第七十一話:聖勇者、聖都へ
ロムグール王国の王都カドアテメは、建国以来の歴史的な熱狂の渦に包まれていた。
「聖勇者イトゥキ様の、聖地巡礼だ!」
「なんと、ありがたいことか!」
「我らが英雄に、神のご加護を!」
「魔王」討伐という偉業を成し遂げた英雄が、神への感謝と報告のため、聖都サンクトゥム・ルミナへと、平和の巡礼に出る。
その報せは、瞬く間に大陸全土を駆け巡り、民衆の心を、熱狂的な信仰心で満たしていた。
沿道には、花びらが舞い、家々の窓からは、黄金の獅子を刻んだ王家の旗が掲げられている。
その、民衆の歓声に送られ、壮麗な「聖勇者巡礼団」が、王都の正門から、ゆっくりと出発していく。
先頭を行くのは、この物語の「主役」、勇者田中樹。
彼は、リリアナが、見栄えだけを重視して作り上げた、純白の、金の刺繍が施された、新品の巡礼服に身を包み、少しだけ困惑したような、しかし、どこか誇らしげな表情で、民衆に手を振っている。
レオの死、ヴァンドールでの一件、そして、アレクシオスとの対話。
それらを経て、彼の心には、確かに、変化が訪れていた。彼は、もはや、ただの駄々っ子ではない。
自らが、この世界の、何らかの重要な役割を担っているのだという、漠然とした、しかし、確かな自覚が、芽生え始めていた。
(……まあ、俺が行けば、なんだかんだで、うまくいくんだろ。よく、わかんねーけど)
その、根拠のない自信は、以前と何ら変わっていなかったが。
その、勇者の後ろには、巡礼団の護衛として、各国の精鋭たちが続く。
シルヴァラントの騎士、サー・レオンは、憧れの聖地へ向かう喜びに、その顔を輝かせている。
東方諸侯の諜報員、ジエンは、平凡な従者の顔の下で、聖都の警備体制についての、膨大な情報を、すでに頭の中で整理し始めていた。
そして、その列の中ほど。
ロムグールの騎士団副団長、ライアスは、馬上で、隣を行く、帝国の将軍ヴァレンティンと、見えない火花を散らしていた。
「―――これは、これは、ヴァレンティン将軍閣下。貴殿ほどの御方が、わざわざ、勇者殿の護衛にお付きいただけるとは、実に、心強い限りですな」
ライアスが、皮肉を込めて言う。
「ふん。帝国の威信にかけて、勇者殿の身の安全を、万全にするためだ。貴殿ら、ロムグールの騎士だけに、任せてはおけんからな」
ヴァレンティンもまた、冷たい笑みで返す。
彼の真の目的は、アレクシオスの動きを監視し、教会との関係を妨害すること。
二人の間では、旅が始まる前から、すでに、静かな戦いが始まっていた。
その、豪華絢爛な巡礼団の、荷物を運ぶ、何の変哲もない荷馬車の列。
その、一台の幌馬車の中に、この作戦の、本当の「心臓部」が、息を潜めていた。
ファム、ナシル、ハヤテ、シズマの、闇滅隊の四人。
そして、王国最強の魔術師、リリアナ。
帝国の諜報員、ヘルガ。
彼らは、巡礼団の従者や、荷物番として、その気配を完全に消し、きたるべき潜入の時を、静かに待っていた。
アレクシオスは、王都の城壁の、一番高い場所から、その、あまりにもいびつな一行が、ゆっくりと聖都へと向かっていくのを、静かに見送っていた。
傍らには、フィンと、王都の守りの要として残った、バルカスの姿があった。
「……陛下。この巡礼、やはり、危険すぎます」
バルカスが、心配そうに呟く。
「帝国のヴァレンティン、そして、正体も知れぬギルドの黒幕…。敵だらけの中に、我らの至宝たちを、飛び込ませるようなもの」
「分かっている。だが、だからこそ、行くのだ、バルカス」
アレクシオスは、遥か彼方、聖都サンクトゥム・ルミナがあるであろう方角を見つめた。
「モルガドールの遺言が、真実ならば、真の魔王と、残る三人の四天王が、いつ、我々の前に現れるか、分からん。その、来るべき決戦の日に、連合の内部に、教会という、巨大な火種が残っていては、我々は、内外から、挟撃されることになる」
彼の声には、王としての、冷徹なまでの、戦略的な判断が込められていた。
「だからこそ、先に、叩けるものは、全て叩いておく。後顧の憂いは、完全に、断っておきたいのだ」
(聖遺物か、爆弾か……)
アレクシオスは、巡礼団の先頭を行く、小さな、しかし、今は、やけに大きく見える、勇者の背中を見つめた。
(いずれにせよ、あいつを聖都へ行かせることは、最大の博打だ。だが、この博打に勝たねば、未来はない)
偽りの平和は、終わった。
聖勇者の、偽りの巡礼が、今、始まる。




