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第七話:盤上の激震 ~魔王復活の凶兆、そして外交の終焉!?~

 


 ガルニア帝国特使ゲオルグ・フォン・ブラントが、我が国の勇者(という名の居眠りこき小僧)の「査定」という名目で一旦引き下がってから数日。


 国王執務室は、再び帝国特使を迎えるための最終調整と、それ以上に重苦しい緊張感に包まれていた。


 俺、アレクシオス・フォン・ロムグール、筆頭補佐官リリアナ、バルカス、そして宰相イデンが一堂に会していた。


「特使は、前回、我が国の『勇者』殿の、あの予測不能なご様子――特に外交の場での堂々たるご就寝ぶりに、相当面食らったはずだ。だが、帝国がそう簡単に引き下がるとは思えん。より巧妙な要求を突き付けてくるだろう」

 俺は、集めた情報を元にそう切り出した。


「はい。帝国は、依然として我が国の勇者召喚を重大な脅威、あるいは何らかの『奇策』の一環と捉え、警戒を解いていない様子。前回のアクシデント――いえ、勇者様のあの『ご様子』を踏まえ、今度こそ勇者の『化けの皮』を剥がそうと、より周到な策を練ってくるかと存じます」

 リリアナが、緊張した面持ちで報告する。


彼女の言葉の端々に、勇者・田中樹への諦めと、それでも俺の策への期待が滲んでいる。


「ふん。陛下、まさかとは思いますが、今回もあの『勇者』殿を……?」

 バルカスが、苦虫を噛み潰したような顔で、部屋の隅で相変わらずマイペースに干し肉を頬張りながら「今日の会談はステーキ出るかなー?」と鼻歌交じりに呟いている田中樹に視線を送る。


「ああ。彼には引き続き『ロムグールの予測不能な秘密兵器』を演じてもらう。帝国が勇者の『査定』を望むなら、存分に査定させてやろうではないか。ただし、その結果何が起きても、我々は一切関知しないがな」

 俺がそう言うと、宰相イデンは面白そうに口の端を上げた。


「ほう……陛下、あの『眠れる獅子』…いえ、眠れる子猫殿を、再び外交の盤上にお出しになると? よろしいでしょう。その陛下の『奇策』、このイデン、特等席で拝見させていただきますぞ。」

 その言葉には、依然として俺の力量を測ろうという意図が見え隠れしていた。


 そして、帝国特使ゲオルグ・フォン・ブラントとの再会談の日が訪れた。


 謁見の間には、前回と同じ布陣。


 玉座の俺、その両脇にリリアナとバルカス、そして少し離れた場所に宰相イデン。


 そして、俺の足元には……俺が事前に「今日の会談で大人しくしていれば、特別に極上のステーキを用意させる」と約束した結果、期待に胸を膨らませて(そして既に腹が減って)丸くなって再び居眠りをこき始めている田中樹の姿があった。


 こいつの睡眠欲と食欲だけは本物だ。


 ブラント特使は、前回よりも幾分やつれたようにも見えるが、その眼光は鋭く、計算高い光を宿していた。


「ロムグール国王アレクシオス殿。我が皇帝陛下も、貴国の状況には『深いご理解』を示され、改めて我が帝国のご意思をお伝えするよう、厳命が下った」

 ブラント特使は、そう切り出すと、修正された要求を提示してきた。


 それは、金銭的な要求こそ多少減額されていたものの、代わりにロムグール王国内の特定鉱山の共同開発権益の9割を帝国に譲渡、そして「勇者の能力を平和的かつ有効に活用するため、帝国主導による『勇者育成機関』への編入」という、より巧妙かつ悪辣な要求が並んでいた。


(巧妙に内容をすり替えてきたな……! 形を変えただけの属国化要求、そして勇者強奪計画じゃないか! しかも、育成機関だと? あの田中をどう育成するというんだ……いや、むしろ育成してくれ、頼むから!)

 俺は怒りを抑え、リリアナとバルカスに目配せする。


 リリアナが冷静に反論の口火を切り、バルカスがその武威で特使に無言の圧力をかける。


 宰相イデンは、相変わらず表情を変えずに交渉の推移を見守っているが、その目は特使の一挙手一投足を鋭く観察していた。


 交渉が平行線を辿り、謁見の間の空気が再び張り詰め始めた、その時だった。


 バタンッ!!


