二話 彼の選択(16)
名古屋侵攻の知らせを聞いてからずっとソワソワしていたけど、由香里さんから無事の知らせを聞いて大きなため息が出た。
「良かったー、研究所は無事だって。やっぱり、眠ることがクラゲから隠れるには最適みたい。それなりに人がいたはずなのに、研究所は全然攻撃されなかったって」
由香里さんの知らせでは、施設に避難している人は薬でほぼみんなぐっすり眠っていたらしい。お姉ちゃん家族も含めて。
「研究所のある市内も、睡眠導入剤を配って眠ることを推奨したら、移動経路上の街だったにもかかわらず被害が一割以下って」
「それは凄いな……」
悟が感心したように顎を撫でる。
しかしその情報が分かったところで、日本の主要都市はほぼ陥落した。せめて、もう少しこの方法が早く試せていたら、生き残りの人数が変わったかもしれない。そこは悔やまれる。
「やっぱり、夜に市街地への夜襲が少なかったのはこれが原因だったんだね」
「寝たら感情が安定する……つまり、あいつらから観測されにくくなる。もっと早く実験できたら良かったんだけどね」
ミライが肩を竦める。
「命がかかってるんだから、なかなか実験も難しいでしょ。元々あの街は、僕らの研究にそれなりに理解があったから対応してくれただけで」
「まぁそうだけど……」
やるせない気持ちになる。
「それより、今度は僕らの番だ」
私は悟の言葉に口を引き結びながら頷く。
明日にはクラゲが上空を通過する予測だ。
「一応、ミラ島も不眠に備えて睡眠安定剤を備蓄してたのは良かった」
「うん」
明日明後日は私達一部の研究者を除き、島民の地下都市も睡眠推奨日となった。
いつの間にか握りしめていた手が冷たくなっていたことに気付き、慌てて手を擦る。
この時、私は大切なことを忘れていた。考えれば思い付いたはずなのに……。
翌昼、クラゲの軍団が島の可視圏内に入った。空が透明な水で揺らめいているような光景は、カメラ越しでありながら圧巻で、強風に煽られて何匹ものクラゲ達が弾け、白濁のスラリーの雨となって降り注ぐ光景は、とても奇妙だった。
私達は静かにクラゲの通過を待つ。
起きている人間は島全体で30人にも満たない。島の真上を通ったところで、歯牙にもかけない人数のはずだった。
鈴木さん達のように攻撃実験も分析も行う予定はない。私達が起きているのは、非常時に備えてのこともあった。
なので、せいぜい数十体が降りてきて様子を伺う程度だと、私達は予測していた。
だが、予測は外れた。
「なんで――?」
予想に反してクラゲの揺らめきがどんどん島に降りてくる。
「千は降りてきたかも……」
「なんで……?」
ミライの分析に心が震えた。
――島の人口は千五百人にも満たないはずなのに、なんで……?
クラゲが何かを探すように島を徘徊する。
そしてその多くはゆっくりとアイゼンベルクさんの屋敷に向かっていく。
カメラ越しにはアイゼンベルクさんの屋敷でまともに見える場所はない。
一方、私達がいるような街の地上部にはクラゲはあまりいなかった。
「アイゼンベルクさんの屋敷? なんで……?」
そして気が付く。
――アイゼンベルクさんは、信仰の対象だから……?
島の人間から信仰され、アイゼンベルクさんは祈りによる情報構造をかなり保有している。
そして、アイゼンベルクさん自身は、常に何かに怒っている。
――つまり、巨大な情報構造体の揺らぎがアイゼンベルクさんに発生しているということで、クラゲには特大のご馳走があるように視えるってことでは……?!
「大丈夫、茜? 顔が真っ青だよ」
悟の言葉にハッと我に返る。
「悟、アイゼンベルクさんは信仰の対象って言ったら分かる……?」
私の言葉で悟もミライも理解したらしい。
「ミライ、アイゼンベルクさんがピンチだ」
「でもどうやって助けよう? 今クラゲが群がってるってことは起きてるってことだから、睡眠剤飲んでもらう?」
「屋敷の人はどれくらい起きてるんだろう? 誰に連絡を取るか……まずはクロウリーさんか?」
「……」
緊急事態だ。こんな時こそ奥の手を使おう――透視だ。
アイゼンベルクさんを透視する。
多少距離があっても、知っている人なら比較的簡単だ。
目を瞑りアイゼンベルクさんに集中すると、すぐにアイゼンベルクさんが視えた。
踊り狂うアイゼンベルクさんが。
それと同時に、アイゼンベルクさんの感情まで流れ込んで来てしまった。
喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び喜び
――この世界が苦しむ喜び。
「――うっ!」
「ちょっと茜、何無茶したの?!」
「まさか透視でもした?」
二人に所業が速攻でバレた。
しかし、バレた気まずさを取り繕う余力もないほど身体が震えた――恐ろしかった。
「アイゼンベルクさんを、透視した……」
「うん、だろうね」
悟が怒っているのが分かった。
「アイゼンベルクさん、起きてた。踊り狂ってた」
「――は? この状況で? なんで??」
「……」
言おうか迷って口を噤む。
アイゼンベルクさんは、この地球の崩壊を望んでいる。




