プロローグ
義理の姉が、海外の裏格闘技界から「王者」として帰ってきた。
絶世の美女で、僕を病的なまでに溺愛していて、そして――文字通りの「歩く戦略兵器」。
平穏な受験勉強ライフを望む僕の願いも虚しく、姉さんは僕をイジメていた不良たちを「男女平等」に粉砕し始める。
「純君を傷つけるゴミは、お姉ちゃんが一人残らずお掃除してあげるね♥」
姉さん、笑顔で鼻の骨を折るのやめてくれないかな!?
これは、最強すぎる義姉による、過剰防衛ぎみな学園無双ラブ(?)コメディです。
薄暗い廃倉庫の中、二十人ほどの男女がバカ騒ぎに興じていた。
未成年にもかかわらず、手には酒と煙草。中には虚ろな目で薬物に溺れる者までおり、そこはさながら現代に現れた「悪魔のサバト」そのものであった。
そこで交わされる会話は、吐き気を催すほどの悪意に満ちている。
「……でよぉ、万引きの現場を見られちまって、慌てて見張りさせてたパシリの奴と一緒にトイレに逃げ込んだんだわ。そこで『俺たち友達だよな? 友達なら助けてくれて当然だよな!』って凄んでやったら、ソイツ、泣きながら頷きやがってよ」
一人が安酒を煽りながら、卑屈な笑みを浮かべる。
「初犯だからって停学で済んだ癖に、『これで本当に友達になってくれるよね』なんて抜かしやがって。ふざけんな、お前みたいなゴミと友達になるわけねーだろ! 『余計なことチクったら殺すぞ』って腹に一発入れてやったら、高校生にもなってビービー泣いてやんの。傑作だろ!」
「ヒャヒャヒャ! 相変わらずヒデェ。お前、そのうち刺されるぜ?」
「バーカ。あんな意気地なしにそんな度胸あるわけねーだろ。それよりお前こそ、また女孕ませたんだって? 中絶二回目だろ、恨まれてんじゃねーのかよ」
「へへ、心配ねーよ。アイツの『初めて』を俺らで卒業させてやった時の動画、しっかり保管してるからな。『配信するぞ』って脅せば、いくらだって股開くんだよ」
「うわ、男ってホント残酷ー。キャハハハ!」
「ちょーウケる! アンタ本当、最低な『女の敵』だよねー! アハハハッ、サイテーすぎるぅ! キャハハハハッ!!」
「うるせぇよ。お前らだって、クラスのブサイク女をイジメて楽しんでるだろ」
一人の女子が、ガムを噛みながら鼻で笑った。
「あれはイジメじゃなくて、イ・ジ・リ。あの子、友達いないから私らが構ってやってんの。感謝してほしいくらいだわ」
「そうよ。私らは親切で言ってるの。『あんたみたいなデブスは頭でも良くなきゃ男に相手してもらえないんだから、私らの宿題やっとけよ』って、将来を思って押し付けてあげてるだけ」
「どうせ筆跡まで全部変えろとか、無茶苦茶言ってるんだろ。……あぁ、女って怖えー!」
醜悪な笑い声が倉庫内に響き渡る。
だが、その狂宴は突如として終わりを告げた。
――ドォォォォォンッ!!
