三話 孤独な子供(2)
「ただいまー」
リビングの扉を開くと、散らかったテーブルに肘をつきながら母が携帯電話を触っていた。こちらには一瞥もくれない。
「おかえりー」
「外で遊んでくるよ」
「わかったー」
母は携帯電話を見ながらニヤニヤしている。きっとまた画面の向こう側にいる人に、僕でマウントを取っているのだろう。
「今日の晩ご飯は何?」
「秋刀魚の塩焼き」
「一昨日もだったから、たまにはお肉も食べたい」
ニヤニヤから一転、心底不快そうな顔でやっと僕を見た。
「は? あんたのためなんだけど?」
「DHAが頭の発達にいいのはわかるけど、流石に毎日魚ばかりは飽きるし、唐揚げとかもっとガッツリしたものが食べたい」
「は? 親に楯突く気? 文句あるなら自分で作ればいいじゃん? あんた天才なんだから」
「――」
――1回でも僕が料理をしたら、もう作らなくなるでしょ? 元気で仕事もしてないのに、僕やお家のことをちゃんとしてくれないって、大人としてどうなの?
言葉を飲み込む。母を叱ってくれる祖父母はもう死んだ。父は単身赴任で滅多に帰ってこない。それに恐らく、遺影以外の祖父母の写真が捨てられていることに気が付かない父は、僕の味方などしてくれないだろう。
――母さん、ネグレクトって知ってる? 児童虐待のひとつなんだけど?
言いたいことは全て心の中にしまい、僕はできるだけ情けない顔で母に許しを乞う。ネグレクトの母でも、恐らく今の環境が一番自由がある事を、僕は知っている。
「ごめんなさい……文句は言いません」
僕の謝罪に、母は醜悪な笑みを浮かべながら満足そうに頷くと、また携帯電話に目を向け直した。
「今度名古屋で子供がMENSA会員のママの集まりがあるんだけど、子供OKだからあんたも行くでしょ?」
「僕がいると、お母さんが気を使って大変だから、僕はお家でお留守番してるよ。自由に楽しんできて!」
僕の言葉に母は上を見て考えた後、「そうね」と頷いた。僕は心の中でほっと息を吐く。そんなつまらない集まりに参加する程、僕は優しくない。
一応は体裁で作られた仏間に行き、祖父母の遺影の前に座る。膝の上に座ると、優しく撫でて笑ってくれた祖父母が恋しい。遺影に向かって手を合わせると、久しぶりに出来た友達――茜ちゃんが同じ幼稚園に転園してきて楽しかった旨を報告する。
遺影に少しホコリが被っていたので、ティッシュで払う。
祖父母と一緒に暮らしていたお家は、祖父母の死後すぐに建て替えてしまった。写真は遺影しかない。遺物も、父が指示してしまったもの以外、全て捨てられてしまった。
――僕が触れられる祖父母は、もうこの遺影しかない……。
暗い気持ちに囚われそうになったことに気が付き、咄嗟に頭を振る。
――茜ちゃんと遊んでくるね!
そう遺影に伝えてから、僕は急いで支度して茜ちゃんの家に向かった。
茜ちゃんのお母さんも一緒に、神社の社務所に声をかけると、おばさんと茜ちゃんのお母さんが話し込み始めた。
茜ちゃんが嬉しそうに広間に駆けて行くので、僕も急いでついて行く。
「おもちゃふえてる! さとるくん、なにしてあそぶ?」
一昨日来た時の約倍量のおもちゃが部屋の隅に並んでいた。人生ゲーム等のボードゲームが多いが、茜ちゃんにはまだ早いだろう。
「うーん、このジェンガってやつ、やってみない?」
「うん!」
「ありがとう! 実はテレビの番組でやってるの見て、やってみたかったんだ!」
「どうやってやるの?」
「えーっと……」
説明書を開いて中身を読んでいると、大人二人の会話が聞こえてくる。こっそり聞き耳は立てておく。
お姉ちゃんと茜ちゃんを護る約束をしたので、茜ちゃんの家庭状況も知りたいところだが、その為に目の前の茜ちゃんをおざなりにするのは違うだろう。
「色々と大変ですねぇ……」
「えぇ……もう、本当に疲れてしまって……。やっぱり同居しなきゃ良かったかもって、たった数日で思ってしまって……」
「ご自分を責めすぎないでくださいね」
「はい……」
「でも、何かあった時に困らないように、遠回しからでいいので、おばあちゃんがどこの檀家とか、お葬式の目処を立てるとかしておいた方がいいと思いますよ。あのご年齢で、昨年旦那さんを亡くしたばかりで、ガックリきているかもしれませんので」
――おばさんから見て、茜ちゃんのおばあちゃんは長くないのかもしれない。
心の中で小さくガッツポーズをしながら、バラバラに出してしまったジェンガを建造する。
「うわー、さとるくんじょうずだね!」
「ありがとう」
早速ジェンガを始める。
初めてのジェンガは、一番下のブロックを二本抜こうとした茜ちゃんにより、速攻で崩れた。
茜ちゃん、攻め過ぎだよ……。




