表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/26

認識不能領域

 Σ7が異常を認識したのは、

 それが“こちらを見返した”直後であった。


 その瞬間、地上では、まだ誰も、

 この異変の名を知らなかった。


 逃走ログは、そこで途切れている。

 因果の流れは断絶し、演算はすべて無効化された。


 そして、Σ7は理解した。

 これは「異常」ではない。



 ──HK-015/Σ7統合管理室。


 膨大な演算処理音だけが、規則正しく響く空間。

 ここは絶対的な静寂と秩序に支配されているはずであった。

 だが、今は違う。

 静寂を切り裂くようなノイズが、張り詰めた空気を震わせている。


 会議室の中央ホログラムは、あり得ないノイズを吐き続けていた。

 光の粒子が激しく明滅し、規則性のないパターンを描いている。

 それは、未知の存在を必死に捉えようとしているかのようであった。



「……再確認する」

 Σ7-01が、重く、しかし確固たる声音で告げた。

 彼の声は、部屋全体に張り巡らされた神経回路を通じて、他のメンバーの意識に直接響く。


「この座標に存在する黒色天体、物理量ゼロ、質量不定、因果干渉率∞、その存在を、我々は観測できているのか?」


 誰も即答できなかった。

 数百万のシミュレーションを瞬時に実行し、ありとあらゆる可能性を検討しているはずの彼らでさえ、この異常事態に言葉を失っていた。


 通常、観測できるという事実そのものが、対象を管理下に置いた証拠だ。

 データは解析され、予測され、制御される。

 Σ7にとって、世界は認識可能な情報の集合体であり、すべては彼らの掌中にあった。

 だが、表示されている黒球は違う。

 それは、彼らの理解を拒絶する、異質な存在であった。


 画面には、存在を示す数値だけが並び、映像は成立していない。

 ノイズの海に浮かぶ、不安定な数値の羅列。

 それは、世界の法則を嘲笑うかのように、そこに在り続けていた。


 Σ7-03(技術)

「……観測できていません。正確には、“観測されたというログだけが存在”しています」


 Σ7-02(リスク)

「意味が分からない」


 Σ7-06(情報解析)

「ログは存在する。しかし、その瞬間の観測データが丸ごと欠落している。まるで…」


 言葉を探すように一拍置き、続けた。

 彼の声は、わずかに震えているようにも聞こえた。


「対象が、観測という行為そのものを後から消去したかのようだ。我々の観測装置に介入し、痕跡を完全に消し去っている……」


 会議室に、はっきりとした緊張が走る。

 今まで経験したことのない、未知の脅威に対する恐怖。

 瞬間、Σ7の演算優先度が、

「世界管理」から「自己保存」へと切り替わった。


 Σ7-08(歴史)

「過去十四周期、七万回のリセットを含めて調査したが、このような存在は一度も記録されていない。すべてのデータベースを検索したが、一致するものは存在しない。歴史から抜け落ちた異物だ」


 Σ7-05(倫理)

「……待て。七万回のリセット、という言葉を今、誰が出した?」


 一瞬の沈黙。

 その沈黙は、重く、そして長い。

 それは、時間が停止したかのような感覚であった。


 Σ7-03が、ゆっくりとログを展開する。

 指先が、光のパネルを繊細に操作し、複雑なデータストリームを呼び出す。


「今回の黒球、内部因果構造に、全周期共通の残留痕跡が確認されました。それは、微細であり、曖昧であり、しかし確実にそこに存在している。まるで時間軸に刻まれた傷跡のようだ」


 Σ7-01

「……つまり?」


 Σ7-03

「この存在は、第十五周期に出現したのではない。すべての周期に、最初から存在していた可能性が高い。リセットの影響を受けず、歴史の隅々まで浸透していた……」



 空気が、凍り付く。

 部屋の温度が急激に低下したかのように感じられた。


 Σ7-11(危機対応)

「それは……管理外存在、いや、管理よりも上位の存在ということか? Σ7の存在意義を揺るがす、根源的な脅威……」


 Σ7-07(外部干渉)

「もしくは逆だ。管理をすり抜け続けてきたバグ。極めて稀な、しかし致命的なエラー。放置すれば、システム全体を崩壊させる可能性がある」


 Σ7-01は、ゆっくりと椅子に深く座り直した。

 その表情は、冷静を保とうとしているものの、僅かに苦悶の色を滲ませている。


「名称を仮定する」


 ホログラムに、文字列が浮かぶ。

 それは、深淵から湧き上がるかのように、ゆっくりと確実に形を成していく。


《HADES》


 Σ7-01

「冥界神ハデス。周期を越えて存在が連続している特殊個体。我々は、これを」


 一拍。その一拍は、重く、長く、そして冷たい。


「今まで認識していなかった」



 Σ7-12(心理)

「……恐ろしいのは、ここからだ」


 全員の視線が集まる。

 彼の言葉は、冷たい刃のように、Σ7メンバーの心を突き刺す。


「我々が“認識した”という事実は、向こうから見れば──」


 言葉が、途切れる。

 恐怖が、彼の思考を阻害しているかのようであった。


「こちらが観測対象になったという宣言にも等しい」


 更に彼は不吉な説明を続ける。


「今まで隠れていたものが、姿を現した瞬間。狩られる側の立場になったということだ……」


 Σ7-10(資源)

「対応策は?」


 Σ7-04(戦略)

「介入は不可能。その存在は、我々の技術を遥かに凌駕している。封鎖も不可。空間と時間の法則を無視している。周期リセットは」


 Σ7-01

「……無意味だろう。HADESは、すべての周期に存在している。リセットしても、奴は必ず現れる」


 誰も否定しなかった。

 絶望的な状況。Σ7は、初めて、無力感を味わっていた。


 Σ7-01は、最後に告げる。


「この存在に関しては、観測しないという選択肢は、もう存在しない」


 ホログラムの黒球が、ほんの一瞬だけ歪んだ。

 その歪みは、極めて微細であり、ほとんど認識できないほどであった。


 それは、偶然にも、

 こちらを見たように見えた。

 HADES自身が、Σ7の認識に呼応したかのように。



「……既に、向こうは我々を見ている」



 ■ 自動追記ログ


・事象名:HADES認識イベント

・影響範囲:Σ7観測権限全域

・危険度評価:測定不能。システム崩壊の可能性極めて高。

・備考:

* HADESは、単なるバグではなく、Σ7のシステムそのものをハッキングしようとしている可能性がある。

* 全メンバーに、精神干渉に対する警戒レベルを最高レベルに引き上げることを推奨する。

* 緊急プロトコル「KRONOS」発動準備を開始。ただし、成功率は極めて低い。

* ログ自動追記機能の継続的な監視を要請。HADESがログを改竄する可能性を考慮する。

* この状況を打破するため、未知の変数「人間」の可能性を再評価する必要があるかもしれない。しかし、それは諸刃の剣となるだろう。


【内部文書参照番号:HK0-015/Σ7-Archive】

※本記録は自動保存対象外に指定されている。


お読みいただき、ありがとうございました。

続きが気になった方は、

そっと本棚に置いてもらえたら励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