表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/28

残花(レムナント・リリィ)

 夜明け前、病室は静まり返っていた。


 規則的な機械音だけが、イリスの生を繋ぎ留めている。

 呼吸は浅く、体温は安定しない。


「原因不明、ですか」

 カイの声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。


 老練の医師は首を横に振る。

「外傷はありません。毒素反応もない。魔力の枯渇でもない」

 一拍置き、

「……まるで、存在自体が削れているような症状です」


 その言葉に、カイの胸がぎゅっと縮んだ。


 削れている。

 減っていく。

 失われていく。


 ──またか。


 イリスは眠ったまま、眉をひそめている。

 何かを耐えているようにも見えた。


 病室の隅で、マリアが静かに祈るように手を組んでいた。

 アレフは壁に背を預け、腕を組んだまま、目を閉じている。


「……治す方法は」

 カイが聞いた。


 医師は、躊躇ってから答えた。

「理論上なら、ひとつだけ」

「それは?」

「世界に残った奇跡を補填するのだ」


 その言葉に、マリアが顔を上げる。

「残響の百合ね」


 カイが振り向いた。

「知ってるんですか?」


 マリアは少し困ったように笑った。

「ええ。正式名称は《記憶残存花》」

「世界が一度、終わりかけた場所にだけ咲く花よ」


「……まだ、あったか」

 アレフが目を開けた。


「あるわ」

 マリアは即答した。

「箱庭の外縁、古い裂け目の森に」


 カイは、何も考えずに言った。

「行きます」

 こちらも即答であった。


 マリアは一瞬だけ、驚いた顔をして、

 それから、ゆっくり頷いた。


「ええ。行きましょう」



 森は、静かすぎる場所であった。


 風は吹いているのに、葉擦れの音がしない。

 足音だけが、やけに響く。


 裂け目の森。

 世界が過去に、何度も縫い直された痕。


「怖くないか」

 アレフが、歩きながら言った。


「……正直、怖いです」

 カイは正直に答えた。

「でも」


 言葉を探す。


「イリスが、いない世界の方が……」

 そこで声が詰まった。


 マリアは、何も言わず、

 そっとカイの背中に手を添えた。


 それだけで、

 カイの目から、ぽろっと涙が落ちた。


「……すみません」

「いいのよ」

 マリアの声は、優しかった。

「泣けるうちは、心が生きてる証拠だから」


 カイは、歩きながら泣いた。

 声を殺し、顔を伏せて。


 なぜこんなに泣くのか、自分でも分からない。

 アレフの背中を見るだけで、胸が締めつけられる。

 マリアが隣にいるだけで、涙が出る。


 ──懐かしい。

 ──会いたかった。


 理由のない感情が、溢れて止まらなかった。



 森の奥、裂け目の中心。


 そこだけ、光が差していた。

 花に近づくにつれ、空気が重くなる。

 記憶に踏み込むような感覚。


 白い花。

 一本だけ。


 百合に似ているが、花弁の一部が、透けている。

 まるで、過去の記憶そのもののように。


「……あれが」

 カイが息を呑む。


「ええ」

 マリアは静かに言った。

残響之百合レムナント・リリィ


 アレフが一歩前に出る。

「触るのは、俺がやる」


 花に手を伸ばした、その瞬間。


 アレフの動きが止まった。


「……っ」

 彼の瞳が、揺れる。


「どうしたんですか!」

 カイが駆け寄る。


「……思い出しただけだ」

 アレフは、苦しそうに笑った。


「何を」


「お前と共に過ごした日々のことを」


 カイの呼吸が、止まった。

「……え?」


「年齢より幼くて」

「よく泣く奴で」

「でも、よく笑った」


 アレフの声は、震えていた。


「……また、こうして共に歩く日が来るとはな」


 その言葉を聞いた瞬間。


 カイは、崩れるように泣いた。


 声を上げて、子どものように。


「……俺……」

「何も、思い出せないのに……」

「でも……」


 アレフの胸に、縋りついた。


「……会いたかった……」


 アレフは、何も言わず、

 ただ、強くカイを抱きしめた。


 マリアは、少し離れた場所で、その光景を見ていた。

 目元を、そっと押さえながら。


「……間に合うわね」

 小さく呟く。


 アレフは、花を摘み取った。

 白い光が、指先から零れる。


「帰ろう」

「イリスが、待ってる」


 ⸻


 病室。


 残花は、静かに溶けるように消えた。


 光が、イリスの胸に吸い込まれていく。


 一拍。

 二拍。


 そして。


「……カイ」


 かすれた声。


 カイは、顔を上げた。


「……イリス?」


 次の瞬間、

 彼女は目を開けた。


 カイは、堪えきれなかった。

「……よかった……本当に……」

 ベッドにしがみついて、人目もはばからず涙を零した。


「……泣き虫」

 イリスは、弱々しく笑った。


「うるさい……」

 カイは涙を拭いた。

「生きてくれて、よかった……」


 マリアは、安堵の息を吐き、

 アレフは、窓の外を見たまま、静かに微笑んだ。


 世界は、まだ壊れていない。

 確かに、誰かを救った。


 残花は散った。

 記憶は全ては戻らない。


 それでも。


 確かに、繋がっている。


 この涙が、その証であった。

 まだ、世界は彼を手放していなかった。


お読みいただき、ありがとうございました。

続きが気になった方は、

そっと本棚に置いてもらえたら励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