焦土なき雷鳴
焼けない。
それが、スルトにとって最初の異常であった。
剣を振るった。
世界が燃えるはずの一太刀。
だが、炎は生まれなかった。
拒まれたわけではない。
防がれたのでもない。
燃える理由が、無くなった。
理解が、遅れて追いつく。
これは防御ではない。
対抗でもない。
「物語」が始まる前に、
その前提を削られている。
剣は世界に触れた。
だが世界は、語ることをやめた。
──不快だ。
神を否定する者は、いくらでもいた。
神話を憎む者も、恐れる者も。
これは違う。
彼らは、
神話がそこに居座る理由を見ている。
あの剣。
あの槌。
どちらも神器ではない。
ただ、
「重すぎる部分」だけを削ぎ落としている。
その為の「道具」として、
淡々と扱っている。
それは、終わりではなく、淘汰だ。
炎が意味を失う。
それは、恐怖に近い。
否定されるなら、戦えた。
理由ごと削られるなら、
現状それに抗う術はない。
だが、炎は、まだ終わらない。
踏み越えるには、理由ごと焼く必要がある。
そうでなければ、この世界では、
あの武器の前では燃えない。
次は、燃やす。
理由ごと、世界を覆い尽くせ……
そう意を決すると、
彼は遠ざかる赤黒い空を見上げた。
上空には黒い星が瞬いていた。
その内側で、誰かが戦いの様子を観測している。
「ゴホ……そう、来た、か」
その存在は咳き込みながら、息を吐いた。
◆
スルトは剣を下ろさず、
踏み込むこともしなかった。
「……面倒だが」
彼は、ゆっくりと後退した。
「戦略を変える」
撤退ではない。
戦場の譲渡だ。
赤黒い空が、わずかに色を失う。
空の高みで、黒い何かが脈打った。
「まず、試す必要があるな」
◆
「フ」
風と雷の女魔マグナは、
遠くから戦況を観察していた。
「……神を殺さず、神話を終わらせる」
「面白い発想だね、実に人間らしい」
世界を焼くのは簡単だ。
だが、それでは彼らの思惑通りになる。
「ならば、こっちは物語を与えるとか」
女魔は小さく呟いた。
「理由を与え、役割を押し付ける」
神話を削る者には、
神話でない敵をぶつける。
遠くで、雷が鳴った。
空気が、裂ける。
雷でも炎でもない。
もっと軽く、もっと不遜な歪み。
「やれやれ、ずいぶん物騒な舞台ねえ」
女の声であった。
空間の継ぎ目から、ふわりと降り立つ影。
長い髪。
しなやかな肢体。
だが、その背後で風と雷が渦を巻いている。
「助太刀いたしますわ、スルトくん」
女魔マグナ。
眠りの神ヒュプノスに仕え、
どの神話にも完全には属さない、異端。
「何をしにきた?」
スルトが、訝しげに訊ねる。
「強がっちゃって、負けそうじゃん」
マグナは、楽しげに笑った。
「神話を削られるなら、
物語で押し返すしかないでしょ?」
マグナは、ひらりと片手を天に掲げ、
優雅に一回転した。
次の瞬間、
雷が落ちた。
狙いはカイでもイリスでもない。
──地面。
轟音。
衝撃。
しかし、雷は、暴走しなかった。
燃え広がらない。
意味を持たない。
「……あら?」
マグナが、目を細める。
風が、歪む。
雷が、躊躇する。
世界が、
語ることを拒んでいる。
「ふぅん……」
マグナは、舌打ちした。
「これは、厄介だわ」
スルトは、その様子を黙って見ていた。
確認は、取れた。
神話は、
もう押し付けるだけでは成立しない。
「続きは、次だ」
スルトが言う。
それは宣告ではない。
予定の共有であった。
マグナは肩をすくめた。
「じゃあ、今日は顔見せだけね」
そう言い残し、風に溶ける。
世界に残ったのは、
焦げ跡のない地面と、
重すぎる沈黙だけであった。
「……逃げられた」
イリスが、ゆっくり息を吐く。
「次はこうは行かないかもな」
カイは確信を持って言った。
敵は神話を理解した。
理解したからこそ、
次は壊しに来る。
カイは終打槌を握り直し、力を込めた。
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