第六話:王都激震! ~老獪な宰相、不屈の老将、そして役立たずな勇者(外交デビュー戦)~
「はっ……! 大変な知らせが……! 隣国ガルニア帝国より、特使が参るとの連絡が……! それも、我が国に対し、極めて無礼な要求を突き付けてくる可能性が高いとの情報も……!陛下、帝国の密偵が、先日の『勇者召喚の儀』を何らかの手段で察知した可能性がございます……!」
王都への帰路、揺れる馬車の中でリリアナから告げられた衝撃的な報せに、俺、アレクシオス・フォン・ロムグールと、隣に座るバルカスはしばし言葉を失った。
ようやく得た頼もしい協力者との合流の喜びも束の間、早くも次なる試練が、それも国家の存亡に関わるような形で突き付けられたのだ。
(ガルニア帝国……! やはり来たか。勇者召喚の情報をもう掴んでいるだと? 帝国の諜報網、侮れんな……。このタイミングでの特使派遣、目的は単なる恫喝や要求だけではあるまい。召喚された勇者の質と、それに対する我が国の出方を探りに来た、と見るべきか……!)
俺の表情が険しくなるのを、バルカスは見逃さなかった。
「陛下、これは……穏やかではありませぬな。帝国は、我が国が勇者を召喚したことを嗅ぎつけ、その真偽と力を探りに来たものと推察されます。下手をすれば、戦の口実にもなりかねませぬぞ」
バルカスの声には、長年の経験からくる確信と、そして隠しきれない緊張感が滲んでいた。
「ああ、その通りだろう。リリアナ、特使の到着はいつだ?」
「はっ! 報告によれば、早ければ三日後、遅くとも五日以内には王都に到着するとのことです。早急に対応を協議せねばなりませぬ」
リリアナは、手綱を握りしめながら、必死の形相でそう答えた。
馬車は速度を上げ、俺たちは予定よりも早く王都へと帰還した。
城門では、リリアナの急使を受けて数名の近衛騎士が出迎えたが、その顔にも緊張の色が浮かんでいる。
俺たちは、休む間もなく国王執務室へと直行した。そこには、既に情報を聞きつけたのであろう、宰相イデン・フォン・ロムグールが、感情の読めない表情で俺たちを待っていた。
「……陛下、そしてバルカス卿。ご帰還早々、厄介な知らせが舞い込んできたようですな」
イデンの声は、いつも通り落ち着き払っていたが、その瞳の奥には鋭い光が宿っている。
「ああ。帝国特使の件だ。宰相、貴殿にも同席願いたい」
俺がそう言うと、イデンはわずかに眉を上げた。
「ほう。私に、でございますか? てっきり、陛下お一人で華麗に捌かれるものとばかり……」
その言葉には、明らかに皮肉と、俺の力量を試すような響きが込められていた。
「今回の交渉は、一筋縄ではいくまい。宰相の知恵も必要だ。だが……」俺は言葉を切ると、イデン、リリアナ、バルカスを順に見回した。
「基本的な交渉の主導権は、私が握らせていただく。そして、帝国が最も警戒しているであろう『勇者』を、あえてこの交渉の場に引きずり出す」
「なっ……陛下、本気でございますか!? あの勇者殿を、帝国特使の前に!?」
リリアナが、思わずといった体で声を上げる。
「陛下、それはあまりにも危険な賭けではございませんか? あの『勇者』殿が、帝国にどのような印象を与えるか……」
イデンが、初めて明確な懸念を口にした。
その表情は、いつものポーカーフェイスとは異なり、わずかにだが真剣みを帯びているように見えた。
「危険な賭けだからこそ、やる価値がある。帝国は、我が国の勇者の情報を得て、それを探りに来る。ならば、その勇者が、奴らの想像を遥かに超える『規格外の何か』であると思わせることができれば、最大の牽制になり得るのではないか? 」
「宰相閣下には、私がその『何か』を演出し、勇者を操る間、冷静に状況を分析し、いざという時のための『最後の砦』、そして交渉全体の『目付役』となっていただきたい。そして、バルカスには、我が国の武力の象徴として、その場に控えてもらう」
俺は、三人の顔を真っ直ぐに見据えて言い切った。
イデンは、しばらく黙って俺の顔を見つめていたが、やがてふっと息を吐いた。
「……よろしいでしょう、陛下。その道化芝居、どこまで続くか見届けさせていただきます。ただし、国益を著しく損なうと判断した場合は、このイデン、即座に介入いたしますぞ。よろしいですな?」
その言葉には、承諾と共に、明確な牽制が含まれていた。(上等だ。むしろ、その方がやりやすい)
「無論だ。バルカス、リリアナもそれで良いな?」
二人は、不安と決意が入り混じった表情で、しかし力強く頷いた。
「では、まずはバルカスに、我が国の『切り札』であり、同時に最大の『爆弾』でもある勇者殿の実態を、その眼で直接確認してもらうとしよう。リリアナ、勇者殿をこちらへ」
「……かしこまりました」
