最初の一打
神話が現実に侵食した世界では、
「よく切れるだけの剣」が最も危険であった。
──三日前、世界は一度、壊れかけた。
復活した魔神たちにより、空は裂け、
街は揺れ、神話が現実を踏み潰そうとした。
だが今。
街は、静かであった。
瓦礫は片付けられ、露店が戻り、子供の笑い声すらある。
人々は「何事もなかった」かのように日常を取り戻していた。
だが、その平穏は修復されたものではない。
ただ、置かれているだけだ。
世界は、まだ息を潜めている。
⸻
病院を出てから、カイは何も言わず工房に戻った。
誰に呼ばれたわけでもない。
使命感でもない。
鍛冶場の炉は、夜明け前から赤く燃えていた。
(……まだ、現実だ)
この街では、神の話が飛び交っている。
天使だ、悪魔だ、唯一神だ。
カイは、一言も喋らず、鉄と向き合っている。
打つ。
冷やす。
叩く。
また打つ。
その動きは荒削りで、洗練されてはいない。
だが、迷いがなかった。
金属が、悲鳴のような音を立てる。
「……これで、最後だ」
彼は小さく呟き、渾身の力で槌を振り下ろした。
──カァン。
音が、違った。
澄んでいるのに、重い。
鉄でも、鋼でもない。
意味自体を叩いたような音。
炉の中から引き抜かれたそれは、剣であった。
装飾はない。
紋章もない。
祝福の刻印もない。
ただ一本の、異様に静かな刃。
鉄を打つ音は、世界が壊れる音よりも静かだ。
カイは、最後の一打を入れたあと、しばらくその刃を見ていた。
特別なことはしていない。
ただ、折れないように
ただ、曲がらないように
ただ、振るった人間が死なないように
それだけを考えて打った。
病室よりも、祈りの届かない街路よりも、
この場所のほうが、ずっと現実味を帯びていた。
鉄は正直だ。
叩けば応え、熱を入れすぎれば歪む。
神話みたいな理屈は、ここにはない。
「……変だな」
カイは、打ち上がった刃を見つめて呟いた。
形は、普通だ。
特別な紋様も、祝福文字も刻んでいない。
なのに、
名前が、浮かばない。
剣なら剣。
槍なら槍。
そう呼べばいいはずなのに、
言葉が喉で止まる。
まるで、
名付けられることを拒んでいるみたいに感じた。
「……まあ、いいか」
カイは、それ以上考えなかった。
彼は鍛冶屋だ。
考えるのは、用途と強度だけ。
これは、
・よく切れる
・折れにくい
・変な力が乗らない
ただ、それだけの武器だ。
魔力伝導率は、異様に低い。
呪文も、祝福も、滑る。
カイはそれを欠陥だと思った。
「使いづらいな、これ……」
だが、捨てはしなかった。
なぜか、
壊れる気がしなかったからだ。
誰かに渡す予定もない。
英雄に向いていないし、
神話にも似合わない。
だから棚の隅に置いた。
名も付けずに。
「……名前は?」
工房の入り口で、イリスが聞いた。
「まだない」
「じゃあ仮でいいから」
彼女は剣を受け取り、重さを確かめる。
軽すぎない。重すぎない。
「静かだね」
「鉄だから」
それだけの会話であった。
⸻
最初の実戦は、森の外れで始まった。
空間が、歪んでいた。
水際に潜む一体のインスマウスが低く唸る。
「来る」
イリスが言う。
現れたインスマウスは、全身が粘膜に包まれた、
不気味な魚類のような容姿をしていた。
古の異形。血肉に飢えた獣。
獣の皮を被った神話の残滓。
牙の配置が現実と合っていない。
動きが、時間と噛み合っていない。
普通の武器なら、
当たる前に“意味がズレる”タイプの敵。
「……行くよ」
イリスが、剣を握った。
カイは、無意識に一歩だけ前に出ていた。
この剣が、どこまで現実に耐えられるか。
それを見届けるために。
最初の一打は、派手ではなかった。
光らない。
爆ぜない。
音も、ただの金属音。
だが。
切れた。
概念が、ではない。
神話が、でもない。
「そこに在るはずじゃない部分」
だけが、綺麗に落ちた。
獣は一瞬、何が起きたか分からず、
次の瞬間、世界から滑り落ちるように消えた。
インスマウスが、息を止めた。
「……変な使用感ね?」
イリスが、ゆっくり振り返る。
「だと思う」
カイは正直に言った。
「でも」
一度、刃を見る。
「折れなかった」
イリスは、笑った。
「十分だよ」
彼女は剣を地面に突き立てる。
「この剣、
神を殺すためのものじゃない」
カイを見る。カイは、答えなかった。
「でも、
神話のせいで死ぬ必要のない奴を、守れる」
その瞬間、
剣はようやく、名を得た。
⸻
まだ沈黙している刃。
だが、沈黙は、拒絶ではない。
武器名:
《星喰らい(Stillvor)》
分類:剣(鍛冶打ち・非神話武装)
通称:「まだ名を持たない刃」
•神話素材を使っていない
•魔力回路を持たない
•祝福も呪いも付与されていない
にも関わらず、
“神話的干渉を受けた対象にだけ、異常な切断効率を示す”
理由は不明。
HKO的に言えば「理由が観測できないタイプ」。
だがイリスは、
心の中でそう呼んだ。
──星喰らい。
神を殺さず、
竜を討たず、
ただ、
神話の重さだけを削る剣。
それを打ったのは、
救世主でも、王でもない。
ただの、
鍛冶屋の少年であった。
そして、彼が次に槌を握ったとき、
世界はもう一度、音を響かせる……
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