第二の呼び声
オルドは、
都市の“裏面”に立っていた。
そこは地図に載らない。
だが、確かに存在している。
高層ビルの影が、ありえない角度で重なり、
地下鉄のトンネルが、途中で概念に変わる場所。
日本の中心とも言える都市、新宿。
だが、今までの新宿ではない。
「……境界が、薄い」
オルドが独り言のように呟く。
呼ばれたのは、神だ。
だが、呼んだのは、街そのもの。
「定着すれば、
ここは“基点”になる」
オルドは、指先で空間をなぞった。
壊さない。
裂かない。
ただ、ずらす。
座標が、半拍遅れる。
意味が、わずかに噛み合わなくなる。
「これでいい」
誰に向けたでもなく言う。
「まだ、選べる」
次の瞬間、
オルドの姿は、
都市のノイズに溶けた。
(ジュリアン、お前の犠牲を無駄にはしない……)
箱庭世界側は、
壊れかけたまま、静止していた。
◆
マリアとアレフは、
観測ログを再走査していた。
「……座標欠損」
カイの存在反応が、
どこにもない。
死亡ではない。
消滅でもない。
不在。
「世界外転移の可能性……」
その言葉が、
初めて「仮説」と呼べる形を取った。
一方で、
イリスは数値を見ていなかった。
ただ、
嫌な予感がしていた。
「……いない」
名前を呼ぶ。
返事はない。
何度も、呼ぶ。
「カイ」
箱庭は応答しない。
「追跡は非推奨です。
箱庭は、安定していない」
アレフが言う。
イリスは、首を振った。
「……それでも」
腰に挿した星砕きの剣スティルバーに触れる。
拳を握りしめる。
「カイは、
自分だけ先に行く人じゃない」
だから、
行けるなら……
「呼ばれたなら、
行けるはずなんだ」
理屈はない。
だが、
十分であった。
イリスは、
箱庭の境界を見上げる。
そこは、
まだ開いていない。
だが、閉じてもいない。
◆
空が、
ほんの一瞬だけ、二重になった。
雲の向こう。
いや、雲が形を変えて
羽ばたく影を持った。
十二。
数えられるほど、はっきりと。
その光景はオーロラのごとく、
神々しいほどに美麗であった。
だが、
次の瞬間には、消える。
誰も悲鳴を上げない。
誰も動画を撮らない。
ただ、
何人かが同時に立ち止まり、
同じ方向を見ていた。
見た、という確信だけが住民の中に残る。
◆
Σ7の会議室。
複数の観測画面が、
同時に同じ異常を示していた。
「……視認ログ一致率、92%」
「錯覚ではないな」
「名称反応も確認。
“Lucifer_”で定着を開始している」
沈黙。
Σ7-4が、低く言った。
「顕現段階に入った」
誰も否定しなかった。
Σ7-12、ライナスだけが、
どこか満足そうに呟く。
「美しい」
「都市が、
神を選んだ瞬間だ」
———
観測ログが、
自動的に整理されていく。
映像。
音声。
都市感応データ。
数分前まで存在していた
異常の山が、
平坦なグラフへと戻っていく。
「……随分、早いな」
誰かが言った。
Σ7-4は答えない。
視線は、操作卓の一点に固定されたままだ。
「一般層の視認ログは?」
「消去済み」
「SNS拡散率は?」
「臨界に達する前に抑えた」
淡々とした報告。
HKOは「世界を操作する」のではなく
世界がどう解釈されるかを操作している。
ライナスが、微笑む。
「隠すのではなく、
最初から無かったことにするんですね」
「秩序維持だ」
Σ7-4は短く言った。
「人類は、
神を見てはいけない」
ライナスは、うんうんと頷く。
モニターの片隅で、
新宿の空が、
何事もなかったように青を取り戻す。
——だが、
完全には消えていなかった。
削除されたはずのログの奥に、
一行だけ、
処理不能の文字列が残っている。
【Lucifer_:顕現開始】
Σ7-4は、それを見なかったことにした。
それは、
誰にも見せてはならないはずの“始まり”であった。
◆
HKO施設の最上層。
都市の光を見下ろせる場所で、
ライナスは煙草を吹かしながら立っていた。
そこにΣ7-4が現れる。
「これからどうする? ライナス」
「……まだ、準備段階だ」
ライナスは夜景を見下ろしたまま、笑った。
「神は、
こちらが思うより、ずっと近い」
Σ7-4は、その言葉に否定も肯定もしなかった。
「まずは」
「神を完全に顕現させることか」
「今は、広げる段階じゃない」
二人の間に、言葉にしない了解があった。
「…… 人は、後からそう呼ぶ」
Σ7-4の設計思想は、
ライナスのそれと、奇妙なほど噛み合っていた。
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