 謁見の間の巨大な扉が、許可もなく乱暴に開け放たれた。


 血相を変えた伝令兵が、衛兵の制止を振り切って転がり込んでくる。


 その手には、割れた魔法伝書の水晶片が握られていた。


「も、申し上げます! き、緊急事態発生! 北方、竜哭山脈のエルヴァン要塞より緊急魔法伝信! 魔の森にて、かつてない規模の魔力の奔流と、大地を揺るがす不吉なるオーラの噴出を観測! 古の伝承に伝わる、『魔王復活の兆候』である可能性が……極めて高いとの報告にございます! すでに、要塞近辺では魔物の活動が異常活性化しており、小規模な衝突も発生しているとのこと!」


 その言葉は、まるで凍てつく刃のように、謁見の間の空気を切り裂いた。


「な……なんだと……!?」


 ブラント特使が、それまでの尊大な態度も忘れ、素っ頓狂な声を上げる。


 その顔からは血の気が引き、明らかに動揺していた。


「魔王……復活の兆候だと……!? エルヴァン要塞で、既に戦闘が!?」


 バルカスが、腰の剣の柄に手をかけ、鋭い視線を伝令に向ける。


 リリアナも、扇を持つ手が微かに震えているのが分かった。


 宰相イデンは、眉一つ動かさず、しかしその瞳の奥には、一瞬、計算とは異なる種類の、深い思慮の色が宿ったように見えた。


(魔王……だと!? このタイミングで……!? まさか、女神の奴、これを見越して俺を……いや、そんなはずは……だとしたら、あのポンコツ勇者の存在意義は……?)

 俺は、混乱する頭を必死に抑え、【絶対分析】で伝令の言葉の真偽と、報告された現象の危険度を瞬時に解析しようと試みる。


 スキルは、「情報源の信憑性:極めて高(エルヴァン要塞司令官直々の魔法伝信)」「危険度:測定不能、国家レベル、あるいは大陸全土レベルの破滅的脅威である可能性大」と、絶望的な結果を叩き出した。


 謁見の間は、水を打ったような静寂に包まれた。その静寂を破ったのは、意外な人物だった。


「んがー……むにゃむにゃ……ステーキ……おかわり……。あれ? なんか騒がしくね? 俺の安眠妨害すんなよなー」

 田中樹が、大きなあくびと共に目を覚まし、寝ぼけ眼で周囲を見回したのだ。


「ん? 魔王? なんだそれ、俺のステーキより美味いのか? それとも、新しいゲームのボスキャラか何か? 俺、最近レベル上げサボってたからなー、勝てるかなー?」

 その手には、いつの間にか焼き菓子ではなく、重くて抜けもしない聖剣(鉄の棒)が握られている。


 どうやら、寝ぼけてお菓子の代わりに掴んでしまったらしい。


「勇者殿、今はそのような場合では……!」

 リリアナが咎めようとするが、俺はそれを手で制した。


 ブラント特使は、伝令の報告と、そして田中樹の間の抜けた反応を交互に見比べ、その顔色は蒼白を通り越して土気色に近くなっていた。

「ば、馬鹿な……! 魔王だと……? このような時代に……。し、しかも、ロムグールの勇者は……この状況でステーキだと……!? 我が帝国への報告はまだなのか!?」

 彼は、傍らの従者に怒鳴りつけるように命じる。


 どうやら、この情報は彼にとっても、そしておそらく帝国本国にとっても、寝耳に水だったらしい。


 俺は、この絶望的な状況の中で、逆に奇妙なほどの冷静さを取り戻しつつあった。


 前世のブラック企業で、数々の理不尽なトラブルシュートを不眠不休でこなしてきた経験が、こんな土壇場での思考の切り替えを可能にしているのかもしれない。


「特使殿」俺は、努めて落ち着いた声で呼びかけた。


「ご覧の通りだ。もし、この報告が真実であれば……我がロムグールも、そして貴国ガルニア帝国も、もはや互いに鉱山の利権などを巡って争っている場合ではあるまい」


「な……何を言われるか、アレクシオス国王! これは、貴国が我々の要求をかわすための、卑劣な芝居ではあるまいな!?」

 ブラント特使は、疑心暗鬼に陥りながらも、必死に威厳を取り繕おうとしている。


「芝居だと? このエルヴァン要塞からの緊急魔法伝信が、そしてこの大陸全土を揺るがしかねない魔王復活の兆候が、芝居に見えるとおっしゃるか? それとも、貴国は、魔王の脅威よりも、我がロムグールから勇者を奪い取ることの方が重要だとお考えか?」

 俺は、皮肉と、そして抑えきれない怒りを込めて言い返す。


 バルカスが、重々しく口を開いた。その声は、謁見の間にいる全ての者の心に響いた。


「陛下のおっしゃる通りです、特使殿。もし魔王が本格的に復活なされば、その力は一つの国を滅ぼすに止まらず、このアルカディア大陸全土を焦土と化すやもしれませぬ。そうなれば、帝国の威光も、我が国の存亡も、全てが無に帰しましょうぞ。エルヴァン要塞は、大陸全体の盾。そこが破られれば、次は貴国とて無事では済まないはずだ」


 宰相イデンも、静かに、しかし鋭い視線を特使に向けた。

「……賢明なるガルニア帝国であれば、この事態の深刻さ、そして取るべき行動の優先順位を誤ることはありますまいな、特使殿。今は、人間同士が争っている場合ではないはずです」

 その言葉には、暗に「ここでロムグールに無用な圧力をかけ続ければ、帝国も魔王の前に共倒れになるぞ」という、紛れもない警告が含まれていた。


 ブラント特使は、額に脂汗を滲ませ、震える手で自身の服の襟を掴んでいる。


 彼の頭の中では、本国への報告義務、皇帝の意向、ロムグールへの不信感、そして目の前で起きている(かもしれない)世界の危機が、目まぐるしく交錯し、完全に思考停止状態に陥っているようだった。


