第八話:絶望的タイムリミットと国王の決断 ~打つべきは内政、そして外交! 勇者は……まあ、うん~
先日のガルニア帝国特使ゲオルグ・フォン・ブラントとの二度目の会談の最中に飛び込んできた、エルヴァン要塞からの緊急魔法伝信。
「魔王復活の兆候」。
その言葉は、謁見の間にいた全ての者の顔色を変えさせるには十分すぎるものだった。
外交交渉などという些事(と言っては語弊があるが、今の状況ではそう思えてしまう)は、一瞬にして吹き飛んだ。
ブラント特使は、魔王復活の兆候という衝撃的な報せと、我が国の勇者(という名の居眠り小僧兼ステーキ愛好家)田中樹の予測不能な言動に度肝を抜かれ、慌ただしく王都を後にした。
実質的に、帝国からの無理難題は一時的に棚上げとなった形だが、それ以上に厄介な、いや、国家存亡に関わる問題が新たに浮上したのだ。
特使が慌ただしく退去した後、国王執務室は、先ほどまでの外交の場とは打って変わって、重苦しい沈黙と、微かな焦燥感に包まれていた。
俺、アレクシオス・フォン・ロムグール、リリアナ、バルカス。そして、勇者。
「なあなあ王様ー、さっきの魔王ってやつ、結局どこ行ったら会えんだ? 俺、腹減ったんだけど、魔王倒したらステーキ食えるんだよな? もしかして、すっげーレアアイテムとかドロップしたりするわけ? 俺、勇者だからそういうの優先的にゲットできる権利あるよな?」
世界の危機を前に、田中樹はいつも通りの能天気さで、キラキラした(ように見える)瞳で俺にそんなことを尋ねてきた。
その手には、いつの間にかどこからか調達してきた干し肉が握られている。
こいつの胃袋と物欲センサーだけは、どんな状況でも通常運転らしい。
「樹殿、少し黙っておれ。今はそのような話をしている場合ではない」
バルカスが、ドスの利いた低い声で窘める。
さすがの樹も、歴戦の老将の気迫には一瞬だけ怯んだようだが、すぐに「ちぇっ、ジジイはうるせーな。俺は勇者としての権利を主張してるだけだっつーの」とそっぽを向いた。
こいつに常識や危機感を期待するのが間違いだった。
国王執務室に戻った俺は、リリアナとバルカスを伴い、改めて事態の深刻さを噛み締めていた。
「……エルヴァン要塞からの続報と、より詳細な情報を急げ。リリアナ、魔法伝書での定期連絡に加え、信頼できる者を現地に派遣し、直接状況を把握させろ。特に、魔力の奔流の規模、周期、そして魔物の種類と具体的な動きについてだ」
俺は、矢継ぎ早に指示を出す。
「はっ! 直ちに手配いたします。エルヴァン要塞の司令官は、グレイデン・アストリア殿。バルカス様の……」
「うむ、私の弟子だ。腕も確かで、忠誠心も厚い。彼からの報告であれば、信憑性は高いだろう」
リリアナの言葉を引き継ぎ、バルカスが力強く頷く。
そうだ、グレイデン。エルヴァン要塞の司令官にして、バルカスの一番弟子。
騎士団中央の腐敗を嘆き、エルヴァン要塞こそがロムグール王国最後の砦であるという気概と誇りを持つ男。
バルカスの引退後も、その教えを頑なに守り、厳しい規律と訓練でエルヴァン要塞の精鋭部隊を維持し続けてきたその手腕は、俺も王城の記録やバルカスからの報告で高く評価していた。
彼ならば、この危機的状況でも冷静に的確な情報を送ってくれるはずだ。
「バルカス、騎士団には最大限の警戒態勢を。エルヴァン要塞には、当面の間、追加の物資と伝令を絶やすな。グレイデン司令官と密に連携を取り、如何なる事態にも即応できるよう準備を。王都の守りも固めろ。民衆に動揺が広がれば、それこそ厄介なことになる」
「御意。直ちに」
「そして……この事態、宰相にも意見を聞かねばなるまい。そして、彼にしかできぬ仕事もある。リリアナ、イデン宰相を至急こちらへ呼んでくれ」
「かしこまりました」
リリアナが退室し、ほどなくして、宰相イデン・フォン・ロムグールが感情の読めない表情で執務室に姿を現した。
彼は、謁見の間での緊急報告の後、一度自室に戻り情報収集にあたっていたようだ。その瞳の奥には、この国難に対する彼なりの分析と計算が始まっているのが窺える。
「宰相、急な呼び出しですまない。状況は聞いているな?」
「はっ、陛下。おおよそは。まさに、国家存亡の危機と言えましょうぞ」
イデンの声は、いつも通り落ち着き払っていた。
「うむ。そこで貴殿には、国内の貴族たちの掌握と、今回の魔王復活の兆候に関する情報の管理を徹底してもらいたい。民衆に無用な混乱が広がらぬよう、細心の注意を払ってくれ。それと……例のマーカス辺境伯とその一派の動き、引き続き注視を怠るな」
「……かしこまりました、陛下。この国難、陛下と共にあらゆる手段を尽くしましょうぞ」
