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不可逆選択

 音がなくなった。

 正確には、

 音が消えた。


 冷蔵庫の低い駆動音も、

 遠くを走る車の気配も、

 壁の向こうの生活音も。


 世界が、息を止めた。


 本城清隆はそれに気づいていなかった。

 気づけなかった。


 スマートフォンの画面が暗転し、再び点く。


 その縁に、何かが座っていた。


 小さい。


 あまりにも小さく、

 それが「現実に存在してはいけないもの」だと

 脳が認識するまでに、時間がかかった。


「……な、何だ」

 声が、掠れた。


「叫ぶ必要はない」

 

 低すぎる声。

 鼓膜ではなく、

 頭の奥で直接鳴るような声であった。


「もう、終わっている」


「お、おわ……」

 清隆は、ゆっくりと後ずさった。

 椅子が倒れた。

 だが、その音も聞こえなかった。


「アガレス」


 小さな悪魔はそう名乗った。

 淡々と。

 感情の起伏なく。


「今回の最小単位召喚で発生した、結果だ」


「結果……?」


 アガレスは、答える代わりにスマートフォンの画面を指先で叩いた。


 表示が切り替わる。


【選択:YES】

【状態:確定】

【取消:不可】


「取り消してくれ」

「無理だ」


「YESを押しただろ」

 低い声が、静かに断定する。


「選択は、行為じゃない。状態だ」


 清隆の喉が鳴った。


「……じゃあ、何が起きる」


「もう起きている」

 アガレスは、首を傾げた。

 その動きは、

 人間の模倣として、わずかに間違っていた。


「君は、誤解している」


「これは“これから”じゃない」

「すでに世界に反映されてしまったものだ」


「誰が死ぬ」

「誰が壊れる」

「誰が狂う」


「それらは、まだ観測されていないだけだ」


「……止められるんだろ、俺が」

 清隆は、震える指で机を掴んだ。


「止める?」

 アガレスは、初めて笑った。

 音のない乾いた笑み。


「君は火をつけた人間に、

 どの家が燃えるか選べると思うか?」


 清隆の視界が、ぐらぐらと揺れる。


「君が選んだものは、不可逆だ」

 そう言いながらアガレスは、清隆の肩に乗った。


 軽い。

 信じられないほど軽い。


「安心しなよ」


「君が殺される事も、

 直接、誰かを殺すこともない」

 低い声が、耳元で囁く。


「ただ」


 一拍。


「君が存在する限り、

 世界はその方向に補正され続ける」


「……俺は、何なんだ」

 清隆は、息を吸えなかった。


「最初の一人だ」

 即答であった。


「例外」

「起点」

「そして……もう戻れない側だ」


 世界が、再び音を取り戻す。


 冷蔵庫が唸り、

 遠くで車が走り、

 日常が帰ってくる。


 だが。


 清隆だけが分かっていた。


 何も終わっていないことを。

 何一つ、始まっていないことを。


 そして、

 自分が、どれほど絶望的な場所に立たされたのかを。


 ──うわああああああああ!!


 清隆は不安を堪えきれずに叫び出した。


「お前なんか存在しない!」


 肩に乗った小さな異物を清隆は両手で掴んだ。

 そして、握り潰そうとする。


 だが、硬くてびくともしない。


「ちっくしょう」

 清隆は諦めて手を離す。


 アガレスは、反応しなかった。

 清隆が何をしようとしているのか

 理解する必要がない、という態度であった。


「壊す行為も、選択に含まれる」

 彼は無表情にそう告げた。



 ◆



 それから本城清隆の日常は、

 音もなく、小さく、少しずつ壊れていった。


・スマートフォンのインカメラに、自分の背後が一瞬映る

・エレベーターの鏡に、一人多い

•コンビニの防犯モニタで、全員が同じ方向を見ている

•信号機の歩行者カウントが、負の数字になる


•自分の名前を入力すると、予測変換に「未選択」が出る

•銀行ATMで暗証番号を入れると、回数制限が表示されない

•自分の顔認証が通らず、「該当なし」と表示される


 ──世界が壊れているのではなく、

 自分が、世界から外れていく。


【事象記録】


発生時刻:02:14

発生地点:東京都◯◯区


内容:

対象人物は、自身の部屋で安静状態にあった。

外傷なし。

争った形跡なし。


発見時、対象は

「自分が選ばれた理由が分からない」

という発言を、繰り返していた。


精神状態は急激に崩壊。回復不能。

終末状態になる。対話は成立しない。

医療介入は無効。


備考:

当該事象は侵攻に該当しない。



 清隆は恐る恐るニュース通知を開いた。


「……う、うそだ」


 表示される被害者の発言、映像、状況。

 その全てが、

 アガレスの言葉と一致していた。


 清隆は何もしていない。


 彼は半ば錯乱しかけたまま、

 スマートフォンの画面を閉じる。


 だが、

 通知は消えなかった。


「ほら」


「君は、もう関係者だ」

 アガレスは冷ややかに告げた。


お読みいただき、ありがとうございました。

続きが気になった方は、

そっと本棚ブクマに置いてもらえたら励みになります。

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