選択に向かう兆候
(さて……)
ライナスは魔神レヴィアタンとして、そして更に剣士レイエスのアバターに転移し、箱庭を経由して冥界へ入った。
今や現世と地続きの冥界だからこそできる方法であった。
嫉妬を司る七大魔王レヴィアタンことレイエス、
つまりライナスは何食わぬ顔で、悪魔と人間のハーフであるさすらいの魔剣士として万魔殿に入り、
魔神、悪魔たちの会議控え室に混ざった。
多くの悪魔たちがルシフェルの裏切り、単独離脱行為とも言える状況に憤り、
続々と万魔殿に集結してきていた。
(静かだな)
そのような状況で、いつもなら万魔殿は、魔力のざわめきで満ちているはずであった。
だが今回は違う。誰もが声を潜め、互いの視線を探り合っている。
悪魔の皇帝が去った、その事実が、ここまで露骨に空気を変えるとは。
ルシフェルは何も言わず、何も残さず箱庭世界から消えた。
だからこそ、悪魔たちは理由を欲しがる。
裏切りか、計画か、あるいは——失敗か。
その理由の視線が、今はこのオレの剣士の姿に向けられているのも、想定内だ。
人間の血を引く魔王レヴィアタン。
仮の肉体を好み、万魔殿に常駐しない風来坊。
(……行くか)
万魔殿には続々と名だたる悪魔たちが到着していた。
オノケリスはルシフェルの秘書であったが故に、
捨てられた、そんな感覚に支配され、意気消沈していた。
他の悪魔たちも多かれ少なかれ同じような気持ちであった。
その中で、ヒュプノスは物腰柔らかな青年の姿でこの状況を分析し、あらゆる可能性を考えていた。
「気を落とさないで、オノケリス」
「ヒュプノス様…ありがとうございます」
そこへヒュプノスお付のマグナが横槍を入れる。
「ヒュプノス様! いついらしたのですか!? このマグナを差し置いて浮気ですかあ」
「マグナ、久しぶりだね」
他方では、
「これは、レヴィアタン様。剣士の姿のまま来られたのですか」
小さなインプがライナスに話しかける。
「大分ご無沙汰している間に、色々やばいことが世界に起こっていると聞いてね。たまには顔を出しておこうかなと」
「ええ、ええ…今は未曾有の危機的状況、魔王レヴィアタン様のお力が必ずや必要になるでしょう」
だが、万魔殿の上層ではレイエスを人間のハーフとして、怪しむ、信用しない向きもあった。
本質が魔王レヴィアタンであることはすぐに分かるが、
人間の血が入った姿を好んで常に取ることに不快感を抱く悪魔は一定数いた。
「なぜ、本来の蛇竜の姿を取らないのか、なぜ仮の姿でいつもいるのか」
「あの剣士の姿を気に入っていると言っていた、人間に取り入ることが多いペテン師のあいつらしい」
そういった声がたまにあがる。魔王レヴィアタンの悪魔界における信頼度は最低であった。
円形の会議場に、重い魔力が満ちていく。
魔神、魔王、上位悪魔たちが次々と席に着き、その中心に空席が一つ残されていた。
かつてルシフェルが座していた玉座だ。
「……議事を始めます。
わたくしルシフェル様の代理として、暫定議長を務めさせて頂きます。
これは、ルシフェル様の意志ではなく──万魔殿としての生存判断です」
オノケリスがそう言った瞬間、誰かの視線がレヴィアタンこと剣士レイエスへ向けられた。
「まず聞こうか、レヴィアタン」
同じ七つの大罪の魔王ベルフェゴールの低い声が響く。
「なぜ貴様は、その姿を保ち続ける?」
別の悪魔たちも鼻を鳴らし、口々に異議を唱える。
「魔王でありながら、人の形を選ぶ理由が分からん」
「人間の血を混ぜた存在など、我らの中では異端だ」
ライナスは肩をすくめるだけであった。
「理由が必要かい?」
穏やかな声で返す。
「この姿のほうが、話が早い。それだけだ」
ざわめきが広がる。
誰かが苛立ちを隠さずに言った。
「話が早い? 誰にだ、
人間か? それとも……ルシフェル様か?」
一瞬、空気が張り詰めた。
「そう、人間や力の弱い存在と交渉する時などに便利でね」
ライナスは、それ以上否定もしなければ肯定もしない。
ただ、空席を一瞥してから、淡々と続けた。
「勘違いしないでほしい」
「オレは、ルシフェル様の代わりを名乗り出るために、ここに来たわけじゃない」
その一言で、会議場のざわめきが、わずかに質を変えた。
──万魔殿の評議の間は、久しくないほどざわついていた。
古き名を持つ悪魔たちが円卓を埋めるが、誰ひとりとして主座を見ようとしない。
そこに座るべき存在が、もう戻らないと知っているからだ。
「ふざけるな。我らは、何のために地獄を守ってきた?」
沈黙を破ったのは、炎の巨躯を持つ魔神スルトだった。
「ルシフェル様が地上に降りたと思えば、何もせず、何も奪わず、何も与えずにただ去っただと? それを“選択”と呼ぶのか!」
スルトの魔力が噴き上がり、壁の紋章が赤く灼ける。
数名の悪魔が反射的に防御結界を展開した。
「裁かぬ神など、神ではない。
導かぬ王など、王ではない!
あれは逃げたのだ、我々を……この世界を、見捨ててな!」
スルトの咆哮に、感情が連鎖する。
怒り、恐怖、裏切られたという感覚。
誰かが口を開こうとした、その瞬間。
「感情の熱量は理解できます」
柔らかな声が、炎の激流を切った。
眠たげな微笑を浮かべた青年、眠りを司る魔神ヒュプノス。
「ですが、破壊的結論に飛びつくのは早計でしょう。
何もしなかったという事実を、まず正確に観測すべきです」
「観測だと?」
スルトが睨みつける。
「観測している間に世界が崩れるぞ」
「崩れたのは、世界ではありません」
ヒュプノスは静かに返す。
「神がいつでも介入するという前提です」
間に割り込むように、甲高い声が響いた。
「ちょっとちょっと! 理屈はいいけどさぁ!」
マグナが身を乗り出す。
「じゃあ私たちは何? 捨て子?
現世の神になったルシフェル様の、過去の部下たちはもう用済み?」
場が再びざわつく。
感情は理性を押し流し、議論は崩壊寸前であった。
パンドラは円卓を一周見渡し、最後にぽつりと言った。
「皇帝が去ったことを嘆くよりも、
本当に恐れるべきなのは……」
一拍。
「神がいなくても、
なお神を欲しがる人間が残っている世界では?」
「そうだな、現世に侵出して支配するか、命令など無視して我々の手で」
血の気の多いスルトが拳を片方の手のひらに叩き込む。
(これでいい。
共存は、信念から「疑問」に落ちた。
あとは──選ばせるだけだ)
剣士レイエスの姿をしたライナスだけが、
ほんのわずかに、口角を上げていた。
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