轟音と共に、巨大な鉄製のドアが紙屑のように吹き飛ぶ。
土煙を切り裂いて踏み込んできたのは、一人の長身の美少女。
そして、その傍らには、女子の制服を着せれば誰もが絶世の美少女と見紛うであろう、小柄な美少年が立っていた。
「……ああ? なんだお前ら。ここはお前らガキの来るとこじゃねえんだよ。痛い目見ねえうちに、とっとと失せな」
用心棒らしき大男が、威圧するように一歩踏み出した。
だが、次の瞬間――。
「あぁん?」
姉さんがわずかに目を細め、視線を合わせた。
ただそれだけで、大男の巨体は目に見えてガタガタと震え出し、無様に尻餅をついた。
「ひ、……っ!?」
当然だ。姉さんは中学時代から師匠と共に世界中の紛争地帯を渡り歩き、敗北が死を意味する裏格闘技のリングで、並み居る猛者達を文字通り『粉砕』してきたのだ。
日本の生温い環境で、同級生相手に粋がっているだけのヤンキーとは、潜ってきた修羅場の数が違う。
大男が本能で察知したのは、目の前にいるのが「女子高生」などではなく、食物連鎖の頂点に君臨する『捕食者』だという冷酷な事実だった。
「な、なんだよ今の……。この女、目が……目が、完全に人間を殺してきた奴の目だ……!」
そして、僕の義姉――鬼龍麗奈は眉一つ動かさない。彼女は廃倉庫内を鋭く見回すと、舌を弾いて「カーン!」と高く澄んだ音を鳴らしてみせた。
一見、何の意味もない奇行。だがこれは、コウモリなどが暗闇で用いる『エコーロケーション(反響定位)』だ。
口から発した音の反響を耳で捉え、周囲の地形や標的を立体的に把握する技術。
潜水艦が放つ「ピン音」と同じ原理で、姉さんは瞬時に倉庫内のすべてをスキャンしたのだ。
音は光と違い、どんな隙間にも文字通り音速で忍び込む。
物陰に潜むネズミ一匹から、わずかに出っ張った机の縁まで。姉さんの脳内には、今や倉庫内の精密な3Dマップが完成しているはずだ。
これは伏兵や罠、逃走経路の有無を確認するための、実戦的な偵察技術。
姉さんを鍛えた師匠によれば、ゲリラのアジトは薄暗い洞窟や防空壕が多いから、カチコミ前の偵察は必須だったらしい。
(僕も踏み込む前に非常口に障害物を置くのを手伝わされたけど……こんなゲリラ戦のノウハウを持った女子高生、日本で姉さんだけだよ!)
あ、自己紹介が遅れました。僕は鬼龍純。
高校1年生なのに身長155cmしかなく、女の子に間違われるほど童顔なのがコンプレックスだ。
170cm超えの姉さんと並ぶと、義理とはいえ男として情けなくなることもある。将来は検事を目指して勉強中で、趣味は古いマンガの初版本収集……って、今はそれどころじゃない!
伏兵も罠もないことを確認した姉さんが、怒り心頭の表情で不良たちを指差した。
「あんたたちね……! 私が海外に行っている間に、可愛い純君をイジメてくれたのは! おかげで純君の中学生活は散々だったそうじゃない!」
「ね、姉さん! 何度も言うけど、イジメなんて大げさだよ!」
僕は慌てて姉さんを宥める。
僕はただ、将来の検事として、中学の頃から校内での喫煙やカツアゲ、宿題の代筆を「ダメだよ」と注意し、「成績に不満があるなら一緒に勉強しよう!」と誘っていただけなんだ。
それがなぜか「生意気だ」と反感を買って、無視や嫌がらせ、時には軽い暴力を受けただけ。
あんなの、軽いスキンシップみたいなものじゃないか!
(……まあ、同じ被害に遭っていた同級生には『お前はいいよな! その綺麗な顔だけは傷つけたくないって、犯人たちに手加減してもらえてさ!』なんて恨み
節を言われていたけど。)
閑話休題。
姉さんの怒声にポカーンとしていた不良達は、一斉に下卑た笑い声を上げた。
「ブヒャーハッハッハ、な、なんだよ!お前俺達が中学でかわいがってやった鬼龍じゃねえか!まさかお姉ちゃんとあの時の仕返しか?」
「マ、マジうける!こ、高校生にもなって、お、お姉ちゃんに泣きついて仇とってもらう、なんて!ハーハハハ!は、は、腹痛え!」
「イャーン、鬼龍君、相変わらずちっちゃくて可愛いー♥久しぶりにあたしらと遊ぼうよ!」
「なになに、あの子めちゃくちゃ可愛いんたけと♥アタシらにも紹介してよ!」
「お、俺にはあの背高い美人紹介しろよ!」
「お姉さん、怖い顔してないで、俺達と遊ぼうよ!なんなら俺と二人でいいとこ行こうよ♥」
案の定、誰も真面目に聞く気ない。激高していた姉さんが、軽く息を吐いた。
ま、まずい!姉さんは怒り心頭を通り越すと、かえって冷静になり、どんな残酷なことも平気になるターミネーターモードになってしまう!そうなったら、僕がいくら止めても無駄になる!