イデンは、静かに、しかしその瞳の奥に確かな決意を秘めてそう答えた。
(この状況は、彼の野心すらも一時的に吹き飛ばすほどの衝撃だったのかもしれない。あるいは、この国難を利用するための、新たな策謀の始まりか……。【絶対分析】は、彼の内心を「状況の深刻な認識と、自己の行動指針の再計算中」と表示している。油断はできない相手だ)
数時間後。
国王執務室には、俺と、山のような古文書を抱えて戻ってきたリリアナ、そして報告のために再招集されたバルカスとイデンの姿があった。
部屋の隅では、先ほど合流した田中樹が「なあ、まだ会議終わんねーの? 俺、魔王とかどうでもいいから、そろそろマジでステーキ食いたいんだけど! 約束だかんな!」と、リリアナの報告を遮って騒ぎ始めていた。
リリアナは、額に青筋を浮かべつつも、補佐官として冷静に続ける。
「陛下、そして皆様。エルヴァン要塞のグレイデン司令官からの詳細な魔法伝信と、王家の書庫に眠っておりましたいくつかの古文書の解読・分析結果が出ました」
彼女の声には、疲労と共に、ある種の発見をした者の高揚感が含まれていた。
「まず、グレイデン司令官からの報告です。魔の森における魔力の奔流は、竜哭山脈の奥深く、かつて魔王が封印されたと伝わる『終焉の谷』を中心に発生している模様。魔物の活性化は広範囲に及んでおりますが、今のところエルヴァン要塞への直接的な大規模攻撃の兆候はない、とのことです。しかし、過去に例を見ない強大な魔力の反応であることは間違いない、と……」
リリアナは、そこで一旦言葉を区切り、俺の顔を不安げに見上げた。
「そして、魔王復活に関する古文書ですが……」彼女は、最も分厚い一冊を指差した。
「この『アルカディア厄災記』及び、いくつかの地方伝承を照らし合わせますと、今回の魔力の奔流のパターンは、数百年前に大陸を恐怖に陥れた魔王モルガドールが復活した際の兆候と酷似しております。ですが……」
リリアナの声に、わずかな希望の色が灯る。
「ですが、これらの伝承によれば、魔王の魂はあまりにも強大であるため、この世界にそのおぞましい力を完全に顕現させ、世界に本格的な侵攻を開始するまでには、相当量の魔力と、そして何よりも『時』を要するとのことです。」
本を数ページめくり
「今回の竜哭山脈での兆候は、いわば復活の『序曲』。魔王が真にその力を振るい、世界に厄災をもたらすまでには……おそらく、1.2年から、長くても3年の準備期間が必要になるものと推察されます」
俺の顔を見つめるリリアナ。
「え、3年? 魔王ってそんなにノンビリしてんの? 俺、とっとと倒して元の世界帰りたいんだけど。3年も待てねーよ。なんかこう、一発でドカーンと倒せる裏ワザとかねーの? 王様、お前知ってんだろ? 隠してないで教えろよな!」
リリアナの報告の最重要部分に、田中樹がまたしても間の抜けた茶々を入れてきた。
(3年……いや、最長で3年ということは、最悪の場合、1年で復活すると想定して準備を進めるべきだな。絶望的な状況には変わりないが、それでも、即座に滅亡というわけではない。時間がないことには変わりないが、まだやれることはある……! ……この勇者のアホな質問は無視するとして)
「3年の猶予……でございますか」
バルカスが、厳しい表情で呟く。その言葉には、驚きと共に、しかしそれ以上に、これから始まるであろう戦いへの覚悟が滲んでいた。
「ですが、陛下。3年とは申せ、魔王が相手ではあまりにも短い。油断はできませぬな」
「ああ、バルカスの言う通りだ。楽観は許されない」俺は、改めて覚悟を固め、皆に告げる。
「リリアナの報告では最長で3年だが、我々は最悪の事態を想定し、準備期間は1年と心得て動くべきだろう。この1年……という限られた時間を、我々がどう使うか。それによって、ロムグール王国の、いや、この大陸全ての運命が決まるだろう」
俺の言葉に、執務室には再び重い沈黙が訪れた。
だが、それは先ほどまでの絶望的な沈黙とは異なり、迫りくる危機への覚悟を秘めた、静かな決意の沈黙だった。
「……陛下。まず、何をなされますか?」
リリアナが、静かに問いかける。
「内政と外交だ」俺は即答した。
「この国は、内側から腐りきっている。民は飢え、貴族は私腹を肥やし、国庫は空だ。こんな状態で、どうやって魔王と戦える? まずは、このロムグール王国を、民が安心して暮らせる、豊かな国に立て直す。」
執務室の窓から、外を眺める。
「それと並行して、軍備を増強し、来るべき日に備える。そして、魔王という共通の脅威に対し、大陸諸国と連携する道を探らねばならん。時間は限られている。一日たりとも無駄にはできん」
決意した表情で、みんなの顔を見回す。
