が、Aは予定より早く引っ越してしまい、連絡もつかなくなった。Aはそういう人間である、といってしまえばそれまでだ。AとBの仲がギクシャクしていたことに原因があったかもしれない。「二人でやるか」とBに持ちかけたが返事は無かった、それから十年の年月が経った。
「あの時」と同じく、Aと連絡がつかない、再びBに二人でやろうかと持ちかけたが、やはり返事は無い。とうとうAともBとも連絡がつかなくなってしまった。どうも、我々三人は縁があるようで無い。
避難指示が出てから三日目。河川はいつもの水位を取り戻し、橋の上を人々が行き交う。増水の跡は橋脚の泥の汚れぐらいだ。やはり、結局は、災害が起こることは無かった。喜ぶべきことではないか。
警戒すべきは「十年ぶりの再会」の方だった。我々三人は再び同じ流れに乗ったように見えたが、そのまま散り散りに流されていったのだ。可笑しな縁もあったものだと、泥で汚れたコンクリートブロックを眺めながらそう思った。それも近いうち、キレイサッパリ無くなるだろう。




