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第3話:慈悲は一秒、あとは処刑。――学園の帝国に、血の雨が降る。

 わかっちゃいたけど、結局血の雨が降ることになったか。……はぁ、まあ仕方ない。姉さんも蝶野会長も、言葉での話し合いが通用するようなタマじゃないんだ。


 「女同士の喧嘩に、男のあんたが口を出すなんて無粋なことはしないで。……もっとも、男のあんたには、謝罪のチャンスなんて最初から一秒も用意していないけれど」


 「こ、このアマ……っ! よくも俺の妙子を……! タダで済むと思うなよ、ブチ殺してやる!!」


 怒りで理性を失った巨漢が、重戦車のような勢いで姉さんへと掴みかかろうとした。


 「はっ! こんな女に執着するなんて、あんたも相当女に縁がないのね。まあ、その豚みたいに醜くぶよぶよした体じゃ、それも当然かしら? ……同情してあげるわ」

 

 姉さんは、吐き捨てるように嘲笑あざわらった。


 「文句があるならさっさとかかってきなさいよ。それとも、口先だけのフニャ○ン野郎なわけ?」


 「……お、女だからって、調子に乗ってんじゃねえぞっ!!」

 

 沸点に達した彼氏が、怒号とともに姉さんへ突っ込んだ。

 柔道だか相撲だか知らないが、その巨体から繰り出される突進は、確かに常人には脅威だったかもしれない。 

 

 けれど、姉さんにとっては「止まっている標的」を殴るより容易いことだった。

 

 ――ドォォンッ!

 

  一瞬の交錯。

 

 姉さんの拳が、目にも止まらぬ速さで彼の急所を正確に、そして過剰なまでの威力で撃ち抜く。

「グェ、ッ……!? ガハッ、グギャアァァァー……オ、オゲェェェェェェッ!!」

 喉、鼻、そして最後はみぞおちへの強烈なボディー。

 

 裏格闘技王者のスピードで叩き込まれた三連撃に、彼の巨体が「くの字」に折れ曲がった。

 

 胃の内容物が逆流し、アスファルトの上に見苦しい「ご馳走」がぶちまけられる。さっきまでの威勢はどこへやら。

 

 彼は白目を剥きながら、己の吐瀉物としゃぶつの中で無様にのたうち回っていた。


 (……姉さん、本気でキレてる!)

 

 あんなの、いくらなんでも素人にやっていい技じゃない。あれは、敵を「倒す」ための技じゃなく、文字通り「壊す」ための殺人術だ。


 まず姉さんの放った超高速のワン・ツー。それが、巨漢の喉元と鼻梁びりょうを寸分の狂いもなく捉えた。

 

 姉さんの放つ『ワン』――左のジャブは、現役のボクシング世界王者すら凌駕する神速だ。

 

 人間が視覚情報を処理し、回避運動へと変換する限界値、いわゆる『〇・二秒の壁』。姉さんの拳は、生物としての限界を遥かに超える速度で空間を削り取る。

 

 それは、トップクラスのプロが全神経を防御に集中させて、ようやく反応できるかどうかの領域。目の前の、ただ身体が大きいだけの素人が対応できるはずもなかった。

 

 ――グシャッ、という嫌な音が鼓膜を震わせる。

 喉を突かれて声を奪われ、鼻を砕かれて視界を焼かれる。

 

 男にできたのは、何が起きたのかさえ理解できぬまま、その場に棒立ちになることだけだった。

 

 しかも、姉さんのジャブはただ速いだけじゃない。

 通常、素手のジャブはスピード重視の「当てる」ための軽いパンチだ。だが、姉さんのそれは次元が違った。

 

 異常な踏み込みの速さに、世界でも数えるほどしかいない超人体質から繰り出される全身のバネが乗っている。それはボクシングのパンチというより……剣道の高段者が放つ、鋭い『突き』そのものだ。

 

 一点に全衝撃を凝縮し、相手を貫くための「槍」。

 本来なら禁じ手とされる急所――喉。そこに、竹刀を上回る威力で拳を叩き込まれたらどうなるか。

 

 答えは、目の前の無様な光景が物語っていた。

 喉の軟骨を強烈に圧迫された男は、悲鳴すら上げられず、肺に空気を送ることもできず、ただ苦悶に顔を歪めて崩れ落ちる。

 

 闇格闘技の王者が、素人相手に、一切の躊躇ちゅうちょなく急所をぶち抜く。

(……姉さん、やっぱり加減を忘れてるよ!)

