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第91話「人間として」

 冥界からの撤退後、

 神格を失ったスルトは、

 喪失感を埋めるため地上へと登った。


 石畳。

 煤の匂い。

 夕暮れの空。


 まだ悪魔にも、箱庭システムにも侵されていない、

 人間の街。

 そこでパトラと落ち合う。

 偶然ではなくパトラは待っていた。


「パトラ」

 スルトが疲れたように呟く。


「お兄ちゃん、ここは人間の街よ。外縁だけどね」

 パトラはそう言って、フードを深くかぶった。


 周囲には、人がいた。


 武装していない。

 魔力も、神格も、ほとんど感じない。


 ただの人間たち。


 スルトは、その場で立ち止まった。


 誰も逃げない。

 誰も悲鳴を上げない。


 剣を抜いていないからでも、

 変身していないからでもない。


 怖がられていないのだ。


「……妙だな」


「何が?」


「オレを見て、人間が誰も怯えない」


 パトラは肩をすくめる。


「今のお兄ちゃん、

 終末神の顔してないもん」


 スルトは、己の手を見る。


 炎は出ていない。

 空気を焼く熱もない。


 ただの、大きな手。



「ねえ、おじちゃん」


 幼い声がした。


 スルトが振り向くと、

 パン屋の前に立つ、小さな子どもがいた。


 紙袋を抱えたまま、

 その子はスルトの胸元、黒い甲冑を見上げている。

 紙袋の口から、まだ温かいパンの匂いがした。


「それ、重そう。ずっと着てる」


 ……理解に、数秒かかった。


「オレか?」


「うん。あげる」

 子供はスルトにパンの入った紙袋を渡す。


 スルトは、戸惑いながら袋を受け取る。


 軽い。

 世界を燃やしたことのある腕には、

 あまりにも軽すぎた。


「じゃあね!」

 子どもはそう言って、代金のことなど気にも留めず、

 店の奥へ駆けていった。


 スルトは、しばらく動けなかった。


「……今の、オレに触れたな」


「ええ」


「やはり、燃えなかった」


 パトラは、何も言わなかった。


 代わりに、遠くを見る。


「オレは、神格を奪われた」


 スルトは、剣の柄に手をかけた。


 だが、抜かなかった。


 抜く理由が、見つからなかった。


「……オレは、何をすればいい」


 その問いは、魔王のものではない。


 役割を失った者の問いであった。


 パトラは、少しだけ笑った。


「私も同じだよ、今はただの人間」

「私たちのパーティに来なよ、お兄ちゃん」


「パーティ……?」


「と言っても、メンバーはあと一人だけ、

 しょっちゅう所属を変えてる開発者だけど」


「開発者か……」


「世界を救うとかじゃないわ」


 そう言って、彼女は歩き出す。


「壊れた連中が、

 どうやって明日を生きるか、

 その実験」


 スルトは、夕焼けの街を見回した。


 人間たちは、今日を生きている。


 神話など知らずに。


「……妙な誘いだな」


「でしょ?」


 スルトは、一歩踏み出した。


 世界は、何も燃えなかった。



 ◆



 村へ続く土の道を、カイは歩いていた。


 背中には、セーラがいる。

 呼吸は安定しているが、目を覚ます気配はない。


 それでも、

 後ろを振り返ると、人は減っていなかった。


 老人も、子どもも、武器を持たない者たちも、

 黙ってついてきている。

 逃げ場を失ったからではない。

 ここにいれば、大丈夫だと信じている顔であった。


「……重くない?」


 イリスが、横を歩きながら聞いた。


「平気だよ。前より、ずっと軽い」


 それが肉体の話なのか、覚悟の話なのか、

 カイ自身にも分からなかった。


 村が見えてくる。

 カイとイリスの故郷。

 壊れていない数少ない場所。


 中央の小屋に入ると、マリアがすぐに気づいた。


「……セーラ?」


 彼女は僧侶としてではなく、

 まず人として駆け寄ってくる。


 寝台に横たえ、祈りではなく、診察を始めた。


 しばらくして、マリアは首を振る。


「呪いじゃない。毒でもない。魂も、ここにある」


 カイは、思わず息を詰めた。


「じゃあ……」


「壊れてはいない。ただ、深く沈んでるだけ」

「目覚める理由を、まだ見つけてないみたい」


 希望でも絶望でもない答えであった。

 だが、救われた気がした。


 外に出ると、村の端で、見覚えのある気配があった。


 フードをかぶった少女と、黒い甲冑の男。


 先に気づいたのは、少女のほうであった。


 彼女は、カイを見るなり、目を見開く。


「……やっぱり」


 パトラの視線は、カイの背中、

 眠るセーラに向けられている。


「その子……前に見た。

 確か智天使ケルブだったわね」


 カイは、一瞬だけ身構えた。


「色々覚えてるんだな」


「忘れるわけないでしょ

 世界を焼き直す光だったもの」


「俺はまだ全て思い出せたわけじゃないんだ……

 それに後ろの人は」


「わたしの兄よ、神話性を失った……」


 その後ろで、黒い甲冑の男、スルトが、

 静かに村を見渡していた。


 人間たちは、彼を恐れていない。

 それに、彼自身が戸惑っているようであった。


「……ここは、壊していい場所じゃないな」


 その言葉に、パトラが小さく笑う。


「だから寄ったの」


 そのとき。


 村の奥で、水を汲んでいた青年が、

 ふと立ち止まった。


 アレフであった。


 アレフの胸の奥が、ざわつく。

 理由は分からない。


 ただ、甲冑の男を見た瞬間、

 知っている名前が喉まで上がった。

 無意識に膝をつく。


 だが、口には出なかった。


 風が吹き、村の旗が揺れる。


 誰も戦っていない。

 誰も救われていない。


 それでも、

 確かに、何かが集まり始めていた。


 カイは、眠るセーラを背負ったまま、

 空を見上げた。


 世界はまだ、続いている。


お読みいただき、ありがとうございました。

続きが気になった方は、

そっと本棚ブクマに置いてもらえたら励みになります。

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