ごめんなさい!昔のよしみで助けてあげたいけど、地震や津波に襲われたと思って諦めて!
姉さんはおもむろに、オープンフィンガーグローブに包まれたピアニストのような手のひらで、パチーンと、廃倉庫中に響き渡る音をたて、不良達を黙らせた!
「純君とは違う中学だったやつらもいるみたいだし、一度だけ謝罪のチャンスあげるわ!
今すぐ土下座して、頭地面に擦りつけて、『もうしわけございませんでした!2度と純君には近づきません!』と誓いなさい!
純君イジメてなかったヤツは見逃してやるから、後ろの出口からさっさと出ていきなさい!
いい?チャンスは一度だけよ!あとからいくら泣き叫んでもゆるさないからね!私は女だから女でも平気で殴るからね!」
姉さんの最終通告。さすがにに不良たちの顔から余裕が消え、殺気が倉庫内を支配し始めた。
「おい姉ちゃんよ。俺たちが盛り上がってる時にいきなり突撃してきて、土下座しろだの誓えだの……ちょっと、おいたが過ぎやしねえか?」
「ああ。あんまりふざけたことぬかすと、女だろうが容赦しねえぜ!」
指の骨をボキボキと鳴らす者、鉄パイプを手に取る者。中にはクスリで理性が飛んでいるのか、バタフライナイフを曲芸のように振り回す奴まで現れた。
そんな一触即発の空気も読まず、先ほど女の子の人生を汚したことを自慢していた男が、ヘラヘラと笑いながら姉さんに近づいてきた。
「まあまあお前ら、こんな美人の冗談にいちいち腹立てるなよ。こんな飛び入りゲストなら大歓迎だ。ねぇお姉さん、名前は? 弟君と一緒に遊ぼうよ。さっきの土下座なんて、酒の席の戯れ言ってことでさぁ!」
……嗚呼、まずい。
姉さんがこの世で最も嫌いなタイプだ。
修行に出る前の姉さんは女の子に慕われ、友達が男子に虐げられたと聞けば、即座に飛んで行ってその男子をボコボコにしていた。
その姉さんの前で、よりにもよって『女性の尊厳を踏みにじる』ような……僕ですら嫌悪感しか湧かない男が距離を詰めるなんて。
――ガツッ、と。
乾いた、けれど重苦しい衝撃音が響いた。
やっぱり、それ(・・)をやるか。
姉さんのブーツの先端が、その男の急所を的確に、そして一切の加減なしに撃ち抜いた。
一瞬の出来事すぎて、何が起きたか理解できたのは、姉さんと僕、そして当事者の男だけだろう。
男は声を出す暇もなく白目を剥き、口から泡を吹いて沈黙した。
――もう二度と、彼が女性を泣かせることはできないだろう。それ(・・)が物理的に機能しなくなったのだから。
結局、血の雨が降るのか。
まあ、いい。僕だって自分にされた嫌がらせなら我慢できる。けれど、こいつらが誇らしげに語っていた悪行は、人間として決して許されるものじゃない。
姉さんがどれほど苛烈な『お仕置き』を下しても、異議を唱える権利なんて、彼らには最初から一分も残されていないんだ。
「○〇君っ! しっかりして! だ、誰か救急車呼んでよ! 急いで、このままじゃ……!」
姉さんが下した、男にとって「死より悲惨な制裁」。
それを見て、女子の一人が泣き叫びながら飛び出してきた。あんな酷い「女の敵」のような男でも、こうして心から心配する子がいるのだから不思議なものだ。
女子たちが慌ててスマホで119番しようとしているが、誰もが困惑した表情で首を傾げている。
「何してんのよ、早くしてってば!」
「へ、変なの……! 私のスマホ、買い替えたばかりの最新式なのに全然繋がらないの! 通話もLIMEも、ネットも全部圏外!」
「
わ、私のも!」「え、アンタも? おかしいよ、バッテリーはあるのに、完全にオフラインになってる……なんで、なんで!?」
パニックに陥る彼女たち。……種を明かせば、これは僕たちの仕業だ。
万が一にも外に連絡を取られ、無関係な第三者を巻き込むわけにはいかない。そう姉さんを説得した僕が、『とある筋』からJAMMER(ジャマー、日本語で電波妨害装置)を調達したのだ。
廃倉庫の入り口に設置した装置から放たれる、強力なECM(電子対抗手段)。
それがこの空間を完全に隔離し、現代人の命綱であるスマホをただの文鎮に変えてしまった。
逃げ道を塞ぎ、助けを呼ぶ手段も奪う。
これで彼らは、文字通りの『袋のネズミ』だ。
僕個人としては、彼らに私怨はない。けれど、姉さんの怒りが収まらないこと。
そして突入前に盗聴した彼らの下劣な会話を聞いてしまった以上、将来の検事として、この「悪」を見て見ぬふりはできないと覚悟を決めた。
(……将来の検事が私刑の片棒を担いでいいのかって? それは、この際置いておこう!)
