聖地
その都市は、地図から消えなかった。
周囲の地域が歪み、沈み、燃え尽きる中で、
そこだけが「残った」。
理由は、誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、
あの光が降りた場所だということだけであった。
瓦礫は多い。
死者も、少なくない。
だが、破壊は途中で止まっている。
崩れかけたビルは、倒れずに踏みとどまり、
裂けた大地は、それ以上広がらなかった。
人々はそれを、
慎重に「奇跡」と呼び始めた。
最初に声を上げたのは、老人であった。
「神が、ここを選んだんだ」
誰も反論しなかった。
なぜなら、
選ばれなかった場所が、
確かに存在していたからだ。
◆
数日後。
都市の中心部、
かつて交差点だった場所に、
人が集まり始めた。
理由は単純だ。
そこが、光が降りた地点であった。
舗装は溶け、信号機は傾き、
何も整っていない。
それでも、人はそこへ向かう。
言葉は、自然と揃っていった。
「助けてくれて、ありがとう」
誰に向けたのかは、
誰も問わない。
やがて、変化が起きる。
その場所では、通信が安定した。
壊れていた端末が、なぜか動いた。
傷が、僅かに治りやすいという噂が流れた。
真偽は分からない。
だが、人は意味を見つけたがる。
意味がなければ、
生き残った理由に、
耐えられないからだ。
子供が言った。
「ねえ、また来るかな」
母親は、答えなかった。
否定できなかったからではない。
期待してしまった自分に、
気づいたからだ。
都市の外れでは、
別の現象も起きていた。
他の地域から、傷ついた人々が流れ込んでくる。
家族を失った者もいる。
「選ばれなかった」場所から来た者たち。
彼らは、街に入ると、
同じことを言う。
「……ここは、静かだ」
完全な安全など、どこにもない。
だが、この都市には、
破壊が来なかった記憶が残っている。
それが、人を呼ぶ。
いつの間にか、呼び名が変わった。
「生存都市」
「光の街」
「選別地」
そして、誰かが口にした。
「聖地」
その言葉は、早すぎた。
だが、
否定されなかった。
日が暮れ始める。
即席の灯りの下で、人々は語る。
「あの時、声が聞こえた」
「何も言ってなかったはずだ」
「でも、確かに“恐れるな”って」
記憶は、少しずつ揃っていく。
事実ではなく、
物語として。
瓦礫の隙間で、
少女が空を見上げていた。
あの日と同じ場所だ。
同じ光は、もう来ない。
それでも、彼女は待っている。
救われたからではない。
見られたと、
思ってしまったからだ。
都市は、まだ復興していない。
だが、すでに「意味」を持ってしまった。
それは、祝福ではない。
神が、
世界に残した足跡であった。
踏まれた場所が、
聖地になるというだけの話だ。
◆
冥界。
地上の災害は、ここには届いていなかった。
黒い空は裂けず、
血の海も波立たない。
悪魔たちは、
遠隔観測の光を眺めている。
「止めたな」
「うん。壊すの、やめただけ」
「……優しいじゃないか」
誰かが笑った。
「違うさ。
あれは慈悲のふりだ」
別の声が続く。
「人間は、ああいうのを見ると、
次もあると思う」
沈黙。
「聖地とは、
人類が意味を押し付け始めた地点を指す」
──つまり。
「信仰災害の起点となる可能性が高い」
誰も反論しなかった。
冥界は無傷だ。
天界は、まだ機能していない。
だから。
次に世界が期待するのは、
神でも、救済でもない。
“もう一度”だ。
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