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自己進化─神話の更新

 現実世界内に固定された神は、

 まだ、動いていなかった。


 黒のシンプルなシャツとパンツ、

 靴は履いておらず、

 猫の名残をわずかに残したしなやかな姿で、

 空に“立って”いた。


 空中に足場はない。


 その立ち方だけが違う。

 地に足を置かず、空に立つでもない。

 まるで、世界が、彼の下に回り込んでいるかのようであった。


「ふむ……」

 黄金の瞳が、細くなる。


「君が、必死で殴ろうとしていた人間か」

 声は軽い。


 カイは答えない。


 答える前に、

 身体が前に出ていた。


 ——今だ。


 重力が、裏切らない。


 踏み込み。

 終打槌が、空を裂く。


 当たった。


 衝撃が、確かに返ってきた。


 透明ではない。

 拒否もされない。


 槌は、

 神の体に触れている。


 そう手応えを感じた瞬間、

 視界から、ルシフェルが消えた。


 

「……!」


 まず背後。

 そして真上。

 猫のような跳躍力。


 音もなく距離を詰め、

 指先が、カイの額に触れる。


 ——軽い。


 ただ、それだけの接触。



【警告】

【存在係数:急低下】


 カイは吹き飛ばされなかった。

 落ちもしない。

 ただ、

 “立っていられなくなった”。


 カイの視界が揺れる。

 心臓の拍動が、ずれる。


 

「カイ!」

 イリスの呼び声。


 光が走り、

 即座に防御位相が展開される。


 世界が、

 彼女の側に寄る。


 ルシフェルは、

 それを見て、少しだけ目を細めた。


「君は……厄介だね」

 敵意はない。

 評価だけが、そこにあった。


 そして、イリスと視線が合うと、

 ルシフェルは、ほんの少しだけ首を傾げた。


 

「その一撃は」

 ルシフェルが静かに言う。

「確かに、届いた」


 カイは、息を整えながら立ち上がる。


 血は出ていない。

 骨も折れていない。


 だが、

 世界に支えられていた感覚が、

 カイの魂から半分ほど削られていた。



「……攻撃は届く」

 カイは呟く。

 それは、確認であった。


「うん」

 イリスが短く答える。


「でも、長くは持たない」



 ルシフェルは、

 ゆっくりと両手を広げた。


 挑発でも、

 降伏でもない。


「いいね」

 穏やかな声。


「ようやく、同じ土俵だ」


 黄金の瞳が、カイを捉える。


「だが、さっきの攻撃で何かを失ったね?」


 一歩。


 それだけで、

 空気の圧が変わる。


「君たちは“殴れる”ようになっただけだ」


 もう一歩。


 イリスが、即座に判断する。


「カイ、下がって」


「……まだ」

 だが、言葉の途中で、

 世界が、歪み滲んだ。


 ルシフェルの存在が、

 わずかに重くなった。

 それだけで、都市の空間構造が崩れ始める。


 やはり、この戦いは長く続けられない。


 ルシフェルは、それを察していた。


 

「今日は、ここまで」


 猫が突然遊びに飽きたような仕草。


「面白かったよ、人間」


 その言葉と同時に彼の姿が、

 ふっと揺らぎ、空間に溶ける。


 完全な撤退ではない。

 距離を取っただけだ。


 静寂が戻る。



「……怖くはない、だけど」

 カイは、拳を見つめる。

 震えていた。

「あれは……勝てない」


 イリスが、隣に立つ。

「怖くないことが、一番危険なの」


 カイは、空を見る。


 もう、神は見えない。


 彼が消えた場所に、転移の痕跡はなかった。

 座標移動でも、異界跳躍でもない。


 ただ、

 世界の計算から外れた隙間に、退いただけだ。





 世界の裏側。


 座標では示せない。

 だが、確かに現実の延長に存在する場所。


 新宿から数百キロ離れた、名もない沿岸都市の上空。

 誰にも観測されない領域。


 高層ビルの影と影の間。

 都市の意味が抜け落ちた空白地帯。


 ルシフェルは、そこに立っていた。


 先ほどまでの戦闘で、

 彼の身体には、目立った損傷はない。


 だが、

 内部では、調整が始まっていた。


「……さて」


 胸に手を当てる。

 そこから、黒い波紋が静かに広がった。


 それは痛みではない。

 違和感でもない。


 容量を開ける感覚。

 神の器を、拡張する儀式。


 彼の影が、二重に揺れる。


 影の中から、

 かつて死んだはずの概念が、にじみ出る。


 腐臭にも似た圧。

 知識が擦れるような音。


 

「……まだ、使えるな」


 ルシフェルは、そう評価しただけであった。


 呼びかけもしない。

 名も呼ばない。


 それでも、

 影の奥で、二つの存在が反応する。


 

 ——ベルゼブブ。

 ——アスタロト。


 

 それは復活ではない。


 声はない。

 姿もない。

 意思もない。


 あるのは、

 神の肉体に適合する機能群だけだ。


 

 腐蝕、分解、都市汚染。

 因果逆算、呪式短縮、観測補助。


 かつて魔王と呼ばれたそれらは、

 今や、神のただの内部構造として、

 静かに組み込まれていく。


 

「我が力として」


 ルシフェルは、それ以上の感想を持たなかった。

 不要な感情を一切挟まず、処理を終える。


 黄金の瞳が、そっと閉じられる。


「彼の一撃で、世界は学習した」


 殴れる。

 だが、殺せない。


 遠く。

 神性は新宿の方向を、ちらりと見る。


 そこには、まだ面白い人間がいることを彼は知っている。


 

「次は……」


 言葉は、最後まで出なかった。


 必要がないからだ。


 

 影が、完全に一つに戻る。


 空間が、再び都市のノイズに溶けていく。


 

 この時点で、

 世界はまだ知らない。


 神は受肉し、殴れるようになった。


 だが、それは同時に、


 自己進化の始まりでもあることを。


お読みいただき、ありがとうございました。

続きが気になった方は、

そっと本棚ブクマに置いてもらえたら励みになります。

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