三話 孤独な子供(3)
「ちょっとちょっと茜ちゃん――?」
「あちゃー」
「いいねいいねぇ、遊んでるねぇ」
茜ちゃんとひたすらジェンガを繰り返していると、お姉ちゃんが満足気な表情でやって来た。学校から帰宅したらしいが、既に土曜日と同じ部屋着である。
「おねえちゃん、ジェンガってむずかしいんだねぇ。すぐたおれちゃう」
「いやいや、茜ちゃんが難しくしてるだけだよ?」
「いっぽんずつのこしたい……」
そう言って、最速でジェンガを倒していく茜ちゃん。
――さすがに大人でも、下から一本ずつ残すのは難しいと思うよ……!
そんな茜ちゃんを見て、お姉ちゃんは爆笑しながらスクールバッグから教科書やノートを出した。
「すまんねぇ、今日は夜に観たいテレビがあるから、今させてもらうよ」
これが学校に行くようになると課せられる例の宿題と、茜ちゃんと興味津々で教科書を覗く。数学の問題らしい。数学Bの内容で、数列の問題だった。練習問題のひとつに丸がグリグリとつけてあったので、この問題を解かないといけないようだ。
「うーん……シグマめぇ……」
お姉ちゃんは呻きながらノートに計算式を書いては消しを繰り返す。どうやら数学が苦手らしい。
「お姉ちゃん、まずさ、シグマの周りに書いてある定義を覚えよう」
「は?」
「kは初めの数字、シグマの上は終わりの数字。ここはOK?」
「え……うん。おっけー……」
「じゃあ、k=1、シグマの上は5なら、どうなると思う?」
「1から5までを使って、計算する」
「そうだね。じゃあ、今度は1~5までを使った場合の計算をそれぞれしてみよう」
「えっと……」
一つ一つ計算していくお姉ちゃん。答えをきっちり書いて、僕を見る。
「うん。正解。でも、こうやって一つ一つ計算するのって面倒じゃない?」
「うん、メンドイ」
「だから、この次のページに書いてある和の公式を覚えて、当てはめればいいんだよ。初項が3、公比が2、項数が5だね」
「おぉ……! 個別に計算しなくても一発で解けた! 凄い!」
お姉ちゃんはキラキラした目で僕を見た。
「え? まだ小学生にもなってないよな? 天才か!」
「まぁ……色んな人にそう言われるけど……」
ぽりぽりと頬っぺを掻いていると、お姉ちゃんが手をぽんと叩いた。
「この辺にテレビに出るくらい頭がいい子供がいるって、お父さんが言ってたけど、悟のことだったのか!」
「あー……そんな噂が……」
僕がガクリと項垂れると、お姉ちゃんがニシニシ笑って肩を叩いた。
「いや、マジですげーよ! 自信持ちなって!」
「まぁ……うん……」
「他の問題も解けたりする? 先生より分かりやすいかも!」
「先生より分かりやすいかも」という言葉に、少し心が弾んだ。
「どれ?」
「これなんだけど……」
茜ちゃんはとりあえず一緒に教科書を覗くが、やはり意味が分からないのか、お姉ちゃんが渡した紙とペンで落書きを始めている。
僕はお姉ちゃんの宿題が終わるまで、宿題を手伝った。大抵、一問解いたらドン引きされるか、挑発されるかなので、教えるという体験は新しく、楽しかった。
「うわー、もうこれは悟が私の先生だわー。個別指導の塾講師的な」
「5歳児だけどね」
「5歳児に教わる高2か……字面だけだとやべぇなぁ……学校で言ったらドン引きされるな」
僕はお姉ちゃんの自虐に、曖昧に笑う。
「おねぇちゃんのおべんきょうのおてつだいできるって、さとるくんすごいね!」
「そうだよ、悟が凄いんだよ! 私はヤバくない!」
お姉ちゃんは勉強道具を片付け終わると、開き直ったのかジェンガを組み立て始める。
「ふっふっふっ……学力では負けるが、ジェンガでは負けないよ……年上を舐めるなよ……!」
舐めてはないのだけど、そうして再びジェンガの時間がやって来た。
帰り際、お姉ちゃんが100円玉を渡してきた。
「先生代としては滅茶苦茶安すぎるけど、私のお小遣いからだから許して」
「え……そんな、大丈夫ですよ」
「うーん……でも、悟は少しでもこうしてお金があった方がいいと思う。私の勘! だから受け取って! そしてまた教えて!」
お姉ちゃんに手渡された100円が、掌の中でキラキラと輝く。冷たいはずなのに、お姉ちゃんの温かさで温もりを感じる。
「でも、しまっておく所がなくて……」
母からお小遣いを貰ったことはないし、自分の財布も持っていない。自分の部屋も引き出しもないから、お金を貰っても、しまう所がなかった。
「うーん……」
お姉ちゃんが悩んでから、社務所の奥の方に駆けて行った。すぐに戻ってくる。片手には貯金箱。
「お母さーん、社務所に空いてる引き出しないー? 鍵付きのー?」
そう社務所に声をかけると、しばらくしておばさんが社務所から出てきた。茜ちゃんのお母さんも出てくる。涙は無いが、目は少し腫れぼったい。
「あるけど、どうしたの?」
「悟と茜に貸してあげたくて……」
おばさんは怪訝な顔を少ししたが、すぐに微笑んで「こっちにおいで」と手を振ってきた。
「外堀さん、別に茜の分は大丈夫ですよ?」
「いいんです、いいんです。こういうのは、外にあるのが大事なので」
微笑みながら、おばさんはサイドデスクを二つ出してきた。お姉ちゃんはサイドデスクのひとつに貯金箱を置く。お金を入れな、と指さされたので大人しく従った。
「はい、これが鍵ね。社務所に入る時はおばちゃんに一声かけて欲しいけど、この引き出しは好きに使っていいからね」
「ありがとうございます……!」
「ありがとうございます!」
おばさんから受け取った鍵が、輝いて見えた。




