エデンⅡ/固定された世界
夜。
誰かが叫んだ。
「違う! ここは──生きてるだけだ! 止まってる!」
言葉は、途中で途切れた。
周囲が、一斉に祈り始めたからだ。
声はかき消され、
その人物は、静かに座らされた。
抵抗はない。
必要がない。
エデンでは、
狂気は叫ばない。
正しさの顔をして、
静かに増えていく。
プリリエルは、遠くからそれを見ていた。
止めない。
導かない。
ただ、確かめるように、
セーラを見つめる。
「次に会うときは、あなた自身が、答えになります」
その意味を、
エデンは、今まさに作り始めていた。
人々は気づく。
「……セーラが来てから、悪化しなくなった」
誰も言い切らない。
でも、空気が揃う。
•セーラが近くにいると、安定する
•祈りの輪にいると、時間が止まる
•セーラが触れると、苦しまない
「この子のそばにいれば、大丈夫」
「怖がらせないようにしよう」
「疲れてるなら、ここに座って」
セーラは“中心”に置かれる。
まだ台座は作られていない。
「セーラちゃんがいると落ち着く」
「今日は、ここに居てもらおう」
「動かない方が、いいよね」
移動の自由が減る。
でも誰も「拘束」とは呼ばない。
そんなとき事故が起きる。
助からない子供が運ばれてくる。
誰かが言う。
「……セーラちゃんに、触れてもらえば」
その瞬間、
プリリエルはただ眺めている。
なぜなら——
これは“学び”だから。
•セーラが手を握る
•子供の呼吸が安定する
•泣き声が止まる
•苦しそうじゃない
人々は安堵する。
「ほら……」
でも、数時間後。
•目を開けない
•呼びかけに反応しない
•悪化もしない
イリスが震えた声で言う。
「……これは、助かってないわ」
その言葉は、
エデンでは不適切になる。
セーラのほうでも違和感があった。
•触れている時間が長くなるほど、
自分の心拍が分からなくなる
•立っているのに、
地面に縫い止められている感覚
•「優しくされること」が
逃げ道を塞いでいる
•セーラは自分が「嫌だ」と
思っていることに気づく
•でも周囲の言葉は全部こう
•「大丈夫」「優しくしてあげて」「あなたなら平気」
嫌がることが、誰かを傷つける気がして、
セーラはその感情を、胸の奥に押し戻す。
NOを言う理由が、どこにもない、
これが本当の拘束であった。
◆
オルドは、立ち尽くしたまま動かなかった。
エデンの空気は安定している。
数式で言えば、完璧に近い。
ノイズはなく、揺らぎもなく、破綻の兆候もない。
だからこそ、おかしい。
「……いや、待て」
誰に向けた言葉でもなかった。
自分の思考を止めるための声だ。
「これは……反映じゃない」
箱庭は閉鎖系だ。
入力があり、処理があり、出力は仮想層で完結する。
現世に現れるのは、観測情報まで。
それ以上は、設計上あり得ない。
なのに。
「現実の因果が……箱庭側に引っ張られてる」
エデンでは、
傷が悪化しない。
死が進行しない。
結果が、先送りにされている。
それは奇跡ではない。
介入でもない。
順序が、逆だ。
オルドは、喉が乾くのを感じた。
「……境界が、逆転している」
その言葉は、誰にも聞かれなかった。
だが、世界には届いてしまった。
ジュリアンは、端末から目を離せずにいた。
ログは正常。
数値も正常。
エラーは一切出ていない。
異常がない、という異常。
「……最適化が、走り続けてる」
指を動かす。
停止命令を確認する。
送っていない。
「止めてないのに……」
箱庭アプリは、
条件を満たしたときだけ最適化を実行する。
そして、成功した時点で止まる。
なのに。
「成功状態として、固定されてる……?」
画面の数値は、
「理想的安定」を示したまま、一切変わらない。
誰も操作していない。
命令も、更新も、介入もない。
それでも、動いている。
ジュリアンは、静かに断定した。
「自動だ、人が操作してない」
箱庭が、ただのツールではなくなった。
自律的に模倣している。
神性を。
判断を。
正しさを。
そして、それが現世に影響を与える──。
オルドは、ようやく理解する。
「中心を壊したら、全部崩れる」
ジュリアンは、小さく呟いた。
「だから……触れないんだ」
エデンは守られているのではない。
選ばれているのでもない。
ただ、
「正解」に固定されている。
そしてその中心に、
セーラは置かれていた。
答えとして。
◆
空気が、一拍だけ乱れた。
誰も気づかなかった。
だが、剣を持つ者だけは分かった。
魔剣士レイエスは、エデンの中心で足を止める。
「……なるほどな」
祈りの輪は壊さない。
人には触れない。
ただ、剣を振るう。
刃が空を切った瞬間、
止まっていた空気が、ほんの一瞬だけ流れた。
一拍。
それだけで十分であった。
「動かねえ正しさか」
信仰でも、戦場でもない。
だから敵意もない。
レイエスは、剣を鞘に戻す。
その視線が、セーラに向く。
輪の外。
中心に近く、触れられない場所。
レイエスは、短く言った。
「剣を抜かせない顔をしてやがる」
遠くで、
白い服の天使、プリリエルが、彼を見ていた。
レヴィアタン、魔王がエデンに入る。
だが彼女は声をかけない。
魔王の気配すら、エデンは拒まなかった。
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