まさか、いきなり男のシンボルを永久に使用不能にするなんて!
さしもの不良少年たちも、あまりの光景に一瞬腰が引けていた。だが、恐怖の限界を超えたのか、どす黒い怒りが彼らの顔を支配していく。
「よ、よくも仲間を……! 女だなんて言ってられねぇ。野郎ども、やっちまえ!」
姉さんの背後から、先ほどの巨漢が猛然と飛びかかった。しかし、姉さんはすべてお見通しだ。振り向きざま、駒のような鋭さで放たれた回し蹴りが、大男の巨体を捉える。
百キロ近い肉体が、まるで蹴り飛ばされたサッカーボールのように宙を舞った。そのまま唯一の出口である半開きの扉に「くの字」になってめり込み……一撃で意識を刈り取られた大男は、ピクリとも動かなくなった。
「ふふん、これで『肉団子バリケード』の完成ね! 私って頭いいー!」
ピースサインで自画自賛する姉さん。……いや、冗談抜きでこれ、もう誰も逃げられないぞ。
以前、父さんが倒れた時に見たから知っているんだ。意識のない百キロの人間を動かすのが、どれほど絶望的な作業か。あの時は訓練された屈強なレスキュー隊員が四人がかりで、やっとの思いでストレッチャーに乗せていた。
完全に脱力して「死重」と化した肉体は、持ち手もなく、関節はグニャグニャで、力なんて全く入らない。それをこの狭い出口に完璧にハメ込むなんて……。
姉さんはただの力自慢じゃない。格闘技の腕はもちろん、あらかじめ逃げ道を潰し、常に自分に有利な戦場を作り上げる。……姉さんを鍛えた師匠とやらは、一体何者なんだろう?
しかし、敵はまだ二十人近く残っている!
血の気が引くどころか、頭に血が上った彼らは、姉さんの人外の力を目の当たりにしてもなお、武器を手に飛びかかっていく。
だが、そんな彼らも姉さんにとっては、おもちゃの刀を振り回す子供と五十歩百歩だった。
素手の奴には、電光石火のワン・ツーで顎と鼻を粉砕。トドメのボディーブローをみぞおちに沈め、先ほどまで飲んでいた安酒を床に「ご馳走」させている。
武器を振りかざす奴には、回避も防御もしない。特注のオープンフィンガーグローブで正面から凶器を叩き壊し、相手が呆然とした隙に顔面と腹に「おまけ」のセットを叩き込む。
床の上では、誰が一番多く安酒をご馳走するかを競い合う地獄絵図が広がっていた。……鼻栓を用意しておくべきだった。帰ったら念入りにお風呂に入らなきゃ。
姉さんが突撃してこないよう鍵二重に掛けなくちゃ!普通、男女で逆なんだけど。
あっという間に男たちを殲滅した姉さんは、武器を手にしていた女の子たちにも容赦しなかった。素早く武器を壊したあと、その腕に軽い手刀を食らわせる。
軽いといっても、姉さんの手刀は包丁の鋭さと薪割りの重さを兼ね備えている。女の子たちは腕を押さえ、声も出せずにうずくまった。あれは間違いなくギプスが必要になる。
さらに姉さんは、暴力に加わらなかった女の子たちにまで詰め寄った。
「ね、姉さん、彼女たちは暴力は振るわなかったんだから……!」
思わず止めに入った僕を、姉さんは冷たい目で見下ろした。
「甘いよ、純君。チャンスは最初に平等に与えたよ。それをドブに捨てたのはコイツらだ。直接手を出さなくても、『残っていればリンチが見れてラッキー』なんて考えていたに決まってる。女の子でもお仕置きは必要! 純君の言うことでも、これだけはダメ!」
姉さんは、泣きながらガタガタ震えている女の子たちを、一人ずつ片手で無理やり立ち上がらせる。脱力した人間を片手で吊り上げるなんて、姉さんの膂力はクレーン並だ。
