『セーラ』の記憶
石を積んでいる子供は、村の他の子より、
少しだけ小さく見えた。
それは背の高さの問題なのか、周囲の大人たちが、
無意識に歩調を落としているせいなのか、分からない。
顔を見ようとすると、なぜか視線が合わない。
合ったと思った瞬間、もう外れている。
井戸のそばで、セーラはその作業をしていた。
今日で何日目かは、分からない。
ただ、積んでいると、胸の奥が静かになる。
一つ、二つ、三つ。
石は不思議と崩れなかった。
そのとき、ふっと、頭の奥に音のない言葉が浮かんだ。
空いている。
理由はない。
誰かに教わったわけでもない。
けれど、セーラははっきりと思った。
「……うめなきゃ」
何を?
どうやって?
分からないまま、石をもう一つ置く。
声には出さなかった。
それが言葉にしてはいけない類いだと、なぜか分かっていたからだ。
昔、ここに何かがあった気がする。
でも、それは昨日でも、夢でも、生まれる前でもない。
思い出そうとすると、頭が少しだけ痛くなる。
だから、セーラは考えるのをやめた。
代わりに、石を触る。
冷たい。
重い。
確かに、そこにある。
──これなら、分かる。
分からないものは、置けない。
でも、分かるものなら、積める。
◆
朝の鐘が鳴る前に、人々は目を覚ました。
誰かが起こしたわけではない。
鍋に火が入り、井戸に人が集まり、
畑に出る足取りが、不思議なほど重ならない。
衝突が起きない。
視線がずれない。
争いの芽が、生まれる前に消えていく。
誰も指示していない。
誰も祈っていない。
それでも村は、一つの呼吸で動いていた。
中心が、ないはずなのに。
イリスは、再び井戸のそばに立っていた。
村人たちの視線が、自分を通り過ぎていることを、もう誤解しない。
理解したからだ。
ここに、座る場所がある。
だが、誰も座っていない。
それが空席だ。
そして、
その空席のすぐ脇で、子供が石を積んでいる。
イリスは、膝を折った。
それは祈り。服従と崇拝。
間違った場所に立たないための動作であった。
「……あなた」
小さく、確かめるように声をかけた。
「あなたがいる限り、
誰も、そこに座れない」
セーラは顔を上げた。
「?」
分からない、という顔であった。
本当に。
イリスは、その無垢さに、少しだけ安堵してしまう。
──引き返すならまだ、間に合う。
だが同時に、理解していた。
もう、始まっている、と。
【HKO観測ログ/低優先度自動記録】
・座標:辺境村落(非登録)
・異常:集団行動同期率の上昇
・原因候補:未特定
・注記:信仰対象・権威核・象徴存在、いずれも未検出
※警告:
「中心不在状態での同期は、理論上成立しない」
ログは、それ以上を記録できなかった。
なぜなら、そこに何があるかが、定義できなかったからだ。
◆
静まり返った夜。
井戸のそばで、セーラは一人、石を見ていた。
積み上げたそれは、もう塔のようになっている。
触れれば崩れるはずなのに、
なぜか、崩れない。
セーラは、ふと思う
ここ、あいてる。
でも、だれもいない。
……だったら。
石を、もう一つ置いた。
置くたびに
周りの空気が、ほんの少し、重くなった。
誰も気づかないほど、微細な変化。
だが、世界はそれを記録する。
中心候補、検出。
まだ、神ではない。
だが、もう、ただの子供でもない。
空席は、埋まり始めていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
続きが気になった方は、
そっと本棚に置いてもらえたら励みになります。