 

 さらに、喉を貫いたジャブに続く、返しの右ストレート。

 

 姉さんなりに「殺さないように」と手加減はしているんだろうが、相手が悪すぎる。佐藤さんと同じく鼻梁を完璧に捉えられた衝撃で、男の鼻骨は無残にも陥没した。

 

 喉を潰され、鼻を砕かれ、酸素を求める肺がひきつけを起こす。

 地獄。そこには、ただ一方的な蹂躙じゅうりんという名の地獄が広がっていた。


 地獄のような呼吸困難にもだえる男。けれど、姉さんの「教育」はそれだけでは終わらなかった。


 「――最後はこれ。お腹いっぱいになりなさい」

 トドメに放たれた、えぐるようなボディーブロー。

 それは文字通り、胃の底からすべてを絞り出すような、鉛のように重い一撃だった。


 「オ、ゲェェェェェェェェッ!!」

 彼の巨体が「くの字」に折れ曲がり、今朝食べたであろう朝食のすべてが、無情にもアスファルトの上へとぶちまけられる。

 

……ああ、彼氏さん。なんて無惨で、無様な姿。

 そして僕は、ひっくり返った彼を見下ろしながら、ふと現実的な懸念が脳裏をよぎってしまった。

(これ……後で誰が掃除するんだろう。僕かな。やっぱり僕なのかな……)

 

朝食をアスファルトに「ご馳走」し続け、もはや人間としての尊厳すら失いかけている男。そんな惨状には一瞥いちべつもくれず、姉さんは次の獲物へとゆっくり視線を戻した。


 それまで姉さんと彼氏さんのやり取りをヘラヘラと傍観していた「蝶野会」の面々だったが、今は姉さんの実力と覇気に度肝を抜かれ、視線を逸らしながらジリジリと後ずさりしている。

 

 姉さんは、これ見よがしに深く溜息をついた。


「どいつもこいつも骨がないわね。仲間をブチのめされて、仇を討とうっていう根性もないわけ? まあ、自分より弱い相手に集団で群がることしかできない、脳なしの腰抜け共らしいっちゃらしいけど」

 

 露骨な、それでいて一人も逃さないための戦略的挑発。案の定、小悪党なりのプライドを傷つけられた彼らは、数で圧倒すれば勝機があると踏んだらしい。僕らを取り囲むように、円陣を組んで包囲した。

 

 どんな喧嘩自慢も、四方八方から同時に襲われれば捌ききれない。──けれどそれは、並の喧嘩自慢か、タイマンにしか慣れていない格闘技経験者の話だ。


 「純君、危ないから動かないで。大丈夫、こんな連中、三秒で片付けるから」

 

 次の瞬間、僕を中心に「超小型の人工竜巻」が発生した。

 

 竜巻の正体は、バレエの『シェネ』を応用した高速回転と、ボクシングのフットワークを組み合わせた独自の機動術だ。僕を背中に庇いながら、超高速の円を描くステップ。包囲していた十人の喉と鼻を、佐藤さんの彼氏と同様に鋭いワン・ツーで次々と撃ち抜いていく。

 

 仕上げは、臓腑に食い込むボディー。十人のメンバーは、文字通り朝食をすべてアスファルトにぶちまけて悶絶した。

 

 爽やかな通学路が、一瞬でバイオレンス映画の路地裏のような光景に変わる。あまりの惨状と酷い臭いに、「鼻栓を用意しておくべきだった」なんて場違いな思考が頭をよぎった。


「さて。いつまで、そこで痛がっている『フリ』を続けるつもりかしら?」

 

ようやく鼻の激痛が引き始めたらしい佐藤さんが、震えながらこちらを見上げていた。

 

姉さんが一歩、また一歩と距離を詰める。その顔は、僕に向ける聖母のような微笑みとは程遠い――地獄の底から這い上がってきた修羅そのものだった。


「お仕置きはまだ終わっていないわよ。さっさと立ちなさい。……それとも、自分では立てないくらい、もっと徹底的にボロボロにしてほしいのかしら?」

 

冷徹な処刑宣告。佐藤さんの顔が、絶望に引きつる。

 

さっきまでの鼻の骨折なんて、これから始まる「本当の地獄」に比べれば、まだマシな前菜だったと思い知らされることになるのだ。


(……姉さん、本気だ)

 

一度スイッチが入った彼女にとって、相手が女だろうが泣いていようが関係ない。教育が終わるまでは一切の容赦をしない――それが「裏格闘技の頂点」に君臨した者の流儀なのだから。

 

姉さんの静かな、けれど心臓を直に握りつぶすような恫喝。

 

それに弾かれたように、佐藤さんは狂ったような動きで起き上がった。


「も、申し訳ございませんでしたぁっ! 二度と、二度と弟さんに近づきません! だから、だから勘弁してください、この通りですぅ!」

 

潰れた鼻から鮮血を撒き散らしながら、佐藤さんは見事なまでの土下座を晒した。

 

それだけじゃない。ゴン、ゴン、と鈍い音を立てて、自らアスファルトに額を叩きつけている。

 

――本能が、理解したのだ。

 

佐藤さんは『蝶野会』の下っ端とはいえ、裏で色々ヤバい橋を渡っているという噂があった。汚い世界に片足を突っ込んでいるからこそ、嗅ぎ取ってしまったのだろう。

 

目の前にいる女は、自分たちが群れてイキっている程度の「不良」とは次元が違う。

 

一線を越えた先で、数多の死線を潜り抜けてきた「本物の怪物」だということを。


「……ねぇ。頭を下げれば、それで済むと思っているの?」

 

姉さんが冷たく微笑む。その慈悲のない笑顔こそが、この場にいる誰よりも恐ろしかった。


「あ……あ、あぁ……」

 

佐藤さんは恐怖のあまり、酸欠の金魚のように口をパクパクさせることしかできない。

 ――直後、彼女のスカートの下から、じんわりと液体が広がった。

 

クラスの女王様が、最もみっともない形で「底知れぬ恐怖」を露呈してしまったのだ。ツンとするアンモニア臭が、離れた僕のところまで漂ってくる。


(流石にこれ以上は、姉さんが『加害者』になってしまう!)


