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沈黙する存在  作者: 小島もりたか
2章 生命の創造
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五話 責任(2)

「――違う! こんなの、由香里じゃない……!」


山下さんが突然床に突っ伏して叫ぶ。

いきなりの出来事に、研究室内は静まり返った。


「哲郎、いきなりどうしたの?!」


機械生命体の由香里さんが、膝をついて山下さんの背中を撫でた。


「やめろ! 触るな!!」


山下さんは壊れたように泣きながら由香里さんの手を振り払い、嗚咽を上げる。


鈴木さんと小林さんが、痛ましそうに山下さんを見つめた。


「山下さん……」


鈴木さんの呟きは、山下さんの泣き声に消えていく。


私は由香里さん――山下さんの奥さんに会ったことは一度もない。なので、本来の由香里さんと、今の由香里さんの反応や性格がどれだけ違うのかも分からない。

記憶にあるのは、由香里さんが目覚めてすぐの頃、山下さんが毎日のように「本物の由香里だ」と感動していたことくらいである。


――それほどまでに完璧に由香里さんを再現したはずなのに、違いは生まれるんだ……。


由香里さんは顔をぐっと歪める。今にも泣き出しそうだが、堪えているのが傍から見ても分かった。


小林さんと鈴木さんがそっと由香里さんを立たせて、私たちの所に連れてくる。目が合うと、お互いに一つ頷いた。


「由香里さん、食堂でお茶飲もう」


彼女の腰にそっと手を添えて促すと、由香里さんは静かに歩き始める。

研究室の扉から出る際、小林さんと鈴木さんが何かを山下さんに語りかけているのが聞こえた。


「私は、哲郎のかつての最愛の人の再現体という認識はあるの――」


苦しそうな表情で、由香里さんは口を開いた。


「でも、私は『私』でしかないし、『私』以外にはなりようがないの……それを受け入れられないと言われたら、もうどうしようもないの……」


ぽろりと由香里さんの瞳から涙がこぼれ落ちる。その姿は、どこからどう見ても人間そのものだった。


ミライがそっと由香里さんの手を握る。


「いつから、自分が機械生命体だって気付いたの? 確か由香里さんには『自分が機械生命体であることを認識しない』って制御が入ってたはずだし、僕らも人間として振る舞ってたよ?」


ミライの言葉に、由香里さんは薄く笑う。


「記憶と現実の乖離があって、何でだろうって考えてたら、気付いちゃったの。本当の私はもう死んでるって。今の私は再現体なのかもって。それで哲郎のパソコンとか調べたら……ね」


「哲郎にバレないように、すごく泣いたなぁ」


由香里さんが、涙を流しながら呟く。


――由香里さん……。


彼女にかけるべき言葉が思いつかない。勝手に生み出されて、やっぱり偽物だからいらない、あっちに行けと言われたようなものだ。傷ついて当たり前だ。


この件に関しては、あまりにも山下さんが自分勝手すぎる。


目の前にいる由香里さんは、情報構造体的にも限りなく生物学的生命体と類似している。人間が意図的に生み出すことができるからといって、おざなりにしていい存在ではない。


――生み出してしまった以上、愛せなくなったから捨てるなんて、いくら山下さんでも許される行為じゃないよ……。


由香里さんは深いため息を吐いた。


「これから、どうしたらいいの……?」


途方に暮れる彼女の声に、私たち三人は顔を見合わせた。お互いの気持ちが一致していることを認識する。


「それなら、私たちの家に一旦来ませんか?」

「――え?」

「今、家も広いからさ。おいでよ」

「でも」

「気になさるなら、家事や育児を手伝ってほしいと頼まれたと思って来てくだされば大丈夫ですよ」


三人で畳みかけると、「それなら、有難く……」と由香里さんは頷いてくれた。


由香里さんには食堂で待機してもらい、早退する旨を研究室に告げに行くと、山下さんはまだ取り乱したままだった。

山下さんは子どものように泣き喚き、研究室のメンバー総出で取り押さえている。


「いやだー!! ゆかりーーーー!!」

「山下さん、落ち着いて!!」


研究室は、山下さんのデスクを中心に荒れに荒れていた。


「佐々木さん、ごめんなんだけど、これ以上壊されても困るから、他の場所に連れていく。後は任せた……!」

「分かりましたー!」


小林さんと鈴木さんに取り押さえられながら、山下さんは別室に連れていかれる。


あたふたする佐々木さんを見て、こちらを先に片付けた方が良さそうだと判断し、悟と片付けを手伝うことにする。

ミライに由香里さんへの伝言をお願いしに行ったら、由香里さんを連れて帰ってきた。


「哲郎が申し訳ないです。私も片付けします……」


由香里さんはそう言って、黙々と片付けを始めた。


その日から、山下さんが研究室に現れることはなかった。小林さんによると、しばらく入院して療養に努めることになったらしい。

以前の、優しくも技術者として尊敬していた山下さんの姿がなくなり、研究室が寂しくなった。


一旦、鈴木さんがリーダーになったが、鈴木さんは小林さんと共に山下さんのデスクを死守している。

他の部署の人間からは色々と噂されるようになったが、今までの山下さんを知っている私たちには、到底理解できないような噂ばかりで、山下さんに早く元気になってもらって、また研究室に姿を見せてほしいと何度も思った。



生物は良くも悪くも変化する。昨日と今日で人間性がガラリと変わることも往々にしてあるのだ。子どもは特にそれが顕著だ。

だから、例えその人を完璧に模倣したとしても必ず変化する。例えクローンだとしても、環境が異なれば異なる人間性になるだろう。だから、由香里さんに昔のままの由香里さんでいて欲しいというのは、山下さんの奢りであり、弱さだったのだと、後から思った。

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