何をするのかと思えば、姉さんは彼女たちの耳元で囁いた。
「これに懲りたら、もうこんな連中と付き合うんじゃないよ。これが本当にラストチャンスだからね」
そう言うと、右手の親指と人差し指、その異常なピンチ力(つまむ力)だけで、女の子たちの前歯を次々と引き抜いていった。
痛みと恐怖で、その場に崩れ落ち、失神する者も出る。
たしかに自業自得かもしれない。……いや、考えるのはよそう。いくら微罪とはいえ、罪は罪だ。下手に情けをかけるから、つけあがって犯罪を繰り返す未成年が多いという話も聞くし。
僕はただ、床に転がる前歯と安酒の臭いから目を逸らすことしかできなかった。
そうこうしているうちに、僕のナップサックから、昭和世代には懐かしいであろう「ジリリリリリ!!」というレトロなベルの音が鳴り響いた。
僕は慌ててアナログ式の腕時計を確認する。JAMMERのせいで電子機器が使えないからわざわざ専門店で用意したんだけど、レトロな備えは正解だった。
「姉さん、もうすぐ警察が到着するからそのへんで。流石に直接手を下してるところを見られると、後始末が面倒になるから」
「わかったわ。大丈夫、十分気晴らしになったし、私もサイコパスになる気はないから。……この辺で勘弁してあげる」
(……サイコパスになる気はない、か。この地獄絵図を描いた口でよく言うよ、本当に)
確かに死人はおろか、例の「男を廃業した」彼以外に重傷者は一人もいない。けれど、男子は皆アゴや鼻を押さえて無様にうずくまり、よほど飲み過ぎていたのか安酒を床に「ご馳走」し続けている。
女子も姉さんの教育によるショックと恐怖で、小学生のようにビービーと泣きじゃくっていた。
遠くから、聴き慣れたパトカーのサイレンが近づいてくる。
「姉さん、さっきの人間バリケードを片付けないと!」
「あら……これって燃えるゴミで良かったかしら? 純君、明日って可燃物の日?」
「姉さん!!」
「冗談、冗談よ。純君、そんな怖い顔しないで。可愛いお顔が台無しだわ」
姉さんはケラケラと笑いながら、百キロはありそうな大男の襟首を掴み、片手でひょいと引き抜いた。そのままゴミ袋でも扱うように床へ放り投げる。……姉さんにとっては、本当に「清掃作業」と大差ないんだろう。
タイミングを合わせたように、倉庫の扉を蹴破って警察官たちがドカドカと踏み込んできた。
ドカドカと激しい足音が近づいてくる。僕と姉さんは邪魔にならないよう、倉庫の隅で静かに佇んだ。
「全員動くな! 覚醒剤取引、および使用の容疑で現行犯逮捕する!」
踏み込んできた警察官たちに、不良たちが救いの神を見たような顔で縋り付く。
「た、助かった……! 刑事さん、その女を逮捕してくれ! 俺たちはこいつにボコボコにされたんだ!」
「ざまあみろ! 俺の親父は県議会議員だぞ! お前ら、絶対に少年院にぶち込んでやるからな!」
だが、警察官たちは彼らの訴えに一切耳を貸さない。
「何わけのわからんことをほざいている! 全員黙れ! 未成年だろうと容赦はせんぞ!」
泣き叫び、抵抗する不良の頬を警察官の鉄拳が捉える。まさに泣き面に蜂だ。
ほどなくして、部下の一人が鋭い声を上げた。
「主任、ありました!やはり覚醒剤です!」
「よし、全員検挙だ! 一人も逃がすな!」
一人残らず連行されていく不良たち。これだけの余罪があれば、全員少年院行きは免れないだろう。運よくシャバに残れても、学校からは退学処分が待っているはずだ。