「ね、姉さん! もういいよ、そのくらいで!」

 僕はたまらず、姉さんと佐藤さんの間に割って入った。


「そろそろ行かないと編入初日から遅刻だよ。……昼休み、僕が校内案内してあげるから。デートの前に、嫌なことは忘れようよ!」

 

その言葉は、暴走する最強の猛獣に唯一効く『魔法の呪文』だった。


「……! やん! 純君からデートのお誘いなんて久しぶりっ! お姉ちゃん、もっとおめかししてくるべきだったわぁ♥」


 刹那、空気を凍らせていた殺気が霧散し、いつもの「エンジェルスマイル」が戻ってくる。姉さんは僕の腕に隙間なく抱きつき、頬を赤らめながら身悶えし始めた。


「校内は制服以外禁止だよ。ほら、行こう。佐藤さんたちも、ほら……深く反省しているみたいだし」

 

足元で絶望に濡れ、ピクピクと震えている不良たちを見下ろして僕は苦笑する。『反省』という言葉で済ませていい惨状ではないけれど、これ以上姉さんの怒りに触れさせるわけにはいかない。

 

けれど。姉さんの「教育」は、まだ底を打っていなかった。

 

姉さんは振り返り、佐藤さんの頭を掴み上げると、泥人形のように脱力した彼女の体を片腕一本で無理やり引きずり起こした。


(……天地神明に誓って、浮気なんて考えないようにしよう。僕がどうこうなる前に、相手の女の子が物理的に消滅してしまう)


「純君に免じて、今日だけはこれで勘弁してあげる。……でも、次があったら葬儀屋を予約しておきなさい。分かったわね?」

 

冷たく言い放つと同時に、姉さんは右手の指先を佐藤さんの口元へ伸ばした。

 

――メキッ。

 

生木を折るような嫌な音が響いた。

 

姉さんの指先(ピンチ力)は、もはや油圧プレス機。無造作に、けれど確実に。佐藤さんのコンプレックスである前歯を一本、根元から『もぎ取った』のだ。


「アガッ……!? ……あ、あぁぁああ……っ!!」

 

もはや言葉にならない絶叫を漏らし、白目を向いて震える佐藤さん。


「歯一本くらいでガタガタうるさいわね。もう一本抜いてあげようか? 嫌なら今すぐ黙りなさい」

 

氷のような一言で、佐藤さんは喉を鳴らしながら必死に声を押し殺した。


(……ねぇ姉さん、これ、どっちが悪役か分からなくなってきたよ!)


「あんたのボスの生徒会長に伝えなさい。この鬼龍麗奈、逃げも隠れもしないわ。矢でも鉄砲でも核ミサイルでも持ってきなさい。その代わり――あんたを必ず、血の池に沈めてあげるってね」

 

佐藤さんは恐怖のあまり、伝助人形さながらに首を縦に振り続けている。

 

こうして、僕たちの八神学園での初日は、強烈すぎる「宣戦布告」と共に幕を開けたのだった。


    オマケ


 ようやく登校……のはずだった。

 

 だが、僕の第六感が、校門近くのゴミ捨て場に異常を検知した。


 「な、……っ!? こ、これは……ハードボイルドとコメディを融合させた伝説の金字塔――『カントリーハンター』の第一巻・初版本じゃないか!? なぜ、なぜこんな聖遺物がゴミ捨て場に……っ!」

 

 姉さんの制止も聞かず、僕は吸い寄せられるようにゴミの山へと突っ込んでいた。


 「ちょっと純君! 高校生にもなってゴミ拾いなんてやめなさいっていつも言ってるでしょ! せっかくの制服が汚れちゃうわ!」


 「ゴミなんてとんでもない! 見てよ姉さん、主人公の相葉遼が外道の空手家を試合中に射殺する伝説のシーン……これ、修正が入る前の『初版』のままだよ!」

  

 「……はぁ。純君のその情熱、少しは私の方に向けてほしいわ」

 

 たった今、十数人の不良を文字通り粉砕した「破壊神」が、弟の偏った趣味に肩を落として溜息をつく。

 

 僕たちの、至極真っ当で、最高に異常な学園生活。

 

その幕開けを告げるのは勝利の凱歌ではなく、古びた紙束を愛でる僕の歓喜の叫びだった。

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