ほどなくして、執務室の扉が、ノックもそこそこに勢いよく開かれた。
「おー、王様、ただいまー! って、あれ? ジイさん二人もいんじゃん。さては、俺の歓迎会の打ち合わせでもしてたのか? さすが王様、話が分かるぅ!」
現れたのは、もちろん我らが勇者、田中樹だ。その手には、どこからか失敬してきたのであろう、焼き菓子が握られている。
バルカスは、その鋭い鷲のような目で、田中樹を頭のてっぺんから爪先まで、まるで珍獣でも観察するかのようにじろじろと眺めた。
宰相イデンも、眉一つ動かさず、しかしその瞳の奥で冷徹に分析しているのが分かる。
「……ほう。貴殿が、かの勇者イトゥキ・ザ・ブレイブハート殿か。噂はかねがね伺っておるぞ」
バルカスの声は、低く、そしてどこか遠い目をするような響きを帯びていた。
田中樹は、バルカスのその含みのある言い方に全く気づかず、むしろ得意げに胸を張った。
「おう! 俺がその超絶最強勇者様だ! ジイさん、なかなか見る目があるじゃねえか。俺の勇者オーラ、ビンビンに感じてるだろ? 特別に見せてやるよ、俺の華麗なる聖剣(ただの重い鉄の棒)捌きを!」
そう言って、腰の聖剣に手をかけようとするが、案の定、重すぎてびくともしない。
バルカスは、その一連の行動を黙って見ていたが、やがて、ふっと息を吐くと、俺の方に向き直った。
その顔には、もはや呆れや困惑というよりも、ある種の悟りに近いような、穏やかな(諦観に満ちた)表情が浮かんでいた。
「……陛下。この勇者殿は……まこと、『規格外』でございますな。私の長年の騎士人生においても、これほどまでに……予測のつかぬ存在に遭遇したのは初めてでございます。これは……確かに、帝国も対応に苦慮するやもしれませぬな」
その言葉は、最大限の皮肉と、そして深い、ふかーい諦観が込められているように聞こえた。
「だろう? 俺も毎日、その『規格外』っぷりに頭を悩ませている」
俺は苦笑するしかない。
「なんだよジジイ、俺の凄さがやっと分かったか! そうだ、俺は予測不能な最強勇者様なんだよ!」
田中樹は、バルカスの言葉を自分に都合よく解釈し、再び胸を張る。
宰相イデンは、その様子を黙って見ていたが、その口元には、ごく微かな、しかし確かな嘲笑が浮かんでいた。
そして、運命の帝国特使、ゲオルグ・フォン・ブラントが、王城の謁見の間に姿を現した。
玉座の俺の右隣にはリリアナ、左隣にはバルカスが控え、そして少し離れた場所には、宰相イデンが静かに佇んでいる。
そして、俺の足元には……なぜか丸くなって居眠りをこき始めている田中樹の姿があった。
リリアナが「重要な外交の場ですので、くれぐれも粗相のないように」と念を押した結果、「じゃあ寝てれば問題ねーだろ」という結論に至ったらしい。
……もう、何も言うまい。
「ロムグール国王アレクシオス殿に、我がガルニア帝国皇帝陛下よりの親書を、こうしてお届けに上がった。光栄に思うが良い。……ほう、本日は宰相閣下もご同席かな? ……ん?そちらで寝こけておられるのが、噂の『勇者』殿か? ロムグールの歓迎の流儀は、いささか独創的ですな」
ブラント特使は、玉座の俺たちを見渡し、特に眠りこけている樹の姿に眉をひそめながら、尊大な態度でそう言い放った。
(……初手からこれか。樹の奴、最高のタイミングで寝てくれたな。ある意味、計算通りか……いや、そんなわけない)
俺は内心で怒りを押し殺し、【絶対分析】を起動する。
「ブラント特使、遠路ご苦労であった。我が国は、古の盟約に従い、先日、救世の英雄を召喚した。それについては、隠すつもりもない。……少々、自由奔放な御仁ではあるがな。して、皇帝陛下からの親書の内容は?」
俺は、あくまで冷静に、そして国王としての威厳を保ちながらそう問いかける。
ブラント特使は、鼻を鳴らし、親書の内容を滔々と述べ始めた。その内容は、やはり無礼千万なものだった。
金銀穀物の献上、軍備縮小、外交権の委譲、そして……勇者の『査定』と、場合によっては帝国による『保護』
謁見の間は、水を打ったように静まり返る。
俺は、しばし沈黙した後、静かに口を開いた。
「……特使殿。それは、我がロムグール王国に対し、戦を仕掛けるという意味でよろしいかな? 我らが召喚した勇者を、帝国が『査定』し『保護』するとは、これ以上ない侮辱と受け取るが」
ブラント特使は、俺のその言葉に、せせら笑うように言った。
「戦? まさか。これは、偉大なるガルニア帝国が、弱小なる隣国ロムグールに対し、慈悲の心をもって『保護』を提案しているに過ぎん。特に、その『勇者』殿の力が未知数である以上、万が一暴走でもすれば、周辺諸国にとって迷惑千万。我が帝国が管理するのが最も合理的というもの」