「内政改革と、大陸諸国との連携……。どちらも、今の我が国にとっては茨の道でございますな」
バルカスが、腕を組みながら深く頷く。
「しかし陛下、大陸諸国がそう簡単に我がロムグールの呼びかけに応じるとは……。特に、ガルニア帝国は、この機に乗じて我々をさらに追い詰めようとするやもしれませぬ」
宰相イデンが、冷静に、しかし的確な懸念を示す。
「ああ、分かっている。だからこそ、外交だ。魔王という共通の脅威は、使い方次第では諸刃の剣にも、あるいは我々にとって有利な交渉材料にもなり得る。そして、そのためには、まず我が国自身が、足元を固め、大陸に示すべき『力』と『意志』を持たねばならん」
俺は、窓の外に広がる王都カドアテメの景色を見下ろした。
民の顔に笑顔が戻り、国に活気が満ちる……そんな未来を、この手で掴み取らなければならない。
「リリアナ、バルカス。明日より具体的な改革案の策定に入る。食糧増産計画、不正貴族の資産調査と国庫への還元、騎士団の再編と訓練強化、エルヴァン要塞の防衛力増強……やることは山積みだ。そして、イデン宰相には、引き続き国内の安定と、近隣諸国への非公式な打診を頼む。特にシルヴァラント公国とは、連携を深める余地があるはずだ」
「「はっ!」」
リリアナとバルカスが、力強く応じる。イデンは、静かに頷き、その瞳の奥で何かを計算しているようだった。
そして、俺は部屋の隅で「なあ、俺のステーキは? 魔王とかどうでもいいから、約束のステーキはまだなのかよ!」と、いまだに食べ物のことしか頭にない田中樹に目をやった。
「……それと、勇者殿の『育成』だが……」
俺がそう言いかけると、リリアナとバルカスの顔が一瞬で絶望の色に染まり、イデン宰相の口元に、隠しようもない嘲笑が浮かんだのが見えた。
「勇者殿」俺は、できるだけ穏やかな声で呼びかけた。
「魔王が復活するかもしれん。君は勇者として、この国を守るために召喚された。少しは……その、体を鍛えたり、剣の稽古をしたりする必要があると思うのだが、どうだろうか?」
田中樹は、俺の言葉にキョトンとした顔で答える。
「はぁ? なんで俺がそんな面倒くせーことしなきゃなんねーんだよ。俺、勇者だぞ? なんかこう、ピカーッて光って自動的にレベルアップしたり、伝説の剣が勝手に俺を選んでくれたりしねーの? チートスキルとかは? 最初っから最強じゃないとか、勇者としてバグってんじゃねえの?」
そのあまりにもな言い草に、俺は言葉を失う。
リリアナはこめかみをピクピクさせ、バルカスは今にも抜刀しそうな勢いだ。
(……まあ、こいつの育成は……うん。期待するだけ無駄だな。バルカス、すまんが、体力作りと、せめて剣の素振りだけでもやらせてみてくれ。逃げ出さない程度に、な。何か……本当に、何か一つでも役に立つことがあれば儲けものだ。……報酬のステーキは、訓練の成果次第ということで)
俺は、内心でバルカスに謝りつつ、無理難題を押し付ける。
バルカスは、眉間に深い皺を刻みながらも、「……御意。陛下、この老骨、勇者殿の『ご指導』、力の限り努めてみましょうぞ(ただし、精神衛生が保つ限り、ですがな)」と、どこか諦観の混じった声で答えた。
その背中が、やけに小さく見えたのは気のせいだろうか。
「陛下、それと、大陸諸国への働きかけについてですが……」
リリアナが、話を本題に戻す。
「シルヴァラント公国のセレスティナ公女殿から、以前、魔王の脅威に関する大陸会議の開催についてのご提案がございました。しかし、我が国を含めて、危機感がない状況で開催は見送られていました。この状況を鑑み、改めて我が国が主導して会議の開催を呼びかけるというのはいかがでしょうか?」
「大陸会議、か……。確かに、それが必要になるだろうな。各国がバラバラでは、魔王の思う壺だ」
俺は頷く。
「よし、リリアナ。各国への使者を派遣する準備を。まずは、この事態の深刻さと、我が国の情報を正確に伝え、その上で、ロムグール王国主催による『対魔王大陸戦略会議(仮称)』への参加を呼びかける。開催時期は……できるだけ早く、だが、各国の代表が参加できるだけの準備期間も必要だ。そこは上手く調整してくれ」
「かしこまりました、陛下!」
(まずは、足元を固める。そして、仲間を増やす。時間との戦いだ……。そして、俺の胃も……)
俺の胃は、もはや慢性的な痛みを通り越して、無感覚になりつつあった。
ロムグール王国の、そして俺自身の、時間との、そして絶望的な現実との戦いが、今、本格的に始まろうとしていた。
魔王復活まで、あと最長で3年。いや、最悪の場合は、たった1年だ。
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