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十五回目の朝

 鍛冶屋のどら息子カイは、意中の少女イリスとの待ち合わせ場所にいそいそと向かっていた。

 商店街は人通りが少なく、いつもなら賑やかな風景が、今日はどこか静まり返っている。


 イリスは先に到着していて、雑貨を物色しながらカイを待っていた。

 金色の瞳。灰色の髪。長いが無造作のまま結んでいない。

 白いブラウスと、日に焼けていない肌が、ほんの少しだけ浮いて見える。


 早足で駆け寄るカイに気づいたイリスは「遅いよー」と不満げに声をかけた。

「遅れてごめんごめん!」

 カイが情けなく繰り返し謝る。


 二人が並んで街を歩き始めると、ふと風が止まったことに気づいた。

 日常の華やかさが、妙に遠く感じられる。

 街灯の光が揺れ、石畳に微かな波打ちが生まれた。

 カイは瓦礫のかけらを握りしめ、イリスがそっと袖を掴む。


 突如、

 街の石畳が、静かに、しかし不気味にうねった。

 小石が微かに跳ね、街灯が僅かに傾く。

 風も鳥も、遠くで止まったままのようだ。


 カイは異変を感じて身構える。


 空気が重く、耳に届くのは自分たちの呼吸と足音だけ。だが、微かに聞こえるのは、

「ザッ……ザッ……」

 瓦礫の間を這うような、低い振動。

 足元に近づく気配。


「イリス、離れるぞ!」

 言葉と同時に、イリスは水道管を握り、防御の姿勢を取る。

 動きは自然で、二人の息が合う。


 街の奥、建物の陰の間に、ぼんやりとした影が瞬間的に現れた。

 膝ほどの高さの異形の足先が地面を蹴り、砂埃が舞い上がる。


「……なんだ、ありゃ……」

 カイが呟く。

 その姿はまだ輪郭も定かでない。

 しかし、狂気が空間を震わせ、街全体が微かに歪む。

 いや、歪んでいるのは、自分の視界なのかもしれなかった。


 カイは瓦礫を盾に構え、イリスは息を潜める。

 二人の視線は、瞬間ごとに変わる影に追従する。

 異形は跳躍し、建物の間を飛び回る。

 その速度と不規則さは、何か人知を超えたものを感じさせた。


 その時。

 街の空が裂けたような衝撃音。

 風が後ろから押し寄せ、瓦礫が飛び散る。

 街灯は激しく揺れ、石畳は波打つ。


 灰色のコートが翻り、髪が光を反射する一人の男が降り立った。

 衝撃の余韻で異形は一瞬止まり、周囲が静まり返る。


「ラ…イ…ナ…ス」


「……来たな。14の亡霊、アスタロト」

 男の声は街全体に響き渡る。

 その低く、冷たい声は、混乱の中に秩序を持ち込むようであった。


 カイとイリスは息を呑む。

 異形の姿、瓦礫に散らばる砂埃、そして目の前に現れた呼ばれた異形、すべてを一目で捉えた。


「お前がこの座標に現れることは分かっていた」

 ライナスと呼ばれた男は静かに語る。

「精神を壊されたお前は、それ故にデータにしがみつくしか無かったよな」

 その言葉に、異形の影が、微かに震え、逃げるかのように揺らめく。

 カイとイリスは、ただその場で立ち尽くすしかなかった。

 この平和な街に何が起こっているのか。

 街の静寂が、まるで息を止めて見ているかのように重かった。



 ◆



 HKO地下会議室、隔離区画。


 冷え切った空気の中、五人のΣ7メンバーが長方形の会議テーブルを囲んでいた。

 テーブル中央にはホログラフィックスクリーンが浮かび上がり、十五回目の生命圏生成の最新データが映し出されている。


「十五回目か…」

 議長Σ7-1の低い声が、室内の壁に反響した。

「過去十四回、すべて文明は崩壊し、自己収束している」


 右端のΣ7-3が腕を組み、眉をひそめる。

「前周期とは違う。個体群の因果発生率が規定値を逸脱している。鉄を扱う少年、覚醒閾値を持つ少女、そして観測耐性を持つ冥界存在。三つの要素が、互いに干渉しています」


 左端のΣ7-4が資料をめくりながら言う。

「これほど複雑に絡み合うのは初めてですね。過去の文明崩壊は単純だった。干渉すれば破壊、放置すれば暴走。どちらを選んでもリスクは高い」


 議長Σ7-1はゆっくりと顔を上げ、全員を見渡す。

「干渉の可否は…もはや選択肢ではない。救済装置も神性も、存在しない。この文明は自己収束するしかない」


 若手Σ7-6が声を震わせた。

「しかし、文明が暴走した場合の被害は…! 過去の周期では無数の命が失われている。……また、見殺しにするんですか」


 議長Σ7-1は重い沈黙の後、静かに答える。

「我々は観測者だ。干渉者ではない。観測と記録を放棄すれば、それこそ存在意義を失う」


 Σ7-03は眉をしかめ、手元の端末を握り締める。

「理解はしています…しかし、恐怖は消えません」


 中央のスクリーンに映し出されたのは、十五回目の生命圏に現れた三つの個体。

 鉄を叩く少年、灰色の髪の少女、そしてまだ正体不明の影。

「彼らの存在が因果に及ぼす影響は未知数。観測耐性を持つ存在が文明に加わる場合、次の崩壊周期は予測不能になる」


 議長Σ7-1が口を開いた。

「…ならば、監視を強化し、データを残すしかない。我々が手を下せば、観測そのものが改変される。記録者としての役割を忘れるな」


 若手Σ7-6が震える声で反論する。

「ですが…この文明が意識的に行動する兆候も観測されています。何か目的を持って動いている」


 議長Σ7-1は目を細め、スクリーンを指差す。

「十五回目の文明は、過去の破滅を学習している。だが我々がその目的を知ることはできない。知ろうとすれば、その瞬間に観測者の立場を逸脱する」


 Σ7-02が小さく笑う。

「…結局、我々は記録するしかないのか。干渉できない監視者に過ぎない」


 議長Σ7-1はうなずき、締めくくった。

「記録するのみだ。文明は生成され、崩壊し、また生成される。HK-015の周期は繰り返される…」


 会議室の空気が一瞬、凍りつく。

 外界では、十五回目の世界が静かに息をしている。

 鉄を叩く音、流れる水、そしてまだ何も知らない存在たち。

 議事録は自動的に保存される。

 そこに記録されるのは、観測者の孤独と、干渉できない無力感だけであった。


「十五回目の文明は、過去の破滅を学習している」

 その言葉だけが、無機質な会議室に残った。


お読みいただき、ありがとうございました。

続きが気になった方は、

そっと本棚に置いてもらえたら励みになります。

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