第4話:親友の登場と、姉さんの痛すぎる婚約者宣言。~僕の平和な学園生活、初日で詰みました~
八神学園生徒会室。
そこはもはや学び舎の一部ではなく、悪趣味なホストクラブか高級キャバレーの店内といった趣だった。
豪華な革張りのソファに、クリスタルのように輝くガラステーブル。床にはふかふかのレッドカーペットが敷かれ、窓は深紅の遮光カーテンで閉ざされている。
部屋の隅にはホームバーまで設えられ、午前中の校内だというのに、ホスト崩れのような――どう見ても二十歳を過ぎた男たちが、下品な笑い声を上げながら酒を煽っていた。
その中心で、生徒会長・蝶野銀子が、金髪の髪を怒りで逆立てていた。
「ほぉ……。私を猿呼ばわりしたあのクソチビを病院送りにするはずが、その姉だという『変な女』一人に、うちの連中が十人も返り討ちにされた、と?」
銀子は怒りのままに、朝から嗜んでいた高級ワインのグラスを床へ叩きつけた。
高価な絨毯が赤黒く染まる中、彼女の前に立たされていたのは、鼻に巨大な絆創膏を貼った佐藤妙子だ。その顔色は、一昔前の宇宙人でも真っ青になるほどに、青ざめて引き攣っていた。
「も、申し訳ございません! 言い訳になってしまいますが、あの女、絶対に格闘技の経験者です。それも、並の腕じゃありません……! なにしろ、中学で柔道重量級の県ベスト四だった私の彼を、一瞬で秒殺したんですから……っ!」
「お黙りなさい!」
バチィィン! と、強力な平手打ちが妙子の頬を弾いた。
「いい? 私の言葉は絶対なのよ。あんたたちは、私の命令なら全身の骨を折り尽くしてでも完遂しなければならないの。それを、たかが元からペチャンコな鼻を潰されたくらいで、すごすご逃げ帰るような無能に用はないわ。あんたは今この瞬間をもって『蝶野会』を破門よ。二度とそのツラを私に見せないで!」
「か、かしこまりました。会長、今まで……あ、ありがとうございました! 二度とこの不細工なツラ、お見せいたしません。し、失礼いたしますっ!」
妙子は深々と頭を下げ、逃げるように生徒会室を後にした。
(よ、良かった……! これで除名だ! あんな化け物とまた戦わされるくらいなら、破門される方が百万倍マシだよ……!)
扉の向こうで、妙子が心底ホッとした表情を浮かべたのを、銀子は知る由もなかった。
佐藤が這うようにして去った後、銀子の冷酷な視線は、部屋の隅で膝を震わせている少女へと向けられた。
「さて……お待たせしたわね、如月佳奈さん。あなたの『お支払い』の話をしましょうか」
佳奈は、かつて名家として知られた如月家の令嬢だ。だが、父親の事業失敗により家運は傾き、今は名ばかりの没落貴族。唯一の希望は、彼女を変わらず愛し続けてくれている許婚との結婚だけだった。
「お、お金は……必ず返します。だから、その動画だけは……っ!」
「あら、あのホストクラブのシャンパン代、利息込みでいくらだと思っているの? 没落した今の如月家に、そんな大金払えるはずないじゃない」
銀子は、手元のスマホを佳奈の目の前に突きつけた。
画面には、蝶野会の連中に無理やり酒を煽られ、涙に濡れた顔で醜態を晒す佳奈の姿が映し出されている。
「この動画が彼の手元に届いたら……如月家との縁談は破談。お父様も、ショックでどうにかなっちゃうかもしれないわねぇ?」
「や、やめて……それだけは。あの人は、何も関係ない……!」
「関係あるわよ。私を振ってまで選んだ女が、この程度の『汚物』だったなんて。彼には真実を教えてあげなきゃ♥」
銀子は、絶望に顔を歪める佳奈の顎をクイと持ち上げた。
「嫌なら、今日から蛇沼君の『お友達』が経営している店で働いてもらうわ。完済するまで、一歩も外には出さないけれどね」
すべての始まりは、あるパーティーで銀子が一目惚れした男――佳奈の婚約者だった。
銀子は傲慢にも彼にアプローチを掛けたが、「僕には大切な婚約者がいます」とはっきり拒絶されてしまう。プライドをズタズタにされた彼女の恋心は、瞬時に黒い怨念へと変貌した。
(そんなにその女が大切なら……泥に塗れさせて、一生消えない傷を刻んであげるわ)
銀子は、婚約者の想い人が同じ学園の生徒であることを知ると、狡猾に動き出した。親切な先輩を装って佳奈に近づき、「社会勉強」とうそぶいて蛇沼会の息がかかった悪質なホストクラブへ連れ込んだのだ。
「ノンアルコールだから大丈夫よ」と無理やり飲酒させ、佳奈が泥酔するとそのまま店に放置。翌日、佳奈の元には多額の飲食代の請求が届いた。
「どういうことですか、会長……っ!」
詰め寄る佳奈に、銀子は涼しい顔で編集済みの動画を突きつけた。そこには、佳奈が自ら「もう一杯! お金なら私が払うから!」と叫んでいるかのような、都合の良い場面だけが繋ぎ合わされていた。
