箱庭アプリ
それは、もともと「神のための管理画面」であった。
人間にはゲームに見え、
悪魔には檻に見え、
そして、ルシフェルにとっては、現世へ至る唯一の窓となった。
箱庭アプリ。
世界と世界の間に浮かぶ、仮想とも現実ともつかぬ中間領域。
法則を書き換え、因果を遅延させ、神や魔すらログとして扱うための装置。
だが今、その最上位権限は空席であった。
──否。
「……まだ、生きてるな」
観測端末の向こうで、ライナスは小さく呟いた。
HKOのΣ7として、そして魔神レヴィアタンとして。
彼だけが『箱庭の深層』に触れる資格を保持していた。
画面に浮かぶのは、かつて彼自身が施した制限コード。
【干渉制限:ON】
【強制召喚:LOCK】
【魔神級侵出:DENY】
すべて、ルシフェルのために張った檻だ。
神が現世を壊さないための、最後の安全装置。
「……十四周期」
ルシフェルが待ち続け、成せなかった現世侵出。
それを、スルトたちが力押しで越えられるはずがない。
だからこそ、彼らは、苛立ち、怒り、選択を誤る。
ライナスは指を止めた。
解除すれば、箱庭は再び「アプリ」に戻る。
命令も、制裁も、強制力も持つ管理ツールへ。
それは彼が神になることと同義であった。
画面に映る冥界座標。
そこには、万魔殿で暴れるスルトの魔力反応が、警告色で点滅している。
ライナスは、プロテクト解除ではなく書き換えを選んだ。
【干渉制限:PARTIAL】
【選択補助:ON】
【強制命令:OFF】
箱庭は、誰の命令にも従わない代わりに、
選ばれた結果だけを世界に反映する仕組みに変わった。
箱庭アプリは、命令を下さない。
だが、選択の結果だけは、等価で回収する。
万魔殿の魔神たちの前に、見慣れぬ通知が走った。
【箱庭システムより】
【現世侵出:条件未達】
【代替経路:人間側召喚を推奨】
「……なぜだ」
スルトが猛獣のように唸る。
「タナトスとアグラトは、単独で現世に干渉できた」
「なぜ我々は行けない!?」
ヒュプノスは答えず、表示を読み解いていた。
「行けないのではないわ」
パンドラが代わりに答える。
「多分、許可されていないだけ」
「許可だと?」
「ええ。これは命令じゃない。強制でもない」
「──選択肢よ」
円卓を埋め尽くす悪魔たちは沈黙していた。
表示された文言の意味を理解できている者が、ほとんどいなかったからだ。
「終端未確定調整因子」
ヒュプノスが、ようやく口を開いた。
「この場にいない冥界の管理者、ハデス様とペルセポネ様は……」
彼は一瞬、言葉を切る。
「すでに裁定権限を、この系から退いておられる」
「冥界は管理をやめたのよ」
パンドラは静かに言った。
「死を量る者が、選択に介入すれば、それはもう結果じゃない」
「神でも、悪魔でもない」
「系そのものが、結果を最適化し始めている」
オノケリスの手が震える。
「では……私たちは……」
「侵攻したいなら」
ヒュプノスは淡々と告げる。
「人間に“選ばせる”しかない」
沈黙。
侵攻、支配、どちらでもなかった。
人間の理解と代償を伴う選択だけが、通行証になる。
(これでいい)
遠く離れた観測室で、ライナスは目を伏せた。
(悪魔は選ぶ)
(人間も選ぶ)
(その結果だけを、世界が回収する)
箱庭アプリは、再起動した。
神のいない世界のための、管理画面として。
【SANDBOX SYSTEM】
【因果安定度:臨界点超過】
【自律調整フェーズへ移行】
制限は破られない。
書き換えられる。
スルトは動けない。
だが、縛られてもいない。
「……召喚は、可能です」
「条件付きで」
「選ばれた人間が、代償を理解した場合のみ」
「条件付きだと……」
スルトは吐き捨てる。
「そんなもの、戦争ではない」
その瞬間、悪魔たちは理解した。
これは戦争や支配ではない。
世界が、人間に問いを投げたのだ。
(……始まったな)
• 箱庭は命令しない
• 欲望にも従わない
• 観測された結果を、ただ最適化する
万魔殿に、UI的なノイズが走る。
「……干渉ではなく更新だ」
ヒュプノスが呟く。
「更新?」
マグナが首を傾げる。
(ああ……)
(これはもう、オレの箱庭じゃない)
ライナスは嘆きとも恍惚とも取れる表情で呟いた。
そして、それでも止めなかった者として、その場を見つめていた。
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