(さて、どうしたものか……。ここで、あの爆弾をどう使うか……)
俺が思考を巡らせていると、不意に、足元で寝ていた田中樹が、大きな寝言と共にゴロンと寝返りを打った。
「んがー……ステーキ……もっと……よこせ……ZZZ……」
その瞬間、ブラント特使の顔が引きつった。
「こ、国王陛下……! さすがにこれは……! これが、貴国が頼る勇者の姿か!」
俺は、すかさず口を挟む。
「特使殿、ご容赦願いたい。我が国の勇者は、ご覧の通り、少々……いや、かなり型にはまらない。常識というものがあまり通用しないのだ。だが、それ故に、彼の力は未知数。先日も、我が国の騎士団が束になっても敵わなかった魔獣を、彼は……うたた寝から覚めたついでに、あくびをしながら一撃で……いや、これは余談でしたかな?」
俺は、大嘘をさも真実であるかのように語る。
「魔獣を……あくびをしながら一撃で……だと……?」
ブラント特使の目が、わずかに揺れる。
彼の脳裏には、目の前でだらしなく寝ている樹の姿と、今の俺の自信ありげな(ように見える)態度が結びつく。
「まさか、本当に……? この寝ぼけた小僧が、それほどの力を……? いや、ありえん……だが……」という疑念が渦巻き始めているようだ。
宰相イデンが、ここで初めて口を開いた。その声は、静かだが重みがあった。
「特使殿。我が国の勇者は、確かに常識外れやもしれませぬ。しかし、常識で測れぬ力を持つ者こそが、時に歴史を動かすということも、また真実。陛下は、その可能性に賭けておられるのです。そして、我々もまた、陛下のご意思を支える覚悟にございます」
その言葉は、俺への援護射撃か、それとも特使への牽制か。あるいは、その両方か。
バルカスも、重々しく頷く。
「うむ。勇者殿の真価は、戦場にて示されるもの。机上の空論でその力を推し量ろうなどとは、武人にあるまじき行為ですな」
(ナイスアシストだ、二人とも! これで特使はさらに混乱するはず……!)
ブラント特使は、俺、イデン、バルカス、そしていびきをかき始めた田中樹を交互に見比べ、その顔には明らかな動揺と焦りの色が浮かんでいた。
「……ふん。勇者がどうであれ、我が帝国の基本的な要求は変わらん。だが……『査定』については、一度持ち帰らせていただこう。ロムグール国王、賢明な判断を期待する」
ブラント特使は、そう言い捨てたが、その声には先ほどまでの絶対的な自信は消え失せていた。
「無論だ、特使殿。我が国も、民の平和を願っている。だが、不当な要求を呑むことはできん。改めて、こちらからも回答を用意しよう。数日のうちに、改めて会談の場を設けさせていただきたい」
俺は、時間稼ぎと、交渉の余地を残す提案をする。
ブラント特使は、しばらく俺の顔を睨みつけていたが、やがて小さく頷いた。
「……よかろう。だが、あまり待せるなよ。我が帝国の忍耐にも限界があるということを、ゆめゆめ忘れるな」
そう言うと、ブラント特使は、忌々しげに勇者を一瞥し、慌ただしく謁見の間を退出していった。
特使が去った後、謁見の間には、重苦しい沈黙と、そして勇者の暢気ないびきだけが響いていた。
やがて、バルカスが深いため息と共に口を開いた。
「……陛下。あの勇者……いやはや……。しかし、あの帝国特使の狼狽ぶり……あるいは、本当に、あの『規格外』ぶりは、使い方次第では武器になるやもしれませぬな」
その顔には、疲労と困惑、そしてほんの少しの呆れと、信じられないものを見たという驚愕が浮かんでいた。
リリアナも、扇で口元を隠しながらも、その目は俺に釘付けだ。
「陛下……まさか、あの勇者様の居眠りすらも、計算のうちだったと……?」
「ふっ……全ては、ロムグールの平和のためだ。時には、予想外の駒が盤面を、そして大国の認識すらも動かすこともある」
俺は、再びハッタリをかましつつ、内心では(心臓に悪いわ!寿命が何年縮んだことか! もう二度とごめんだ、こんな綱渡り! だが、田中が寝ててくれたおかげで、余計なこと喋らずに済んだのは、不幸中の幸いだったかもしれん……!)と絶叫していた。
宰相イデンは、静かに俺に一礼した。
「陛下。見事な『演出』でございました。帝国も、これでしばらくは迂闊な手出しはできなくなるでしょう。……ですが、根本的な解決には至っておりませぬ。次の一手を、早急に」
その言葉には、称賛でも非難でもない、ただ冷徹な事実認識だけがあった。
「…ん?もう終わったのか……?」
胃薬の消費量が、また一段と増えそうな予感が、俺の背筋を駆け巡った。ロムグール王国の外交は、こうしてとんでもない形で波乱の幕を開けたのだった。
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