……気の毒だけど、身から出た錆だ。未成年とはいえ、やっていいことと悪いことの区別くらいつけなきゃ。
それに、下手に軽い罪になってシャバに戻り、逆恨みで復讐でも考えたら、次は本当に姉さんに殺されてしまう。少年院に入るのが、彼らにとって一番の「安全策」なのだ。
ちなみに、県議会議員の父親の方も、今頃は別の捜査チームが逮捕に向かっているはずだ。
あらかじめ姉さんと協力して、ちょっと大きな声では言えない方法で集めた汚職の証拠を、警察と検察に送りつけておいたから。
(マスコミにも同時にリーク済みだ。将来検事を目指す身として、違法収集証拠に近いのは理解してるけど……今の僕はただの高校生。……我ながら酷い理論武装だね)
悪あがきをする不良が、手錠をかけられながら叫ぶ。
「ふざけんな! なんで俺たちだけなんだ! そこの女とガキも逮捕しろよぉ!」
「……コイツ、さっきから何を言ってるんだ? ここにこいつら以外、誰かいるか?」
「いえ。隅々まで捜索しましたが、他には誰も隠れておりません!」
「おおかた、薬物の過剰摂取で幻覚でも見ているんだろう。相手にするだけ時間の無駄だ」
入り口で佇む僕たちは、警察官たちにとって「存在しない」ことになっている。
当然だ。姉さんと僕は、この国では実質的な治外法権――いわば「幽霊」扱いなのだから。
「ん~~! 純君をイジメてた連中に仕返しできてスッキリしたわ! お疲れさま純君、帰りましょうか。お風呂、お姉ちゃんが綺麗にしてあげるわね♥」
「僕はもう高校生、お風呂は一人で入れるよ。姉さんこそ早く寝なさい。姉さんの美貌が衰えるのは、人類の損失なんだから」
「やだ、純君ったらぁ♥ 大丈夫よ、お肌のお手入れは欠かして無いわ♥お姉ちゃんの美貌は純君だけのものなんだから!」
「はいはい。美人で優しくて、世界一素敵な姉さんを持って僕は幸せ者だよ。……さあ、早く帰って明日の予習をしなくちゃ」
これが僕たち鬼龍義姉弟の、ごくごく普通の日常だ。
オマケ
警察の「清掃作業」を背に、今度こそ本当に帰ろうとした僕たちだったけれど。
不意に、僕の第六感が鋭い反応を見せた。
「……っ!? こ、これは……ッ!」
ゴミと埃にまみれた倉庫の隅。そこに鎮座していた一冊の本に、僕の全身に衝撃が走った。
「な、……ッ!? 七〇年代に一世を風靡した野球マンガの金字塔――『デカベン』の第一巻! そ、それも幻の初版本じゃないか!? なぜ、なぜこんな掃き溜めに……っ!」
「またぁ、純君。いつも言ってるでしょ、そんな汚い古本を触るのはやめなさいって。新しいのを、お姉ちゃんが全巻買ってあげるから!」
姉さんは呆れているけれど、わかっていない。
この色褪せた紙の匂い、そして半世紀の時を経たインクの滲みこそが、歴史であり聖杯なんだ!
「ダメだよ姉さん! 見てよ、この主人公・山本太郎の神々しい柔道着姿! このミスプリントがあるのが、真の初版である証なんだよ!」
「……はぁ。純君のその趣味だけは、お姉ちゃん一生理解できそうにないわ」
溜息をつきながらも、姉さんは僕が汚れないようにと、優しい手つきで僕の指をハンカチで拭ってくれた。
血生臭い事件の後始末。その中心で、僕たちはいつものように、噛み合わないマンガ談義を繰り広げる。
これが僕たち、鬼龍義姉弟の日常。
世界で最も危険で、世界で最も平和な――愛の物語の幕開けだった。




