一話 初産(3)
「――――っ!!」
「お母さん、痛くても息を止めちゃだめ。赤ちゃんが苦しくなるからね。吐くことを意識して。吐いたら、絶対吸うから」
何度も助産師さんに注意される。
夕食時に本陣痛が始まってから、ずっと5分間隔で痛みが続く。こんなに苦しんだんだから、相当時間が経っているだろうと分娩室の時計を確認すると、まだ分娩室に来てから一時間と少ししか経っていない。絶望である。
「あとどれ位で産まれますか……?」
「うーん……破水したら一気にお産が進んで、今日中に産まれたりするんだけど、子宮口まだ5センチですし、初産なんで、まだかかりそうな可能性が高いかなぁ」
「辛い……」
私の嘆きに、助産師さんが優しく背中を撫でてくれる。
「一緒に頑張りましょうね」
「早く麻酔が欲しいです……」
「そうですよねぇ……早く楽にさせてあげたいんですけど……」
子宮がまた疼き出す。痛くなる予兆に心が震えた。NSTが表示する値も、どんどん高くなっていく。
――くる、くる、くる……!
「一緒に吐きましょう。ふーーーーっ」
「ふぅぅぅぅぅーーーーっ」
痛みに合わせて、助産師さんがテニスボールで私のお尻を抑えてくれるのが、非常に救いだ。
悟は、私が分娩室に入ってから、いつ分娩になっても立ち会えるように、私の個室の入院室に待機していた。
こんな時こそ一緒にいたいのに、いられないのがもどかしい。
「ごめんね、ちょっと行ってくるね」
無線で呼ばれたらしい助産師さんが、足早に去っていく。次に助産師さんが来てくれるまでは、この痛みに独りで立ち向かわなければいけない。
――寂しいよ、悟……。
スマートフォンを持つ気力は、もう尽きていた。
正直、無痛分娩にしていたので、この痛みに耐える時間を甘く見ていた。子宮口全開になってから麻酔する、という条件が非常に憎らしい。初産は、子宮口が全開になるまでの時間の方が長いのではないか?
廊下伝いで、私より酷く叫ぶ女性の声が聞こえる。それが、私の恐怖を掻き立てる。
――今よりもっと痛くなるの?
助産師さんが支えてくれたり、居なくなったり、痛みに耐えながら過ごしていると、次第に眠気がやってきた。夢と現実の狭間で、何度も陣痛の痛みに起こされては、眠気に負けて気絶するように眠った。
「守山さん、朝ご飯食べられそうですか?」
助産師さんの声で目を覚ます。
「今日は焼きたてパンの日なんですよ。少しでも食べられます?」
「ほとんど食欲がないですね……」
陣痛の痛みは一旦和らいでいたが、食欲は全くと言っていいほどなかった。
「とりあえず持ってきてもらって、食べられそうなものだけ食べてみましょうか? 食べないと、体力も回復しないので」
「はい……」
朝食は、ヨーグルトしか食べられなかった。焼きたてパンはとても美味しそうなのに、手をつけようと思えなかった。給仕係の女性が、残念そうに配膳を持って帰っていったことを、申し訳なく思った。
「子宮口は6センチですね」
経過を伝えた助産師さんが、足早に去っていく。緩くなった陣痛に安堵していると、医師がやってきた。
「お産が停滞気味なので、進めるために人工破膜しますね」
逃げ場のない選択に、私は小さく頷くしかなかった。破膜すると、股から温かい物が大量に出てきて驚いた。布団の上で、何の対策もなく破水したら、布団が使い物にならなくなってしまうのではないだろうか? 子供のおねしょと比較しても、おねしょの領域を遥かに凌駕した量だ。
しかしながら、そこからが、また地獄の始まりだった。医師の目論見通り、お産は進行したが、それはつまり、本陣痛の再開を意味する。私は、また狂ったように呻く人間になった。
「子宮口も開いてきて、お産も進んできたので、麻酔しますね!」
助産師さんのこの言葉に、私はどれだけ安堵したことか……。それから程なくして、麻酔をしてもらったのだけれど、麻酔をしてもらうのを待つ間も、非常に辛かった。
「茜、大丈夫?」
悟が、水色のガウンを着て分娩室に現れたのは、麻酔が効いて落ち着いたころだった。悟も、よく眠れなかったのか、顔色がかなり悪い。
「麻酔、さっきしてもらった。麻酔サイコー」
「さっきまで、麻酔なし?」
「うん。辛かった……」
弱音を吐く私に、悟は少し泣きそうな顔をしながら、私の頭を撫でた。
NSTで見ると、収縮の周期がどんどん短くなっている。そろそろ分娩の時なのだろう。助産師さんが、慌ただしく準備をしている。
「そろそろ分娩しますねー」
医師が入室してきて、分娩が始まった。痛みがほとんどなかったので、分娩自体はそれほど辛くはなかった。ただ、痛みがなかったので、いきみ方が分からなくて、少し困った。
吸引分娩で赤ちゃんの頭を引き出してもらうと、どさりと赤ちゃんが私の股から出てきた。
「おんにゃー! おんにゃー!」
赤ちゃんの産声が響き渡ると、皆が一斉に祝福してくれた。あんなに辛かったお腹が、一気に軽くなる。
助産師さんに渡された赤ちゃんを、恐る恐る抱っこすると、軽いはずなのに、とても重く感じた。
「やっと会えたね――」




