神性
ルシフェルによる大破壊のあと、
カイはイリスとはぐれていた。
彼女を探す旅の途中、何度も、空を見上げた。
遠くを見るというより、
確かめるように。
雲の奥が、ほんの少しずれている。
ただの気流にしては、整いすぎていた。
カイは、理由もなく足を止めた。
誰かが、そこに立っている。
そんな気がした。
世界が、少しだけ騒がしい。
破壊のあとに訪れる混乱とは、
質が違っていた。
誰かが、何かを始めている。
それは命令や祈りではなかった。
「イリス……」
カイは彼女の名を呟いた。
返事が来ないことは、分かっているのに。
◆
玉座は、半壊していた。
かつて天と地の境を示していたその座は、今や瓦礫と溶融した神性金属の塊にすぎない。
だが、ルシフェルはそこに座っていた。
「……妙だな」
独り言のように呟く。
誰に向けた言葉でもない。
周囲の世界が、薄く剥がれる。
層が開き、観測が走る。
破壊の余波や、
再構築の兆候というより、
もっと原始的なズレがそこにあった。
都市。
廃墟。
沈黙した海。
生き残った人間たち。
どこにも、神はいない。
——いるはずがない。
自分が壊したのだから。
だが。
視線が、辺境で止まった。
「……ん?」
村であった。
名もない、記録にも残らない、小さな集落。
信仰もない。
奇跡もない。
祈りの痕跡すら、薄い。
それなのに。
中心が、存在している。
玉座に座るルシフェルの背後で、
かつて神界全体を制御していた観測環が、きしりと音を立てた。
数値が、合わない。
信仰量:ゼロ。
権威核:未検出。
神格反応:定義不能。
それでも、中心はある。
「誰だ……」
怒りではない。
困惑でもない。
嫌悪だ。
ルシフェルは、はっきりと理解していた。
それは、まだ神ではない。
「神性を持つもの」
問いは、世界全体に向けられた。
ルシフェルの視界の端。
「……!」
彼は、笑った。
歪んだ、楽しげな笑み。
怒りに満ちた嘲笑。
そして、確信。
玉座の残骸が、淀み出す。
堕天使の王、神となった存在が、
もう一度、立ち上がろうとしていた。
◆
村の外れ。
最初に異変を察知したのは、人間ではなかった。
崩れた街道の影で、悪魔が一体、足を止めた。
角は欠け、翼は半分だけ。
ルシフェルの癇癪によって生まれた、雑音のような存在だ。
「……入れねぇ?」
見えない壁に、鼻先がぶつかった。
力場ではない。
結界でもない。
魔術反応は、ゼロ。
それでも、前に進めない。
悪魔は唸り声を上げ、地を蹴った。
空間が歪み、爪が振るわれる。
何も起きない。
いや、正確には。
起きてはいるが、定義できない。
「チッ……っ!」
一歩、踏み出そうとすると、
悪魔の中で、目的がほどけた。
なぜ、ここに来た?
何を壊す?
誰を殺す?
思考が、揃わない。
それどころか、
自分が、ここにいていい理由が消えた。
悪魔は、後ずさり、そして闇に溶けた。
村の中では、何も起きていない。
井戸のそばで、子供が石を積んでいる。
大人たちは畑に出て、火を起こし、昼の準備をしている。
井戸の水面が、静かに揺れた。
風もなく、誰も触れていないのに、円が広がる。
次に、人々の足取りが止まった。
同じ呼吸で動いていた村が、
ほんの一拍だけ、ずれた。
「……」
誰かが声を出そうとして、やめた。
理由は分からない。
ただ、今は喋ってはいけない気がした。
その時。
沈黙を、踏み越えるものが現れた。
空は、裂け、
光が落ち、雷が鳴り響く。
世界の上に、もう一枚、違う層が載った。
空気が、別の規則で動き始める。
「……干渉、されてる」
イリスは、いち早くその気配を察知していた。
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