【絶対分析】によれば、彼の小心者な性格は、この「魔王復活」という未知の、そして制御不能な恐怖によって、完全にキャパシティオーバーを起こしていた。


「……し、しかしだ! 我が国の要求は……!」

 それでもなお、特使としての立場を捨てきれないのか、ブラントが何かを言いかけた、その時。


「なあなあ、魔王ってどこにいんだよ? 俺、ちょっと様子見てきてやろうか? なんか、すっげー強いオーラとか出てるなら、俺にも分かるかもしんねーし! 俺、勇者だからさ! 意外とそういうの得意なんだぜ、きっと!」

 田中樹が、聖剣(鉄の棒)を肩に担ぎながら(もちろん、重くて肩がミシミシ鳴っているが)、なぜか少しだけワクワクしたような、それでいてどこか真剣な(ように見える)表情でそう言い放ったのだ。


 その目は、確かに「魔王」というキーワードに、これまでにない反応を示していた。


 その瞬間、ブラント特使の顔から、完全に色が消えた。


(こ、この勇者……! まさか、本当に魔王の気配を感じ取ったとでもいうのか……? いや、しかし、この無謀さ、この自信……! そして、この状況で、あの国王や重臣たちは、この小僧を止めようともしない……! もし、万が一……万が一、この小僧が本当に魔王と渡り合えるほどの『何か』を持っているとしたら……? 我が帝国は、とんでもないものを見誤っていたことになる……!)


 俺は、その特使の表情の変化を見逃さなかった。

(……よし! 田中樹、お前、生まれて初めて、本当に、心の底からグッジョブだ……! その根拠のない自信と無知蒙昧さが、今、最強のブラフになっているぞ!)


「特使殿」俺は、最後のとどめを刺すように言った。


「今は、両国が手を取り合い、この未曾有の危機に立ち向かうべき時ではないだろうか。我が国の勇者も、こう申しておる。魔王の脅威は、ロムグールだけの問題ではない。ガルニア帝国、そしてこの大陸全ての国々にとっての脅威だ。この危機を乗り越えるため、一時的な休戦、いや、共同戦線を張ることを、私はここに正式に提案する」


 ブラント特使は、もはや何の反論もできず、ただ呆然と俺の顔を見つめるだけだった。


 やがて、彼は力なく首を縦に振った。


「……国王陛下のご提案……しかと、本国に報告させていただきます。魔王の件に関しましては、我が帝国も総力を挙げて情報収集にあたり……必要であれば、貴国と……その、連携も……視野に入れさせていただく……」

 その声は、もはや消え入りそうだった。外交交渉どころではない、という彼の本音が透けて見えた。


 こうして、ロムグール王国とガルニア帝国の外交交渉は、魔王復活の兆候という、誰も予想しなかった天変地異のような形で、事実上の中断、いや、新たな、そしてより巨大な戦いの序章へと突入したのだった。


 ブラント特使は、その後、まるで何かに追われるように慌ただしく王都を後にした。その背中には、もはやロムグールを恫喝しようという気概など微塵も感じられなかった。


 謁見の間に残された俺たちは、しばし言葉を失っていた。


「……陛下。魔王、でございますか……。エルヴァン要塞が……」

 バルカスが、苦渋に満ちた声で呟く。その顔には、かつて魔族と戦った経験を持つ者ならではの、厳しい覚悟の色が浮かんでいた。


「ああ。もしこれが真実なら、我々は、帝国との駆け引きなどよりも、遥かに大きな問題に直面することになる。リリアナ、直ちにエルヴァン要塞と連絡を取り、詳細な状況把握を急げ! 宰相、貴殿は国内の貴族と民衆に動揺が広がらないよう、情報統制と治安維持を。バルカス、騎士団に最大限の警戒態勢を敷かせろ!」

 俺は、矢継ぎ早に指示を飛ばす。前世で培った危機管理能力が、今、フル回転している。


 リリアナとバルカスは、俺の指示に力強く頷き、すぐさま行動を開始した。


 宰相イデンも、珍しく反論も皮肉も口にせず、静かに一礼して退出していった。


 その瞳の奥には、この国難をどう利用するか、あるいはどう乗り越えるか、新たな計算が始まっているのかもしれない。


 そして……。

「なあなあ王様、俺、本当に魔王見に行っていいのか? ステーキはその後でもいいけど、なんか、すっげーワクワクしてきたんだけど!」

 田中樹が、目をキラキラさせながら俺に詰め寄ってきた。


 俺は、そんな勇者の姿を見つめながら、深く、ふかーくため息をついた。

(……こいつが、本当に、何かの役に立つ日が来るのだろうか……? いや、今は、そんなことを考えている場合じゃない。だが、もし、万が一……)


 俺の胃は、もはや限界を超えて、何か別の次元の痛みを訴え始めていた。


 ロムグール王国の、そしてこの世界の運命は、風前の灯火なのかもしれない。


 だが、俺はまだ、諦めてはいない。





本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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