選択肢の消失
今朝は霧が出ていた。
山から下りてくるはずの風が、途中で止まっている。
カイとイリスを先頭に、行進は続いていた。
村を出て半日ほど進んだ街道は、静かすぎた。
橋が、落ちていた。
昨夜の雨で崩れたらしい。
木材は流され、石組みだけが川面から突き出ている。
補修の痕跡はない。
壊された様子もない。
ただ、渡れなくなっていた。
橋の手前には、車輪の跡が残っている。
荷車が、引き返した痕だ。
その先へ行った形跡は、なかった。
「……戻るしかないか」
カイが言う。
「そうだね」
イリスは頷き、来た道を振り返った。
だが、そこにも人はいなかった。
昼前に着くはずだった中継の街は、門を閉じていた。
兵はいない。
張り紙もない。
ただ、門が閉まっている。
叩いても反応はなく、
呼びかけても、誰も出てこなかった。
「疫病かしら?」
イリスが小さく言う。
理由は分からない。
だが、理由が必要とも思えなかった。
入れない。
それだけだ。
セーラは、街の門を見上げていた。
怖がってはいない。
泣いてもいない。
ただ、
そこに近づいてはいけない気がしていた。
「……ここ、ちがう」
ぽつりと呟く。
「ん、なにが?」
カイが屈んで目線を合わせ訪ねる。
セーラは、少し考えてから首を振った。
「わかんない」
それから、
「でも、いったら、だめ」
イリスは苦笑して、
「少し疲れたんだね」と言いかけて、言葉を止めた。
空気が、妙であった。
音が少ない。
鳥の声が、途中で切れている。
カイは、セーラの忠告を聞かず地図を広げる。
道は、三つあるはず。
一つは橋。
一つは街。
もう一つは、森を抜ける小道。
「……森だな」
森に入ると、すぐに分かった。
獣がいない。
足跡はある。
だが、すべて外へ向かっている。
逃げたのではない。
移動したのだ。
主だった理由は、恐らく無い。
ただ、
ここに居続ける選択肢が消えたのだ。
少し進んだところで、
木が倒れていた。
古い倒木ではない。
根こそぎ、最近崩れたものだ。
回り道はできる。
だが、その先も、同じであった。
倒木。
ぬかるみ。
進めない斜面。
森は、入れる。
だが、抜けられない。
セーラが、カイの服の端を掴む。
「……こっち、いや」
カイは足を止めた。
地図を畳む。
もう、見なくても分かっていた。
戻れない。
通れない。
抜けられない。
残っている道は、一つだけだ。
何も起きていない。
誰も襲って来ない。
それでも、
選択肢が、消えている。
「……選ばされてるな」
カイは、槌を握り直した。
怒りも恐怖もまだない。
事実の確認。
イリスは、それに答えなかった。
いや否定が遅れた。
セーラだけが、
少しだけ眉を寄せる。
「えらぶ、って?」
「いや……なんでもないよ」
カイは歩き出す。
残された、最後の道へ。
背後で、
橋のない川が流れ、
閉じた街が沈黙し、
通れない森が揺れた。
誰も追ってこない。
だが、
もう戻れなかった。
セーラは、歩きながら空を見上げる。
雲が、少しだけ揃っている。
世界が「こっちだ」と言っている気がした。
◆
少し離れた場所で、
ルシフェルは、歩いていた。
急がない。
隠れもしない。
彼の周囲では、
世界が僅かずつ整っていく。
橋が落ち、
門が閉じ、
森が通れなくなる。
それらは命令ではない。
奇跡でもない。
「通れない状態」が成立している。
人は理由を探す。
災害だと呼び、
不運だと納得する。
それでいい。
選択肢が一つになったとき、
人はそれを「自分の判断」だと思い込む。
ルシフェルは、
訂正しない。
「……そうだ」
小さく呟く。
中心は、動いている。
まだ、自分で歩いているつもりで。
奪う必要はない。
追う必要もない。
行ける道だけを残せば、
必ず、そこに来る。
狩りとは、
獲物に気づかれずに終わらせる作業だ。
ルシフェルは、
「通れなくなる場所」を消した。
◆
その頃。
セーラは、
歩きながら小さな石を蹴っていた。
強く蹴らない。
遠くへも飛ばさない。
ただ、
足元から少し先へ転がす。
ころん。
ころん。
石が止まるたびに、
セーラはそれを拾って、
また少し先へ置く。
「それ、楽しい?」
カイが聞くと、
セーラは少し考えてから頷いた。
「……うん」
「ちゃんと、ついてくるから」
「石が?」
「うん」
置いた場所に、
必ず石がある。
それが、
何となく安心をもたらせてくれるのだ。
セーラは、空を見上げる。
雲は、さっきより少しだけ揃っている。
それが嫌じゃなかった。
セーラは、また石を置く。
まだ、
祈らない。
願わない。
世界に意味を求めない。
ただ、
ついてきているものを、
見失わないようにしていた。
狩られていることにも、
導かれていることにも、
気づかないまま。
少女は、
今日も歩いていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
続きが気になった方は、
そっと本棚に置いてもらえたら励みになります。




