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幕間:黒き聖都の静かなる怒り

 

 ヴァンドールでの、連合合同部隊による「蜘蛛狩り」は、表向きには、何事もなかったかのように、静かに完了した。


 無法の港町では、今も、オリオン商会が、何食わぬ顔で商売を続けている。


 だが、その水面下で、大陸のパワーバランスは、確実に、そして、大きく、動き始めていた。


 大陸中央に位置する宗教独立都市国家、教皇領サンクトゥム・ルミナ。


 純白の大理石で築かれた壮麗な街並みの中心に聳える、アルカディア正教の総本山「ルミナリア大聖堂」。


 その、敬虔な信徒たちが祈りを捧げる聖堂の、遥か地下深く。


 歴代教皇ですら、その存在を知る者はごく僅かという、禁断の地下聖堂が存在した。


 そこが、黒曜石ギルドの本拠地『アンブラル・シノッド(影の教会会議)』であった。


 磨き上げられた巨大な黒曜石の祭壇の前で、一人の影が、深く頭を垂れていた。


 ヴァンドールの倉庫から、辛うじて逃げ延びたギルドの幹部だった。


「―――申し訳ございません、大導師様。第十三倉庫は、連合の特殊部隊によって破壊され、『積荷』は、全て奪われました。我らの部隊も、壊滅的な打撃を……」

 その、震える声での報告を、祭壇の奥の豪奢な玉座に座る人物は、静かに聞いていた。


 その姿は、深い影と、顔を覆う、純白の仮面によって窺い知れない。


 彼こそが、大陸の闇に巣食う『黒曜石ギルド』の頂点に立つ者、『大導師』。


「……よい」

 やがて、大導師は、静かに言った。


 その声には、怒りも、失望も、何の感情も含まれていない。


 ただ、底なしの深淵を思わせる、静けさだけがあった。


「罰は、ないのか、と、そう言いたげな顔だな」


「は……はい。我らは、大導師様の大切な計画を……」


「大切? あれは、数ある計画の一つに過ぎぬ。そして、失敗ですらない。むしろ、これで、ようやく、舞台の役者が、全て盤上に揃ったというものだ」

 大導師は、くつくつ、と喉を鳴らして笑った。


「ロムグール王アレクシオス。シルヴァラントの小娘。商業同盟の古狐。そして、帝国の、野心だけは一人前の若造。面白い。実に、面白い駒が、揃ってきたではないか」


 大導師は立ち上がり、報告を終えた幹部に「下がれ」と、短く命じた。


 一人になった聖堂で、彼は、ゆっくりと、壁に掛けられた巨大な大陸地図の前へと歩を進める。そして、自らが被っていた、純白の仮面を、音もなく外した。


 薄暗い聖堂に差し込む、ステンドグラス越しの月明かりが、その素顔を照らし出す。


 その顔は、民衆から、慈愛に満ちた聖職者として、絶大な尊敬を集めている、アルカディア正教の、最高幹部の一人。


 枢機卿ディミトリ・ヴァレリウス。


 その人だった。


 その、普段は、温和な笑みを浮かべているはずの顔には、今、聖職者とは、およそかけ離れた、冷酷で全てを見下すかのような、歪んだ愉悦の表情が浮かんでいた。


 彼は、ヴァンドールに置かれていた、黒曜石の駒を、指先で、まるでゴミでも払うかのように、盤上から弾き飛ばした。


「モルガドールという、分かりやすい『恐怖』は、あの王に討たれた。ヴァンドールという、分かりやすい『悪徳』も、あの王に暴かれた。……良いだろう。それでこそ、だ。陳腐な英雄譚は、もう見飽きた。もっと、複雑で、もっと、救いのない悲劇でなくては、この、腐りきった世界を浄化する、最高の芸術にはなりえん」


 彼は、アレクシオスという、予想外の駒の登場に、苛立つどころか、むしろ、心からの喜びを感じていた。


「哀れな王よ。貴様は、正義を信じ、仲間を信じ、その小さな光で、必死に闇を照らそうとしている。実に、美しい。実に、愚かしい。その光が、強ければ強いほど、その光を失った時の絶望は、より深く、より甘美なものとなるのだ」


 ヴァレリウスは、新たな駒を手に取った。


 それは、どの駒よりも黒く、そして、禍々しい気を放っていた。


「来るがよい、若き王よ。この、聖なる蜘蛛の巣、サンクトゥム・ルミナへ。自ら、破滅の門を叩きに来るとは、実に、殊勝な心がけだ。貴様が暴いた『免罪符』の真実など、この私が仕掛ける、本当の『絶望』の、ほんの序章に過ぎぬということを、知らずにな」

 彼は、その黒い駒を、大陸地図の中央、教皇領サンクトゥム・ルミナの、まさにその中心に、ことり、と置いた。


「歓迎しよう。神の御名において、貴様らに、決して覆ることのない、本当の絶望を与えてやる」


 その呟きは、誰に聞かれることもなく、静かな、しかし、絶対的な神の威光に満ちた、大聖堂の闇へと、吸い込まれていった。


 アレクシオスたちの、次なる戦いの舞台は、すでに、完璧に、仕組まれていた。


 彼らは、救いを求めて、聖地へと向かう。


 その聖地こそが、全ての悪意の根源であるとも知らずに。

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