決意
旧・観測施設跡
瓦礫に埋もれた観測施設は、すでに機能を失っていた。
だが、記憶だけが、まだ残っている。
崩れた天井の隙間から差し込む光が、埃を照らす。
壁一面に残された古い数式、手書きのメモ、消しかけたログ。
世界を、観測で縛ろうとした痕跡。
その中央に、オルドは立っていた。
「……ここに来ると思っていた」
振り返らずに、そう言う。
背後で、微かな足音がした。
人間のものだ。だが、完全に人間とは言い切れない重さ。
「昔話をしに来たわけじゃない」
その声に、オルドはわずかに目を細めた。
「ジュリアン……戻ったのか」
「完全には戻っていない。
失敗したまま、終われなくてな」
ジュリアンは、自分の手を見る。
指先は人間の形をしている。
だが、内部に残る異物感は消えていない。
「私が人間を捨ててまで止めようとした存在を、
結局、現世に行かせてしまった」
拳が、震えた。
「……悔やんでいる」
オルドは、何も言わなかった。
ただ、崩れた観測端末の上に手を置く。
「ここで、お前は一度世界を止めた」
「違う。止められなかった」
ジュリアンは顔を上げる。
「だから、もう一度やる。
今度は観測者じゃない」
その言葉に、オルドの視線が鋭くなる。
「……戦う気か」
「他に方法があるなら教えてくれ」
沈黙。
そして、オルドは静かに告げた。
「ある。だが戻れなくなる」
ジュリアンは、笑った。
「一度、捨てた身だ」
箱庭アプリ旧サーバールーム
二人が辿り着いた地下空間には、
稼働していないはずのサーバー群が並んでいた。
電源は落ちている。
冷却音もない。
それなのに——
一部のモニターだけが、勝手に点灯している。
【ERROR】
【観測不能領域:拡大中】
【箱庭整合率:破損】
赤い文字が、終わりなく流れていた。
「……まだ、動いている」
オルドが呟く。
「いや」
ジュリアンは首を振った。
「死んだまま、惰性で回っている」
彼は端末に手を伸ばした。
触れた瞬間、皮膚の下で何かが沁みるように痛む。
「オブジェクト化の副作用か……」
画面に、見覚えのある項目が浮かび上がる。
【残存効果:有】
【肉体安定率:低】
【権限:開発者残骸】
オルドの声が低くなる。
「それを使えば、
お前は箱庭に喰われる」
「構わない」
即答であった。
「カイの時と同じ方法だが、
私は完全な生体じゃない。
効果は違う」
ジュリアンは、モニターを見据える。
「私の身体は溶けない。
代わりに、時間が削れる」
オルドが、初めて感情を滲ませる。
「……死ぬぞ」
「……そうだな」
ジュリアンは、静かに言った。
「今度は、逃げない」
サーバールームの奥で、
ログが一瞬だけ止まった。
【観測対象:ルシフェル】
【距離:接近中】
「ライナスと連絡を取る。
世界と箱庭の後始末は、俺がやる」
オルドは、ゆっくりと息を吐く。
「……頼むよ」
そう言ってジュリアンは、背を向けた。
扉が閉まる。
「ジュリアン」
その直前、オルドは言った。
「止められなかったら?」
ジュリアンは、振り返らずに笑った。
「その時は……
観測される前に、消えるさ」
扉が閉じる。
サーバールームに、再びエラーログが流れ始めた。
世界は、静かに、
次の動を待っていた。
──制限付き強化・肉体改変。
地下施設を出た瞬間、ジュリアンは膝をついた。
息が、重い。
肺が酸素を拒絶しているわけではない。
時間が、身体から抜け落ちていく感覚だった。
「……これが、残存効果か」
かつて自分が“オブジェクト6666”として封じ込められていた名残。
人間に戻ったはずの肉体は、完全ではない。
心拍は一定。
血圧も正常。
だが、存在の輪郭だけが薄い。
「寿命を燃料にする身体、か」
ジュリアンは苦笑する。
それでも、恐怖はなかった。
箱庭内部・非公開レイヤー
意識を沈めると、
そこにはかつて何度も見た設計空間が広がった。
数式。
権限階層。
ステータス定義。
すべて、自分が作った檻だ。
「カイは、これを外側から破った」
彼は、自分のログを開く。
【肉体改変:許可】
【強化方式:一時的】
【代償:不可逆】
警告文が、赤く点滅する。
【推定稼働時間:不明】
【上限突破:不可】
ジュリアンは、迷わなかった。
「これでいい」
指を動かす。
【実行】
肉体改変・開始
骨が、軋む。
だが、折れない。
再構築されている。
筋肉は膨張しない。
代わりに、密度だけが異常に高まる。
皮膚の下で、微細な光が走った。
箱庭演算。
だが、カイの時とは違う。
ジュリアンの強化は、
ステータスの爆発ではない。
「制限付き最適化」
・反応速度:人間限界+α
・知覚精度:観測者級
・出力:神未満
・耐久:不可
「……殴り合いか、長くはできないな」
彼は理解していた。
自分は、ルシフェルに勝てない。
正面からは。
ジュリアンの結論
「なら、勝つ必要はない」
彼が選んだのは、
対抗ではなく、干渉であった。
ルシフェルは、神になった。
だが、
「神は、完全な存在じゃない」
観測されなければ、存在は揺らぐ。
観測点を歪めれば、力は鈍る。
「私は……
お前の確信を壊す」
ジュリアンは、最後の制限を解除する。
【観測者モード:一部解放】
【対象限定:ルシフェル】
【視認距離:必要最小限】
寿命が、さらに削られる。
だが、彼は笑った。
「慢心していろ、ルシフェル」
その頃……ルシフェル。
空域の中心。
誰も届かない場所で、
ルシフェルは玉座にもたれかかっていた。
「……人間か」
興味すら、ない。
神になった今、
人も、悪魔も、AIも——
同列ですらない。
「足掻くなら、足掻け」
彼は、目を閉じる。
「観測者気取りが、
神に触れられると思うな」
わずかな違和感。
ほんの一瞬、
自分が観測された気がした。
ルシフェルは、眉をひそめる。
「……気のせいか」
彼は笑った。
「どう足掻こうが、
もう遅い」
だが。
世界のどこかで、
寿命を削りながら歩く一人の人間がいる。
神に勝つためではない。
神を、神でいさせないために。
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