信仰災害の核
ルシフェルは概念の神性『セーラ』を警戒していた。
理由は明確だ。
•倒せない
•封印できない
•交渉できない
•破壊すると増える
これらは、神にとって最悪の条件である。
だが世界は、神を必要とすることをやめなかった。
その事実が最初に形を持ったのは、
地図にも載らない辺境の村だった。
山に囲まれ、交易路から外れ、
戦禍も奇跡も届かない場所。
人々は、世界が何度滅びたかを知らない。
神が再構成されたことも、
層が歪み始めていることも。
ただ、ここ数日。
村の空気が、わずかに揃い始めていた。
朝の祈りの時間が、誰に言われるでもなく一致する。
畑に出る順番が、自然に決まる。
争いが起きそうになると、理由もなく言葉が途切れる。
それは誰かが指示したというより、
誰もが同じ瞬間に同じ躊躇を感じたようであった。
中心はない。
指示する者も、声もない。
だが村は静かに整っていた。
村外れの井戸のそばで、一人の子供が石を積んでいた。
名は、まだ重要ではない。
年齢も、血筋も、特別ではない。
ただ、その子の周囲では、大人たちの足取りがわずかに変わる。
怒りがそこで止まり、迷いがそこでほどける。
子供は何も言わない。
祈りもしない。
それでも人々は、無意識にその子を避け、同時に近くで立ち止まった。
誰も気づいていなかった。
そこが、“空席の中心”になり始めていることに。
その子は、石を積みながら思った。
この感じは、前にもあった気がする。
でも、それがいつかは分からない。
昨日でも、夢でも、生まれる前でもない。
ただ、空気が少しだけ重くなるとき。
大人たちが、言葉を探すのをやめるとき。
「だいじょうぶだよ」
そう言った覚えはないのに、なぜか、そう言った気がした。
石が一つ、手から落ちる。
割れなかった。
それを見て、なぜか少し、ほっとした。
◆
同じ頃。
遠い地平の向こうから、イリスの一行がこの村へ到着した。
彼女はまだ知らない。
自分が探している“兆し”が、すでにここで息をしていることを。
村人たちは、イリスを見ていた。
期待と恐れが混じった、慣れた視線。
メシアと誤認され、人々に拝まれ始めている。
──違う。
彼女は、自覚的にそう思った。
視線が、揃っていない。
自分を見ているはずなのに、ほんのわずか焦点がずれている。
背後か、足元か、あるいは自分のいない場所。
イリスは無意識に視線を落とした。
井戸のそばで、一人の子供が石を積んでいる。
その瞬間、
胸の奥で何かが音を立てて外れた。
「……そう」
それは理解ではなかった。
確認ですらない。
ただ、ここに座るはずのものが、
私ではない、と分かっただけであった。
そしてその村で、唯一、セーラを“空席”として認識した。
◆
その村で、数年前に疫病が流行ったことがあった。
最初は、ただの病気だった。
しかし、奇妙なことが起きた。
祈った者の多くが助かり、
祈らなかった者は、誰も助からなかった。
神名は揃っていない。
祈りの内容も一致していない。
司祭もいない。
奇跡的治癒が起きたわけでもない。
ただ、祈った者だけが生き残った。
村人は、後からそう言った。
「祈ったから救われたんじゃない。
救われるべき者だけが、祈れたんだ」
その言葉は、神話でも宗教でもない。
ただの噂話のように、村の中を流れた。
だが、その噂が広がるほどに、
村は少しずつ変わっていった。
◆
酒場の旅人、交易の途中の巡礼者、
そして辺境の子供たちが、話を運ぶ。
「祈らない少女がいるらしい」
「神の話をされると首を傾げる」
「祈りの場で黙っているのに、最後まで残る」
それは、神話未満の“奇妙な話”だった。
だが、人々はそれを、少しだけ恐れた。
ある者が、訊ねた。
「どうして祈らないの?」
少女は答えた。
「だって、いないところに向かって言うでしょ。
ここ、あいてるよ?」
誰も意味が分からなかった。
だが、その言葉が、人々の心に引っかかった。
イリスは、のちにこう語る。
「この子は、救わない。
でも、この子がいるから、誰も座れない」
そして、夜。
村外れの井戸のそばで、誰にも見られず。
イリスは、跪いた。
「……だめだよ、そこ。
誰もいない場所だよ?」
子供は困ったように首を傾げた。
「だからだよ」
イリスは静かに答えた。
そして…少女は後に神性となる。
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