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第六十七話:第十三倉庫、潜入

 

 満月の光が、港町ヴァンドールの、汚れた石畳を、冷たく照らし出す。


 連合合同特殊部隊の面々は、それぞれの偽りの仮面を被り、蜘蛛の巣の中心――第十三倉庫へと、静かに、そして、確かな目的を持って、その歩を進めていた。


 作戦は、寸分の狂いもなく、開始された。


 まず、動いたのは、二つの影。


ヤシマの剣士、ハヤテとシズマだった。


 彼らは、まるで重力など存在しないかのように、倉庫街の建物の屋根を、音もなく駆け抜ける。


その動きは、夜闇に溶け込む、二匹の黒猫のようだった。


「……四人。屋根の四隅に、一人ずつだ」

 ハヤテが、風のような声で囁く。


「二人ずつ、同時にやる。合わせろ」

 シズマが、短く応える。


 次の瞬間、二人の姿が、同時に、別の方向へと躍り出た。


 屋根の上で、退屈そうにあくびをしていた見張りの傭兵は、自分の首筋に、冷たい鋼の感触を感じた時には、すでに、意識を刈り取られていた。


悲鳴を上げる間も、仲間を呼ぶ暇も、与えられない。完璧な、無音の暗殺。


 ほんの数十秒後、倉庫の屋根の上は、永遠の静寂に包まれた。


 その合図を受け、第二のチームが動く。


 東方諸侯の諜報員、ジエンと、ザルバードの偵察員、ナシルだ。


 ジエンは、酔っぱらって千鳥足で歩く船乗りに、完璧に成りすましていた。


彼は、倉庫の壁際で、わざとらしく派手に嘔吐し、警備兵たちの注意と、侮蔑の視線を引きつける。


「ちっ、汚ねえ酔っ払いだ。さっさと失せろ!」

 警備兵たちの意識が、一瞬だけ、ジエンに集中する。


 その隙を、ナシルは見逃さなかった。


彼は、物陰から、倉庫の通用口に張られた、魔術的な警報結界を、『真実の鏡』の欠片で分析する。


(……なるほど。侵入者の魔力に反応する、単純な警報術か。だが、これを、無理に解除すれば、中の連中に気づかれる)


 ナシルは、懐から、ザルバードに伝わる、魔力を中和する特殊な砂を取り出すと、それを、風に乗せるように、そっと、結界の術式の中核へと撒いた。


砂は、魔力に触れると、音もなく霧散し、結界の機能を、ほんの数分間だけ麻痺させた。


 二人は、誰にも気づかれることなく、倉庫の敷地内への、侵入に成功した。


 そして、第三のチーム。


ファムと、帝国のヘルガ。


 二人は、先行したナシルたちが解除した罠の痕跡を辿り、倉庫に隣接する、オリオン商会の事務所の裏口へと到達していた。


「……面倒な鍵だ。開けるのに、少し時間がかかるぜ」

 ファムが、愛用のピックを取り出す。 


 だが、ヘルガは、それを待たなかった。


彼女は、無言で、懐から小さな小瓶を取り出すと、その中に入っていた、粘つくような液体を、鍵穴に数滴、垂らした。


 ジュウウウウウ……ッ!


 金属が、酸で溶ける、嫌な音と匂い。


数秒後、複雑な構造をしていたはずの錠前は、ただの鉄の塊と化していた。


「……時間がないの。子供の遊びに、付き合う気はないわ」

 ヘルガは、冷たく言い放ち、ファムを押し退けるように、事務所の中へと侵入した。


「……あのクソ女…!」

 ファムは、悪態をつきながらも、その後を追った。


 事務所の中は、不気味なほど静まり返っていた。二人は、手早く、めぼしい書類を探し始める。


 ファムが、隠し金庫の中から、積荷の詳細が記された裏帳簿を発見した、その時だった。


 ヘルガが、別の棚から、魔術的な封印が施された、一通の封書を見つけ出し、それを、誰にも見られぬよう、素早く、自らの懐へと滑り込ませようとした。


「―――待ちな、帝国の犬」

 ファムの、短剣の切っ先が、ヘルガの喉元に、突きつけられていた。


「てめえが、今、隠そうとしたものは、何だ?」


「……あなたには、関係ないことよ」

 ヘルガもまた、袖口から、毒針を覗かせ、ファムを睨みつける。


 一触即発。チームの内なる不和が、今、牙を剥こうとしていた。


 その、まさにその瞬間だった。


 ゴオオオオオオンッ!!


 倉庫の、正面の扉が、凄まじい破壊音と共に、内側へと吹き飛んだ!

「なっ!?」

 ファムとヘルガは、互いから距離を取る。


 それは、リリアナが、結界の弱まる、満潮の時刻を正確に捉え、そして、ライアスとサー・レオンが、その一点に、渾身の力を込めて、破城槌を叩きつけた音だった。


「―――突入する!」

 ライアスの号令と共に、リリアナ、樹を護衛しながら、本隊が、倉庫の中へと雪崩れ込んだ。


 倉庫の中は、広大な空間だった。


無数の木箱が、天井高く積まれている。


 そして、その中央には、一行を待ち構えていたかのように、三十名を超える、屈強な警備兵たちと、数名の、黒いローブを纏った魔術師たちが、武器を構えて、静かに立っていた。


「……ようやく、おでましか、連合のネズミども」

 警備兵のリーダー格と思わしき、顔に大きな傷跡のある男が、下卑た笑みを浮かべた。


「この街で、オリオン商会に逆らうと、どうなるか。その身をもって、教えてやる!」


 その言葉を合図に、警備兵たちが、一斉に襲いかかってきた!


「ライアス殿! レオン殿!」


「応!」


 ライアスとサー・レオンが、盾を構え、その猛攻を正面から受け止める。


 リリアナが、後方から、援護の魔法を詠唱し始めた。


 その、激しい戦闘の、すぐ後ろで。


 田中樹は、ただ、震えていた。


 だが、敵の魔術師の一人が、彼らの後方にいる、非戦闘員であるリリアナと樹を狙い、禍々しい呪詛の詠唱を始めた、その瞬間。


 樹の身体から、彼自身も気づかぬうちに、微かな、しかし、絶対的な、黄金の光が、放たれた。


【神聖】のスキルが、その邪気に、無意識に、反応したのだ。


「なっ……!? わ、私の呪文が……かき消される!?」

 魔術師は、信じられないといった表情で、樹を見た。


「……貴様……! 貴様は、一体、何者だ!?」

 その叫びは、他の魔術師たちの注意をも、引きつけた。


 彼らは、気づいてしまったのだ。


この、一見、何もできずに震えているだけの少年こそが、自分たちの魔術を無力化する、最も危険な存在である、と。


 魔術師たちの、憎悪と、殺意に満ちた視線が、一斉に、田中樹へと注がれる。


 ライアスとレオンは、屈強な警備兵たちに足止めされ、すぐには動けない。


 孤立無援。


 絶体絶命。


 ただの「お荷物」であるはずだった少年は、今、この作戦で、最も危険な標的として、敵の前に、その身を晒すことになった。

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