一介の高校生に過ぎない佳奈には、その「証拠」を覆す術などなかったのである。
「もうすぐ授業が始まりますから、教室へお帰りなさい。放課後には『お迎え』が参りますから。……逃げようなんて、無駄なことは考えないことね」
もはや絶望しか残されていないと知りながらも、真面目に育てられた佳奈は、ふらふらとした足取りで教室へと戻っていく。
その後ろ姿を満足げに眺める銀子の背後から、一人の男がニヤつきながら近づいた。
「放課後なんてまどろっこしいことしてねえで、さっさと拉致っちまおうぜ。あの子なら高く売れるぜ?」
酒臭い息を吐きながら銀子の肩を抱こうとしたのは、県内最大の反社組織・蛇沼会の跡取り息子、蛇沼厚だ。銀子はそれを冷たくかわし、軽蔑の視線を送った。
「馬鹿ね。学園内で失踪なんて騒ぎになれば、警察が介入するわ。父の権力でも、すべての警官を黙らせることはできないのよ。放課後、学園の外での失踪なら『知らぬ存ぜぬ』で押し通せるわ。少しは頭を使いなさい」
「ひゅう、怖え怖え。恋敵を貶めるためなら何でもするたぁな。あんな青瓢簞のどこがいいんだか。どうだい、あんな男忘れて俺と……」
再び伸びてきた蛇沼の手を、銀子は鋭い平手打ちで叩き落とした。
「気安く触らないで。私とあんたは、ビジネスだけの関係のはずよ」
「ハッ、つれねえね」
一年一組の教室内。入学してから頭の痛いことだらけの高校生活だけど、今日は一段と酷い。
なんといっても、登校前から姉さんの無双に付き合わされ、救急車を呼ぶ羽目になったのだから。
出どころは分かっているが、姉さんがこのクラスに編入してくる噂で、教室内は朝からザワザワと騒がしい。
僕が大きくため息をついた瞬間、後ろからガシッと首に腕が回された。
「HEY、純! 朝から溜息なんて、どうかしたのかい? せっかく愛しの姉さんが同じクラスになるんだろ? もっとHAPPYな顔しろよ!」
馴れ馴れしく絡んできたのは、一応親友の天堂真だ。
見た目はチャラいがなかなかのイケメン。自称(?)帰国子女で、怪しげなルー語風の英語を操るクラスの中心人物だ。
口から生まれたような男、という表現がぴったりの奴で、誰彼構わず話しかける。いわゆるクラスカーストの上位にいるが、それを鼻にかけない気さくな性格のおかげで、男女を問わず友達が多い。そして何より、とんでもない情報通だ。
もっとも、口が軽すぎるのが難点で、僕がリンチ紛いの目に遭ったことを姉さんにリークしたのもコイツだし、姉さんの編入を広めたのもコイツに決まっている。
「真、なんで姉さんのことペラペラ喋るんだよ。おかげで予習する時間がなくなったじゃないか!」
「WHY? 隠す必要なんてないだろ? どうせホームルームでバレるんだ。もしかしてサプライズでも狙ってたのかい? ソーリー、ソーリー! そりゃ悪いことしちゃったな!」
……全く、これだから困る。
コイツと話すようになったきっかけは、入学式の後だった。
僕が席に座るなり、後ろからいきなり抱きついてきて、
『HEY、プリティーガール! 君、今流行りのジェンダーフリーってやつ? 勿体ないなぁ、こんな美少女が男装なんて!』
なんて宣い上がったのだ。
僕が男だといくら説明しても信じないから、結局トイレまで連行して、実物を見せてようやく納得させたという経緯がある。
なのに、どういうわけか僕のことを気に入ったと言い出し、毎日こうして絡んでくるようになった。中学時代の友達と離れ離れになった僕にとって、友達ができたのは嬉しいけれど……前述の通りスキンシップが激しすぎて困っている。
おまけに、クラスの一部の女子――いわゆる『薄い本』が大好きな界隈には、僕たちが『そういう関係』だと勘繰られているらしい。
本当、高校に入ってから、頭の痛いことばかりだ。
そんなちょっと困った奴だけど、コイツは本当の「漢」だ。
忘れもしない1週間前。蝶野会長に楯突いた形になった僕が、体育館裏で蝶野会総出のリンチに遭っていた時のことだ。
僕は持ち前の柔軟性と受身で致命傷を避けていたが、多勢に無勢でさすがにスタミナが切れかけていた。そこへ、空気を読まずに乱入してきたのが真だった。
「HEY、HEY! みなさ~ん! He’s my friendなんすよ、そのへんで勘弁してくれませんか?」
流石の僕も、「バカ、君には関係ないだろ、早く逃げろ!」と叫んだ。だが、真は笑って首を振った。
「つれないこと言うなよ、ブラザー! みなさ~ん、もう下校時刻はとっくに過ぎてますよ。下らないことそのへんにして、一緒にカラオケパーティーでもどうです? I’m confident in my singing(俺の歌、自信あるんすよ)!」
