救われた都市
都市は、まだ立っていた。
それだけで、奇跡であった。
半壊した高層棟の外壁に、崩れかけた高速道路が引っかかるように残っている。
舗道は割れ、信号機は傾き、空には焦げた雲がゆっくりと流れていた。
だが、ここは消えていない。
人々は、最初それを理解できなかった。
瓦礫の隙間から這い出てきた者。
地下シェルターの扉を、恐る恐る押し開いた者。
誰もが、同じ動きをした。
まず、空を見る。
燃えていない。
凍ってもいない。
崩れてすらいない。
ただ、歪んでいるだけだ。
「……生きてる?」
誰かが、独り言のように呟いた。
返事はない。
だが、同じ確認を、周囲の全員が胸の内で繰り返していた。
なぜ、ここだけが残った?
隣の都市は、地図ごと消えた。
通信も、救難信号も、途中で途切れた。
衛星映像では、存在していたはずの区画が、白抜きになっている。
それなのに。
この都市は、まだ重力を保ち、
空気を保ち、
時間を刻んでいる。
広場では、自然発生的に人が集まり始めていた。
泣き崩れる者。
抱き合う者。
膝をつき、祈り始める者。
「助かった……」
「神様が……」
「選ばれたんだ……」
その言葉に、誰もはっきりとは頷かない。
祈っていなかった者も、生きている。
善人も、そうでない者も、区別なく。
選別の基準が、どこにも見当たらない。
瓦礫の影で、少女が立ち尽くしていた。
彼女の足元には、潰れた玩具と、動かない大人の手。
少女は泣いていない。
空を見上げている。
まるで、
見られているかどうかを、確かめるように。
その時であった。
遠くで、雷が鳴った。
だが、落ちない。
光だけが走り、音が遅れて消える。
人々が、一斉に息を止める。
都市の外縁。
かつて境界線だった場所で、破壊が止まっている。
まるで、線を引いたかのように。
「……ここまで、なのか」
誰かが呟く。
それは安堵ではなかった。
確認でもない。
問いであった。
なぜ、ここまでなのか。
なぜ、続かなかったのか。
なぜ、今、止まっているのか。
答えは来ない。
ただ、空がある。
歪んだままの空が、静かに覆っている。
人々は理解し始めていた。
これは終わりではない。
回避でも、勝利でもない。
一度、見逃されただけだと。
その認識が、都市に重く沈んでいく。
祈る者の声は、次第に小さくなり、
代わりに、誰も言葉を発さなくなる。
救われたはずの都市に、
説明できない恐怖だけが残った。
──神は、来た。
だが、去ったとは、
誰も言えなかった。
◆
空が、わずかに明るくなった。
太陽ではない。
雲が晴れたわけではなかった。
光が、意味を変えた。
瓦礫の影が、ゆっくりと薄くなる。
倒壊した建物の断面から、焼け焦げた匂いが消えていく。
壊れたはずの道路に、
亀裂がこれ以上広がらない。
崩れかけていた橋が、音もなく安定する。
誰かが、震える声で言った。
「……止まった」
空に、声があった。
響き、つまり音ではない。
理解として、
直接流れ込んでくる言葉。
『恐れるな』
名も告げない。
理由も語らない。
赦しとも、
約束とも取れる、曖昧な一文。
だが、
空間が、それに従った。
破壊は止まり、
余波は収束し、
都市は「存続可能」という状態に、
押し込められる。
人々は、膝をついて、
その場に崩れ落ちる。
誰もが、同じ結論に辿り着く。
神が、見ていた。
そして、
見逃された。
だが、少女だけは、
空を見上げたままだった。
その光が、
温かいのか、
冷たいのか、
判断できなかったから。
◆
Σ7・災害制御ログ(抜粋)
【再計測完了】
【対象:LUCIFER】
【行動種別:局地的安定化干渉】
注記。
本事象は救済ではない。
破壊の停止であり、回復ではない。
【影響範囲】
・選択的都市単位
・基準不明
・再現性なし
【観測結果】
対象は、以下の行動を確認。
・世界破壊:継続可能
・破壊停止:任意
・説明責任:放棄
【結論】
LUCIFERは、
世界を壊したのではない。
壊すかどうかを、
選んだ。
【追加注記】
救われた都市において、
以下の異常を確認。
・観測抵抗値:上昇
・信仰発生率:急増
・恐怖反応:沈静化せず
当該都市は、
今後、象徴的観測点となる可能性が高い。
【危険評価】
神が、
慈悲を演出した場合。
世界は、
それを拒絶できない。
Σ7は、処理を継続する。
これは希望ではない。
だが、終末でもない。
最悪なのは、
神が管理を始めた場合である。
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