炎神スルト
地平線が、燃えていた。
火ではない。
空全体が、焦げつくように赤く歪んでいる。
その中心に、踏み越えてきた存在がいた。
四足で大地を踏み砕き、
人の上半身を持ち、
黒曜石の装甲に覆われた巨躯。
白熱する輝剣を右手に携える。
炎神にして黒騎士──
スルト。
神話において、世界を焼き払う「終わりの象徴」。
「……でかいね」
イリスが、乾いた声で言った。
恐怖ではない。
状況確認だ。
「ああ、想定より、ずっと」
カイは答えた。
肩には、因果を終わらせる、
終打槌。
担いだ瞬間から分かる。
これは振るう武器じゃない。
世界に対して、打ち下ろす道具だ。
スルトはカイ達に気づくと歩を止めた。
「ほう……」
低く、溶岩が擦れるような声。
「人が立っているとは思わなかったが」
「お待たせしたようだな」
スルトは一歩、前に出る。
その瞬間、地面が割れた。
物理的な衝撃ではなく、
『ここは燃える場所だ』と、神話が宣言した。
周囲の空気が、意味を失い始める。
「私が」
イリスが前に出た。
星砕きの剣、
スティルバー。
光らない。
唸らない。
ただ、異様に静かだ。
スルトが凄まじいスピードで駆け、
イリスに斬撃を振り下ろす。
世界が、燃え落ちた。
否。
燃え落ちるはずであった。
イリスは、その常軌を逸した速度の剣を躱し、
黒い甲冑で守られたスルトの身体を斬りつけた。
真正面からではなく、
剣先を、わずかに逸らし、
剣が通る理由そのものを削ぐように。
キィン、と音がした。
神話同士の激突の音ではない。
噛み合わなかった現実が、
拒否の音を上げただけであった。
スルトの剣が、空を斬り、
火は、発生しなかった。
「……?」
スルトが、初めて動きを止めた。
理解できるまで時間がかかった。
なぜ燃えなかったのかを。
(こいつら……ただの人間ではないな)
「効いてる」
イリスが、短く言う。
だが、その足元が崩れた。
視界が、歪む。
代償だ。
スティルバーは、
神話を殺さない。
代わりに、
使い手の“世界への適合”を削る。
イリスは、ほんの一瞬、
現実から半歩、外れた。
「イリス!」
カイが、前に出る。
終打槌フィニス・アンヴィルを、両手で構えた。
重い。
だが、それ以上に……
叩いてはいけないものまで、壊してしまう感触がある。
「一発だけだ」
カイは、地面に槌を叩きつけた。
──ゴン。
音は低く、鈍い。
だが。
燃えるはずの大地が、燃えなかった。
火が消えたのではない。
『ここが燃える理由』が、叩き潰された。
スルトの足元から、
神話が剥がれ落ちる。
巨体が、僅かに、ぐらついた。
「……そうか」
スルトが、低く呟いた。
声は、雷鳴のようであった。
「貴様らは、神を殺す者ではない」
剣を、構え直す。
「神話が居座る理由を、断絶する者だな」
スルトは後退した。
撤退ではない。
様子見だ。
赤黒い空が、ゆっくりと退いていく。
熱が引き、
世界が、元の重さを取り戻す。
沈黙。
「……視界が、ズレた」
イリスが、膝をついた。
「それは代償だ。平気か? イリス」
「うん。まだ、致命的じゃない」
イリスの返事を聞き、カイは、槌を下ろした。
腕が、痺れている。
骨ではない。
終わらせる覚悟を、叩き返された反動だ。
神を殺すと、世界は神を失った理由を背負う。
だから、先に神話の存在を滅する。
「ねえ、カイ」
イリスが言う。
「これ、長期戦になるよ」
「ああ」
敵は状況を把握した。
それ故に、次は本気で来る。
神話は、
ただでは終わらない。
カイは、フィニス・アンヴィルを見下ろした。
「……でも」
小さく言う。
「壊せるって、分かった」
勝てるとは言えない。
だが、負けてもいない。
神話の存在は、理解をした。
だからこそ、退いた。
フィニス・アンヴィルは、まだ重い。
終わりは、まだ先にある。
鍛冶屋は、前を向いた。
世界が終わる前に、
神話を終わらせる道具を持つ者として。
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