殺気立っている連中にそんなジョーク、火に油を注ぐだけだ。案の定、真もボコボコにされ始めた。けれど真は抵抗せず、蝶野会の連中が息切れして手を離すまで、されるがままに殴られていた。
そのまま大人しく寝ていればいいのに、あのバカはボロボロの顔でニヤリと笑った。
「OH! これがウワサのジャパニーズ・リンチね! ステイツにも『beating(殴打)』はあるけど、ジャパニーズもなかなかネ!」
まだ殴られたいのか、と凄む連中に、真は「Calm down(落ち着いて)、Look、Look」とフェンスの裏を指差した。
そこには、いつの間にか集まったスクーター集団が、スマホやビデオカメラを僕たちに向けていたのだ。
「They’re my friends。俺の危機に駆けつけてくれた、友達思いの連中なんすよ。……ねえ、あの動画。出るとこ出たら流石にヤバくないっすか?」
証拠を押さえられた蝶野会の面々は、舌打ちをしながら引き上げていった。
僕はすぐに真を問い詰めた。「最初から動画で脅せばよかっただろ!」と。すると彼は腫れた顔でこう言った。
「最初から脅したら、相手が逆上してヤケクソになるだろ? ある程度俺がボコられた後なら、あっちも『このへんが落とし所だな』ってなるのさ。俺ってTactician(戦術家)だろ?」
呆れながらも僕は聞いた。知り合ったばかりの僕のために、なぜここまでしてくれたのか。
「お前が言ったんだろ、『この学園をもっと素敵にしたい』って。『卒業式で、楽しい高校生活だったと胸を張って言いたい』って。あんな真っ直ぐな目で見られたら、俺も日本男子として力を貸さないわけにはいかないだろ!」
「……、真!」
「HEY、HEY。俺に惚れたか?」
「やっぱり本気で殴る!」
「ジョーク、ジョーク! 本当に痛いんだから勘弁してよ!」
こうして、真と親友になったのだ。
姉さんも僕に素敵な親友ができたことを喜んでくれたし、真も姉さんの美しさをインチキ英語で褒めちぎっていた。……けれど、姉さんが「将来、純君と結婚する」と宣言した瞬間、彼は「OH、マイガー……」と天を仰いでいたけれど。
そうこうしている内に、担任の先生と姉さんが入室してきた。
姉さんの噂以上の美少女ぶりに、教室内は一瞬で蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
姉さんの本性を知っている身としては、無難な自己紹介をしてくれることを祈るのみだ。……まあ、十中八九無理だろうけど。
(はぁ……。僕、十代にして円形脱毛症になる自信があるよ。今のうちからアートネイチャーの予約でも入れておこうかな。……いや、姉さんなら『マルハゲの純君もカワイイー♥』とか言って、頭をぺろぺろ舐めてきそうで余計に怖いな……)
「はい、皆さん静粛に! すでにご存知でしょうが、今日からこのクラスに編入生が入ります。鬼龍さん、どうぞ」
担任に促され、姉さんが教壇の前に立った。
モデル顔負けの美貌にクラス中が息を呑む。……だが、僕は知っている。姉さんが口を開けば、そこは戦場(あるいは失笑の渦)に変わることを。
「鬼龍麗奈です! 本当はみんなより一歳年上なんだけど、ずっと海外にいたから、特例で一年生に編入させてもらいました。よろしくね!」
ここまでは百点満点だった。爽やかな笑顔に、男子たちの目が一気にハートになる。……が、次の瞬間、姉さんの瞳が妖しく光った。
「あと、私は鬼龍純君の義姉で――『将来の婚約者』だから。純君に色目を使った女の子は、相応の覚悟をしておいてね♥」
ドッ、と教室の温度が数度下がったのが分かった。
女子たちの引きつった顔。男子たちの「あ、こいつ関わっちゃダメなやつだ」という憐れみの視線が、針のように僕に突き刺さる。
「趣味……というか特技は格闘技。喧嘩なら誰にも負けないから任せてね! 悪い子は、月に代わってお仕置きよ! ……ね、純君。今の、日本のナウいヤングっぽくて完璧だったでしょ?(ドヤ顔)」
シーン……。
静まり返る教室。窓の外を横切るカラスの鳴き声が、僕のメンタルをゴリゴリと削っていく。
(姉さん……それ、僕達の生まれる前のネタだし、そもそも学校で『婚約者』なんて宣言して、これからどういう顔をして過ごせばいいんだよ……!!)
僕が頭を抱えて机に突っ伏したのと、クラス中に「痛い子を見る目」が伝染したのは同時だった。
どうやらアートネイチャーだけじゃなく、強力な胃薬とメンタルクリニックの診察券も用意しておいたほうが良さそうだ。
こうして、僕の「詰み」が確定した学園生活が幕を開けたのであった。




