表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/227

第六十九話:地下水道の死闘

 

 静寂。


 目の前の、おびただしい数の「白紙の免罪符」が放つ、無音の悪意に、その場にいた誰もが、言葉を失っていた。


 それは、どんな魔物よりも、どんな呪詛よりも、恐ろしい光景だった。


「……なんだよ、これ……」

 ファムの声が、震えていた。


「教会が……アルカディア正教の、一番、深いところが……もう、手遅れなのかもしれませんわ……」

 リリアナは、その場で、へたり込みそうになるのを、必死にこらえていた。


「……いずれにせよ、我々は、この証拠を、国王陛下の元へ、持ち帰らねばならない」

 ライアスの冷静な声に、一行は我に返った。


 現場指揮官であるファムは、苦渋の決断を下す。


「……ちっ! 分かったよ! 一箱だけだ! 一箱だけ、サンプルとして持ち出す! 残りは、燃やす! これ以上の譲歩はしねえぞ!」


 作戦は、直ちに実行された。

 リリアナが、残った魔力で、倉庫の内部に、大規模な発火の魔術を仕掛ける。


 時間差で発動し、全てを焼き尽くす算段だ。


 ライアスとレオンが、証拠となる免罪符の木箱を、担ぎ上げる。


 そして、一行は、ヴァンドールの、汚れた闇へと、再びその身を投じた。


 だが、ファムの予測通り、街は、すでに、彼らを捕らえるための、巨大な網を張り巡らせていた。


 表通りは、オリオン商会が雇った、柄の悪い傭兵たちで、完全に封鎖されていた。


「……道は、一つしかねえな」

 ファムは、マンホールの蓋を指差した。「この街の、ドブの中を、進む」


 ヴァンドールの地下に広がる、広大な下水道。

 それは、この街が、地上に吐き出せない、全ての汚物と、秘密が流れ着く場所だった。


 一行は、鼻を突く悪臭と、ぬるりとした足元に顔をしかめながら、唯一の脱出ルートを、慎重に進んでいた。


 ライアスとレオンが、先頭と最後尾を固め、中央では、リリアナが、小さな光の玉を浮かべて、周囲を照らしている。


 その時だった。


 ゴポッ、と。


 前方の、汚水が流れる水路の水面が、不自然に泡立った。


「……何だ?」

 ライアスが、警戒して盾を構える。


 次の瞬間、水面が、まるで生きているかのように、大きく盛り上がった。


 そして、中から、半透明で、巨大な、アメーバ状の何かが、ぬるりと、その姿を現したのだ。それは、この狭い地下道を、完全に塞ぐほどの大きさだった。


「ひっ……!」

 樹が、小さな悲鳴を上げる。


「スライムか? いや、違う! こんな邪悪な気配を放つスライムなど、聞いたことがない!」

 バルカスの代理で来たライアスが叫ぶ。


「ギルドの奴ら……! こんな化け物を、この街の地下で、飼ってやがったのか!」

 ファムが悪態をつく。


 怪物は、声を発しない。


 だが、その身体の一部が、鞭のようにしなり、強酸性の体液を、一行めがけて吐き出した。 


「盾を構えろ!」

 ライアスとレオンが、咄嗟に大盾を構える。


 ジュウウウッ!と、鋼の盾が、酸で溶ける嫌な音が響いた。


「物理攻撃は、おそらく効かんぞ!」

 サー・レオンが叫ぶ。


「リリアナ!」


「はい! 【フリージング・ウェイブ】!」

 リリアナの詠唱に応え、絶対零度の冷気が、怪物の表面を凍りつかせ、その動きを、一瞬だけ、鈍らせた。


「ナシル! コアはどこだ!」

 ファムが叫ぶ。 


「待て、探している! こいつ、身体の中で、核を高速で移動させてやがる!」

 ナシルが、鏡の欠片をかざし、必死に弱点を探る。


 その時、動きの鈍った怪物から、新たな触手が、鞭のように伸び、後方のリリアナと樹を、直接狙ってきた!


「させるか!」

 ハヤテとシズマが、その前に立ちはだかり、霊刃で触手を切り裂く。


 だが、切り裂かれたそばから、瞬時に再生してしまう。


「くそっ、キリがねえ!」


「このままでは、ジリ貧だ!」

 焦りが、一行を包む。


 その、絶望的な状況下で、田中樹の身体が、再び、あの現象を引き起こした。


 彼の【神聖】スキルが、目の前の、純粋な、そして強大な邪気の塊に、激しく反応したのだ。


 樹の身体から、淡い、黄金の光が、放たれる。


 それは、先の倉庫で、仲間を守りたいという強い意志で発動させた【守護の聖域】ほど、強力なものではない。


 だが、その、ただ、そこに「在る」だけの、清浄な光に、怪物は、明確な「拒絶反応」を示した。


「■■■■■■■■ッ!!」


 怪物は、初めて、声にならない、精神に直接響くような、苦悶の絶叫を上げた。


 樹の放つ光に触れた部分が、聖水に触れた吸血鬼のように、白く変色し、激しく泡立っている。 


 怪物は、本能的な恐怖から、樹から距離を取ろうと、その巨大な身体を、大きく後退させた。


「……今だ!」

 その、ほんの一瞬の硬直と、後退。


 ナシルは、それを見逃さなかった。


「核が、止まった! 身体の、中央上部だ!」

 彼の声に、全員が反応した。


「リリアナ、光を!」「【ライト・アロー】!」


「ファム、ジエン、牽制を!」「応!」「承知!」


「レオン殿! 行くぞ!」「はい!」


 ライアスとレオンが、再び、正面から突撃する。


 ファムとジエンが、左右から、敵の注意を引くために、無数の短剣や石つぶてを投げつける。


 リリアナの放った光の矢が、怪物の身体を眩惑する。


 そして、その全ての陽動によって生まれた、ただ一点の、完璧な好機。


「―――そこだ!」

 ヤシマの剣士、ハヤテとシズマの二人が、左右の壁を蹴り、宙を舞った。


 二振りの霊刃が、ナシルが示した、ただ一点の「核」めがけて、十字を描くように、寸分の狂いもなく、突き刺さった。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!!!」


 怪物は、最後、魂の底からの絶叫を上げると、その巨体を維持できなくなり、まるで泥のように、崩れ落ち、汚水の中へと、溶けて消えていった。


 後に残されたのは、荒い息を繰り返す、連合部隊の面々だけだった。


「……やった、のか……」

 ライアスが、呟く。


「ああ。だが、長居は無用だ。さっさと、ずらかるぞ」

 ファムが、一行を促す。


 彼らは、静まり返った地下水道を抜け、鴉が手配した、小さな入り江へとたどり着いた。


 そこには、一隻の小舟が、彼らを待っていた。


 一行は、夜が明け始めた、ヴァンドールの薄汚れた空の下、ようやく、安堵のため息をついた。


 彼らは、生き延びたのだ。


 そして、その手には、大陸全土を、内側から崩壊させかねない、恐るべき「爆弾」を、確かに、握りしめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