世界拒否
新宿上空。
透明な“何か”が、そこにあった。
だが、座標を持たない。
光は反射せず、
影も落とさない。
ただ、世界の前提だけを塗り替えている。
カイは、その前に立っていた。
いや、立っているはずであった。
足裏の感覚が、薄い。
重力が信頼できない。
呼吸はできる。
心臓も動いている。
それでも……
身体が、
ここに存在していい理由を
失いかけていた。
【権限照合】
視界の端に、淡い文字が走る。
【ユーザー:KAI】
【階位:不安定】
【照合中……】
カイは、前を見た。
それは巨神ではなかった。
理由に“形を与えられた”存在。
透明な輪郭に、
美しき十二枚の黄金の翼。
そして、当のLucifer_は、
カイを見ていない。
見下ろしてもいない。
ただ、世界を通して、そこにあるというだけだった。
カイの攻撃の意思が、遅れて湧く。
——いける。
そう思った瞬間。
視界が、赤く滲んだ。
「……ぐっ」
吐血ではない。
傷もない。
口の中に、
鉄の味だけが広がる。
【権限行使:拒否】
周囲の音が、消えた。
衝撃もない。
反撃もない。
世界の仕様が、カイの行動を拒否し、
無かったことにした。
身体の異変に、カイの膝がわずかに沈む。
立っているのに、
立てていない。
——だが、違う。
これは、負けという次元じゃない。
【存在係数:低下】
【警告:閾値接近】
カイは歯を食いしばる。
呼べるはずの名前を、
もう一度、呼ぼうとする。
「——来い……!」
返事は、なかった。
世界が、
静かに拒絶した。
これは戦闘ではない。
勝敗は、存在しない。
少年は、
神に抗っているつもりで、
世界の外に立とうとして、
弾かれているだけであった。
血が、また滲む。
今度は、耳の奥が痛い。
——くそっ。
彼は理解した。
(これは、長くは続けられない)
カイは、一歩を踏み出そうとして、
それが出来ないことに気づいた。
脚が動かないのではない。
命令が、届かない。
【権限:応答なし】
世界が、彼を操作対象として
扱っていなかった。
——退くしかない。
だがそれは、
自分で選んだ判断ではなかった。
選択肢から、
削除されただけだ。
◆
【Σ7 観測補助ログ】
対象領域:新宿区上空
事象名:Lucifer_完全顕現(透明位相)
・対象KAIの存在係数が急激に低下
・権限照合プロセスが断続的に失敗
・世界側の拒否反応を確認
【警告】
当該戦闘は成立していません。
理由:
敵性存在が「世界仕様そのもの」であるため。
「…攻撃対象が、ない」
Σ7-2が呟く。
「正確には違うな」
Σ7-6が訂正する。
「殴ろうとした瞬間に、殴るという行為が消されている」
【判定】
KAIは敗北していない。
しかし、継続不可。
「限界だな」
「ええ。あと数分で——」
【注記】
視認例外E-017(本城清隆)
当該戦闘を部分的に視認している可能性あり。
Σ7-4の指が止まる。
「いや……ただの人間が、ここまで見えるはずがない」
◆
新宿の地上。
本城清隆は、
その日一日、仕事をしていた。
メールを打ち、
電話に出て、
会釈をした。
だが、すべてが、
一拍遅れていた。
同僚の声が、
自分を通り過ぎてから、
後で意味になる。
世界は、元に戻っていない。
戻ったのは、
自分以外だけであった。
本城は、
理由もなく膝に力が入らなくなっていた。
あの少年は、勝てない。
それだけが、はっきりと分かった。
少年は、
神性に抗っていた。
だが、それは。
最初から、
勝負として成立していなかった。
空は、何事もなかったように澄み切って青い。
だが世界は、
確実にまた一段階、
進んでしまった。
お読みいただき、ありがとうございました。
続きが気になった方は、
そっと本棚に置いてもらえたら励みになります。




