表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/27

観測誤差

 その夜、箱庭の下層は静かであった。


 光も、音も、現実の都市からは一段ずれた場所。

 物理法則が曖昧になり、ログが意味を失い始める領域。


 そこを、パトラは一人で歩いていた。


「……やっぱり、上は騒がしい」


 彼女は振り返らない。

 上──Σ7、HKO、観測者たちの視線が交錯する場所には、最初から行く気がなかった。


(見られることに慣れすぎると、世界を安全だと思い込む)


 足元の空間が、わずかに歪む。

 ここは箱庭の基底構造に近い。

 文明でも、物語でもなく、ただの実装層。


「だから私は、下から行く」


 ログが、彼女の足跡を記録しない。


 それが、パトラという存在であった。



 同時刻。


 HKO統合管理室、Σ7評議会・臨時セッション。


 会議室の空気は、いつもより重かった。

 ディスプレイには、HK-015第十五周期のリアルタイム観測ログ。


 だが、

 いくつかの数値が、静かに欠落している。


「……おかしいな」


 最初に気づいたのは、Σ7-06だった。


「因果干渉率のログが、三分間、空白になっている」


「空白?」

 Σ7-03が即座に反応する。


「観測エラーではない。記録そのものが……無かったことにされている」


 室内が、わずかにざわつく。


 ログ欠落。

 それは単なる不具合ではない。


 誰かが、触った。


「確認する」

 Σ7-01、議長が低く言った。


「改竄検知は?」


 一瞬の沈黙。


 Σ7-11が、慎重に答える。


「……反応なし。正規権限による処理です」


 その言葉が、決定的であった。


 正規権限。

 つまり──


「Σ7の中に、やった者がいる」


 誰も否定しなかった。



 パトラは、立ち止まった。


 視界の端で、異形が蠢く。


 箱庭の防御機構が生んだものでも、文明由来の怪異でもない。

 エラーの集合体。


「めんどくさいなぁ」


 異形は、形を持たない。

 触れれば、存在そのものを削る。


 普通なら、逃げるか、上に報告する案件だ。


 だがパトラは、ため息をついただけであった。


「よっと」


 彼女は、指先で空間をなぞる。


 切ったのは、敵ではない。


 “接続”だ。


 次の瞬間、異形はバラバラに崩れ、

 ここにいたという事実ごと消えた。


「戦う必要、ないでしょ」


 彼女にとって、異形は敵ですらない。

 ただのノイズ。


「……それより」


 パトラは、薄く笑う。

Σ7がそろそろ気づいた?」




「議長」


 Σ7-02が、静かに言った。


「このままでは、内部不信が拡大する。誰がやったか、特定すべきだ」


「特定して、どうする?」


 Σ7-01は、すぐに答えなかった。


「処罰か? 権限剥奪か?

 それとも……黙認か」


 沈黙。


 やがて、Σ7-05が口を開く。


「今回の改竄は、文明保護のためだった可能性があります」


「倫理的には?」


「……グレーです」


 Σ7-07が、小さく笑った。


「つまり、半歩だけ越えた」


 その言葉が、会議室に落ちる。


 半歩。

 全面介入ではない。

 だが、完全な非干渉でもない。


「問題は」

 Σ7-13が言う。


「一度越えた者は、次は一歩、越える」


 誰も否定できなかった。




 パトラは、境界のさらに奥へ進む。


 そこでは、箱庭そのものが、まだ目覚めきっていない。


「唯一神が不在、王も沈黙して、Σ7は躊躇ってる」


 彼女は、独り言のように続ける。


「……そりゃあ、世界は勝手に動くよね」


 ふと、彼女は立ち止まる。


 遠くで、誰かがログを弄った痕跡。


「なるほど」


 パトラは、余裕たっぷりに笑った。


「上が半歩越えたなら、下は……もう三歩くらい、行っていいね」


 彼女は振り返らない。


 上に戻る道も、報告する気もない。


「だってこれは、観測外の話」


 その背中は、次元の隙間に溶けていく。




 Σ7会議室。


 議長が、最後に告げる。


「今回の件は、記録上は自然収束とする」


 異論は出なかった。


 だが、全員が理解している。


 世界は、もう二度もとの箱庭には戻らない。


 そして。


 その外側で、

 下から、確実に近づく者がいることを。


お読みいただき、ありがとうございました。

続きが気になった方は、

そっと本棚に置いてもらえたら励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