『魔法少女・身代わりプロトコル:祈りの法的根拠』
空が重く垂れこめ、絶え間なく冷たい雨が降り続く街。この街の平和は、少女たちの「自己犠牲」という名の歪な法によって守られていた。
祈里雫は、この街で最も愛されている魔法少女だった。銀色の髪をなびかせ、白と銀を基調とした聖歌隊のようなドレスを纏う彼女の名は、ノーブル・レクイエム。彼女に与えられた魔法は、他人の負傷や不幸、病の苦痛を、文字通り自分の体へと「転写」する能力だった。
交通事故で潰れた足、末期癌の灼熱、愛する者を失った絶望。雫がステッキを振るえば、それらはすべて瞬時に消え去る。人々は彼女を聖女と崇め、感謝の言葉を投げかける。けれど、それらの痛みは消えたわけではない。ただ、雫という「器」の中に、冷たく粘り気のあるドロドロとした黒い澱となって蓄積されていくだけなのだ。
雫がこの過酷な役割を全うできるのは、魔法少女の契約に含まれる「遅延報酬」という名の麻薬のおかげだった。変身している間、雫の神経は魔力の防壁によって完全に麻痺し、どんな致命傷も無機質な記号としてしか認識できない。しかし、変身を解いたその瞬間に、その日肩代わりしたすべての激痛が、一秒間に圧縮されて脳に叩き込まれる。
「雫ちゃん、今日もありがとう。私、本当に雫ちゃんがいなきゃ生きていけないよ」
一番の親友であり、同じ魔法少女である陽菜が、眩しい笑顔で雫の手を握る。その瞬間、陽菜が抱えていた「不幸の予約」が、雫の指先から腕へとずるりと流れ込んだ。陽菜の能力は、自分の幸運を分け与えるという名目の裏で、自分の不運を他人に押し付けるものだった。
雫の袖口からは、洗っても落ちないインクをぶちまけたような「黒いシミ」が、肘のあたりまで這い上がっていた。それが、器の限界が近いことを告げる聖痕だ。けれど、雫は微笑み続ける。誰かのために痛みを受け入れることこそが、自分の存在意義だと信じていたからだ。
ある日、魔法少女の管理委員である澪から、冷徹な宣告が下される。雫の「汚染度」が規定値を超えた。もはや浄化不可能な産業廃棄物として、最終処理、すなわち廃棄炉への投棄が決定したのだ。
絶望に震える雫の肩を抱いたのは、陽菜だった。
「大丈夫、雫ちゃん。システムの最深部に、汚染を完全に洗い流せる場所があるの。私がそこへ連れて行ってあげる」
陽菜に導かれ、辿り着いたのは巨大な歯車と血管のようなケーブルが蠢く、地下深層の機械室だった。雫が中央の祭壇に横たわると、冷たい金属の拘束具が彼女の手足を固定した。
「……ねえ、雫ちゃん」
陽菜の声から、一切の温度が消えた。彼女は制御パネルを操作しながら、蔑むような瞳で雫を見下ろした。
「あんた、自分が今どんなに気味悪い顔をしてるか知ってる? 痛みを吸い取っている時、あんたの顔、すっごく歪んでて吐き気がするの。自分だけが悲劇のヒロインを気取って、私たちの幸運を吸い込んで……。あんたはもう親友じゃない。処理しきれない不幸を溜め込んだ、ただの生きたゴミ箱なのよ」
陽菜の指が、非情にスイッチを押し下げた。
パリン、と美しい硝子が砕けるような音と共に、雫を保護していた魔法の防壁が消滅した。変身の解除。その瞬間、雫の全身を、数万回分の交通事故、数千人分の末期症状、数えきれないほどの呪詛が一気に貫いた。
「あああああああああああああああ!!!!」
喉が裂けるような絶叫が、地下空間に響き渡った。肉体はあらゆる方向から引き千切られ、神経は沸騰した鉛を流し込まれたように焼き切れる。あまりの苦痛に脳が焼き切れ、思考はズタズタに崩壊した。
しかし。その地獄の極点に達した瞬間、雫の中で「何か」が弾けた。
絶望的な激痛が、脳の報酬系のバグによって、至上の快楽へと反転したのだ。
痛い、痛い、痛い。だから、なんて気持ちがいいんだろう。
のたうち回り、血を吐きながら、雫の唇は恍惚とした笑みに歪んだ。この痛みこそが愛なのだ。この苦しみこそが、私が世界と繋がっている証なのだ。
「あは、あはははは! ありがとう、陽菜ちゃん……もっと、もっと私に流し込んで!」
狂った雫の姿に、陽菜は顔を土色に変えて絶叫した。
「ヒッ、化け物……! 落ちなさいよ、そのまま暗闇に!」
床が抜け、雫の体は「廃棄炉」という名の墓場へと落下していった。そこには、過去に使い捨てられた魔法少女たちの死骸が、ヘドロのような怨念となって溜まっていた。雫の「聖痕」が、その泥を飢えた獣のように貪り始める。雫という意識は、数千人の呪いと融合し、巨大な「災厄のシステム」へと再構築された。
廃棄炉の底から這い上がってきたのは、もはや人間ではなかった。
黒いオイルのようなドレスを纏い、背中からは数万本の「痛みの針」を生やした姿。かつての清楚な面影はなく、立っているだけで周囲の空間が絶望で歪む、災厄の化身「カラミティ・レクイエム」。
雫は、まず「法の番人」を自称していた澪を蹂躙した。そして陽菜。
彼女を殺すことは、雫にとって何の満足ももたらさなかった。雫は陽菜をタワーの頂上に縛り付け、自分へと痛みを流し込むための「フィルター」へと作り替えた。陽菜が自らの神経を焼きながら痛みを捧げるたび、雫は聖母のような表情で彼女を撫でる。
「かわいそうな陽菜ちゃん。でも大丈夫、あなたの痛みは私が全部愛してあげる。……ほら、街のみんなも喜んでいるわ」
雫の心には、一片の曇りもなかった。彼女は自分が構築した新しい「法」を、究極の救済だと信じ込んでいた。それは、街の全住民が毎日決まった時間に、魔法少女と同等の激痛を強制的に共有させられる「平等な地獄」だった。
誰も一人で苦しまなくていい。みんなで痛みを分け合い、私がそれを快楽として受け止める。これこそが、完成された幸福の形なのだ。
人々が苦痛にのたうち回る悲鳴を聞きながら、雫は自分が世界を救っているという確信に、熱い涙を流した。
物語の最後、街の片隅で、絶望に打ちひしがれた一人の少女がビルの屋上のフェンスに手をかけていた。
そこへ、インクをぶちまけたような黒い霧の中から、一人の魔法少女が舞い降りる。かつての「ノーブル・レクイエム」の姿を模した、瞳に光のない空虚な人形。
「苦しい? 寂しいの? ……いいよ、私に全部ちょうだい。あなたを一人にはしないわ」
その慈愛に満ちた声に、少女は救いを見出し、震える手で雫の指先を握った。
その瞬間、少女の体に激痛の電流が走り、彼女は新しい地獄の部品として組み込まれた。
少女の感謝の涙を見て、雫はタワーの上で陶酔したような微笑みを浮かべる。
救済という名の永久拘禁。
狂った聖女の「純粋な善意」によって、この街の地獄は、永遠に完成された。




