第92話「許されぬ名前」
神話において、
スルトは「観測されるだけで災厄を引き起こす名前」であった。
その名前が、人間の村に存在している。
オルドとジュリアンは、
それを「個体」ではなく「事象」として認識した。
彼らは、そこに降りているわけではない。
天上からでも、冥界からでもない。
世界自体に組み込まれた観測層から、
村を、そしてスルトを見ていた。
人間たちの視界には、何も映らない。
声も、影も、違和感すら残らない。
「第四層通話」
それは、管理者側から“直接関数の呼び出し”。
神話を知る存在にだけ、
直接、脳内に声を届ける。
《Layer-4 Call : 接続確立》
「確認する」
オルドは、なるだけ感情を排した声で言った。
「お前は、自分が“炎神スルト”であるという認識を持っているか?」
黒い甲冑の男は、即答しなかった。
剣に手を伸ばすことも、威圧することもない。
ただ、村を歩く人間たちの背中を、静かに見ていた。
「……名前は覚えている」
そう前置きしてから、スルトは言った。
「だが、それが何を意味していたのかは、もう分からない」
次にジュリアンが問う。
「意味を失った神話が、存在を許されると思うのか」
それは怒りではなく警告であった。
「神話とは、力ではない。
世界がそう扱うと決めた役割だ」
オルドが続ける。
「役割を失った神話存在は、
世界にとって最も不安定な異物になる」
村の空気が、わずかに張りつめる。
人間たちは会話を続けている。
だが、何かが近くで定義され直されていることを、察する者はいない。
スルトは腰の輝剣ジョワユーズに手をかける。
「待って」
声を上げたのは、パトラであった。
「この人は、もう世界を焼かない」
「根拠は?」
即座に返される。
「……もうそれが出来ないから」
パトラは、言葉を選ばなかった。
「神話性を剥がされた。
終末としての炎神スルトは、もういない」
「しかし、それは安全とは同義ではないな」
ジュリアンは冷たく言い放った。
「爆弾が解除されても、
それが爆弾だった事実は消えない」
「……だが」
「私たちは今、
箱庭システムとその尖兵プリリエルを相手にしてる」
ジュリアンがその名を出した瞬間、
オルドの表情がにわかに変わった。
「世界最適化プログラム」
オルドが落胆したような声で言う。
「私たちは、“正しい世界”に消されかけてる側だ」
沈黙。
その中で、スルトが声を発する。
「オレは、味方になるとは言わない」
低音で、静かに響く声。
「だが、もはや敵になる理由もない」
ジュリアンが即座に返す。
「それは、こちらが決める」
「……そうだな」
スルトは、苦笑した。
そのとき。
村の外れで、安定していた空気層が弾けた。
白い粒子。
プリリエルの生成兆候。
オルドは即座に判断する。
「来るぞ」
「最適化対象、発見か」
ジュリアンが呟く。
村が戦場になる──
その予測が、脳裏をよぎった。
スルトは、何も言わずに前に出た。
「ひとまず、尋問は休止だな」
剣を抜く。
構えは低い。
守る位置取りであった。
「守ろう、この村は、壊していい場所じゃない」
パトラのその言葉に、オルドは一瞬だけ目を細める。
プリリエルが、三体、何もない空間の裂け目から滲む。
白い視線が、スルトを捉えた。
【対象認識】
【神話断片:スルト】
【状態:神話性欠損】
【評価:不安定要素】
カイ達が異形の侵入に気づく。
「この村まで……!」
そう叫ぶと同時に、
スルトの輝剣ジョワユーズが閃いた。
炎の揺らめきはない。
終末の光もない。
ただ、正確で、重い一撃。
プリリエル一体が、真っ二つに割れる。
オルドは、その動きを見てある理解をした。
◆
戦闘は短かった。
プリリエルは撤退する。
最適化が割に合わないと判断したのだ。
白い残滓が消えたあと、
村には、いつもの夕暮れが戻った。
誰も死んでいない。
誰も救われていない。
オルドは、スルトに語りかける。
「……結論は変わらない」
非情で冷静な声。
「お前の名前は、許されない」
それを聞きスルトは頷いた。
「分かっているさ」
「しかし」
ジュリアンがスルトに向けて続ける。
「箱庭が敵である限り、
お前は利用価値のある事象だ」
パトラが、ほっと息をつく。
「仲間ではない」
「共犯者だ」
オルドが言い切った。
スルトは、剣を鞘に収める。
「それで十分」
空を見上げる。
世界は、まだ燃えていない。
最適化もされないまま
白の断罪は淡々と続いていく。
お読みいただき、ありがとうございました。
続きが気になった方は、
そっと本棚に置いてもらえたら励みになります。




