第93話「侵食(前世記憶レイヤーへの不正接続)」
アレフは見回りを終えて、
マリアのいる教会に向かっていた。
その道中、
黒い甲冑を身にまとった大柄な男を見つける。
(あいつは……)
村の入口。
石畳の向こう。
その黒い甲冑の男は、ただ所在なさげに立っていた。
大きい。
だが、威圧はない。
剣を携えているが、
抜く気配は感じられない。
それでも、
アレフの胸の奥が、唐突に締め付けられた。
(……こいつを知ってる)
理由は分からない。
だが、確信だけがあった。
アレフの手が、無意識に震える。
木炭が、地面に転がった。
視界が、反転する。
黄金の光。
蹄の音。
燃える空。
血の匂い。
剣が、振り下ろされる。
避けられない。
受け止められない。
名前のない神話上の悪魔の騎士。
その剣は、世界を終わらせるために振るわれた。
──斬。
視界が、赤に染まる。
「……っ!」
アレフは、息を詰まらせて現実に戻った。
心臓が、異様な速さで脈打っている。
脂汗が、背中を伝う。
「……そうか」
小さく、しかし強い意思の込もった独り言。
「……お前か」
黒い甲冑の男は、
村を壊すでもなく、
人を見下すでもなく、
村の風景を珍しげに観察していた。
それが、何よりも腹立たしかった。
許されない。
名前を持つ前から。
神話になる前から。
アレフは、腰の剣に手を伸ばす。
理屈でも使命でもない。
これは、前世の記憶だ。
世界に書き戻された、個人的な死。
「……止まれ」
声が、思ったよりも大きく出た。
甲冑の男が、こちらを見る。
その視線が、初めて合った瞬間。
アレフは確信した。
この男は、覚えていない。
だからこそ。
自分が覚えている意味が、ある。
「……何だ。俺に、何か用か」
スルトの問いにアレフは答えなかった。
剣を抜き、間合いを殺す。
金属音。
スルトは抜刀と同時に、その一撃を受け止めた。
鍔迫り合い。スルトは片手でいなす。
アレフは、再び踏み込もうとして止まった。
剣先が、わずかに揺れる。
(……違う)
怒りや殺意の違和感。
(引っかけられた)
その認識に至ったと同時に、
周囲の音が一段、落ちた。
【侵食開始】
【対象:アレフ】
【接続成功:前世記憶レイヤー】
視界の端が、白く滲む。
聞き覚えのないはずの声が、
いや、聞き覚えしかない声が、脳内に直接流れ込んでくる。
【ログ展開】
【再生項目:死亡直前記録】
黄金の光。
蹄の音。
空を覆う炎。
(また、そこか)
アレフは、奥歯を噛み締める。
剣が振り下ろされる。
避けられない角度。
助けは来ない。
あの日と同じ。
同じ結論。
【評価】
【当該個体は「回避可能だった死」を保持】
「……黙れ」
声は出ていない。
だが、意識ははっきりと言葉を返した。
【最適化提案】
【感情負荷を増大】
今度は、違う映像。
救えたはずの村。
選ばなかった道。
生き残った自分。
正しい判断のはずであった。
そう結論づけた選択が、
別の可能性として並べられる。
【提示】
【より良い世界線】
アレフは、深く息を吸った。
(……なるほど)
怒りが、静かに冷えていく。
(精神汚染、侵食か)
感情を煽るための演出。
判断力を鈍らせるための圧縮ログ。
剣を振るう理由ではない。
【応答遅延】
【対象:高耐性】
アレフは、映像の中の死にゆく自分から目を逸らさない。
(ああ、確かに俺は死んだ)
今、立っている。
選び続けている。
「それは事実だ」
「だが、今の俺を縛る理由にはならない」
【侵食率、低下】
世界の音が、戻る。
風の匂い。
村のざわめき。
剣先が、再び安定した。
スルトは、何もしていない。
ただ、静かにこちらを見ている。
アレフは、剣を下ろさないまま、しかし踏み込まなかった。
(敵は、目の前じゃない)
その理解に至ったとき
侵食ログは、静かに切断された。
「危険だな……本当の敵は予想以上に手強い」
アレフは溜息をつきながら呟いた。
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