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第四十八話:王の最終賭博

 

 エルヴァンの雪原を、鋼と肉がぶつかり合う鈍い音と、断末魔の絶叫が支配していた。


 戦場の中心で、二つの巨体が激しく衝突を繰り返している。


「おおおおおおっ!」


 老獅子バルカスの大剣が、必殺の威力を込めて“魔王”モルガドールの胴を薙ぐ。


 しかし、モルガドールはそれを意にも介さず、自らの戦斧の柄で受け止めた。


 ゴッ、と骨まで響くような衝撃。バルカスの腕が痺れ、体勢がわずかに崩れる。


「クハハハ! 小気味よい一撃よ、老兵! だが、その程度か!」


 モルガドールの戦斧が、返礼とばかりに横薙ぎに振るわれる。


 バルカスは咄嗟にバックラーで防ぐが、その巨体ごと数メートルも吹き飛ばされた。


 盾には巨大な亀裂が入り、もはや限界に近いことを示している。


 経験と技量では、バルカスが上回っている。


 だが、純粋な膂力と、魔族特有の強靭さという、絶対的な力の差が、老将をじわじわと、しかし確実に追い詰めていた。


 彼が必死に稼ぐ一秒一秒が、連合軍にとっての生命線だったが、それも尽きようとしていた。


「リリアナ、右翼の部隊が崩れかけている! 回復魔法を!」


「はいっ!」


 アレクシオスは、必死に戦況を立て直そうと指揮を執っていた。


 彼の隣では、リリアナが、その顔を蒼白にさせながらも、杖を振るい続けている。


 彼女の魔力も、もはや底が見え始めていた。


 アレクシオスたちがエルヴァンに到着し、開戦してからすでに数刻が過ぎようとしていた。


 救援に駆けつけた当初こそ、その勢いで敵陣の一部を崩すことに成功したが、敵の数はあまりにも多い。


 次から次へと湧いてくる魔物の波の前に、先遣隊の兵士たちは一人、また一人と倒れていく。


 グレイデン率いる要塞の残存兵と合流は果たしたものの、彼らもまた疲弊しきっており、戦況は泥沼の消耗戦と化していた。


(……ダメだ。このままでは、押し切られる)


 アレクシオスは、自らのスキル【絶対分析】を使い、戦況の未来を予測する。脳内に叩きつけられた数値は、無慈悲なまでに冷徹だった。


【戦況予測】

 現状維持の場合の友軍の勝率:2.1%

 予測される友軍の損耗率:95%(事実上の全滅)

 敵将“モルガドール”の討伐確率:0.8%


 数字が、彼の直感を裏付けていた。


 通常の戦術では、もはや勝利の可能性は皆無。


 このままでは、日が暮れる前に、味方は全滅するだろう。

 彼は、戦場を見渡した。


 バルカスが、膝をつきかけている。


 リリアナの呼吸が、荒くなっている。


 グレイデンは、鬼神のごとく戦っているが、その身体は無数の傷で覆われている。


 兵士たちの顔には、英雄的な覚悟と、隠しきれない死への恐怖が浮かんでいた。


(何か……何か、この盤面を、根底から覆す一手はないのか……!?)


 アレクシオスは、焦燥に駆られ、戦場の隅々まで視線を走らせた。


 そして、その視線が、自軍の後方、補給部隊が固まる一角で止まった。


 そこに、彼はいた。


 我らが勇者、田中樹。


 彼は、数人の衛兵に守られながら、荷馬車の影に隠れ、震える手で干し肉を頬張っていた。


「う、うるせーなー! まだ終わんねーのかよ! 腹が減って力が出ねーだろ! もっと持ってこい!」

 この期に及んで、彼はまだ食い物の心配をしていた。


 その、あまりにも場違いな光景を見た瞬間、アレクシオスの脳裏に、一つの、狂気じみた閃きが走った。


 帝都での、あの出来事。


 呪いの宝玉を、ステーキを温めるための鉄板代わりに使った、あの愚行。常識も、魔術の理屈も、全てを無視した、あの信じられない奇跡。


 そして、目の前の“魔王”モルガドール。


 彼は、圧倒的に強い。


 だが、その戦い方は、あまりにも実直で、駆け引きを知らない。


 ただ、己の力を信じ、正面から敵を粉砕することしか知らない。


 もし、そんな彼の前に、全く理解不能で、常識外れの存在を突きつけたら、どうなる……?


(……賭けるしか、ない)


 それは、これまでの全ての戦術、全ての常識を捨て去る、王として、いや、一人の人間として、決して踏み込んではならない領域の作戦だった。


 成功の保証などどこにもない。


 失敗すれば、ただの道化として、味方全員を無駄死にさせるだけだ。


 だが、このままでは、いずれにせよ全滅は免れない。


 ならば―――。


「伝令!」


 アレクシオスは、腹の底から声を絞り出した。その声は、自分でも驚くほど、落ち着いていた。


「荷馬車の影にいる、勇者イトゥキ殿を、丁重に、ここへお連れしろ。何があっても、決して粗略に扱うな。……今後の、我々の命運を握る御方だ」


「はっ!?」


 伝令は、王の意図が分からず、困惑の表情を浮かべる。


 次に、アレクシオスは、隣で必死に治癒魔法を唱え続けていたリリアナの肩に手を置いた。


「リリアナ」


「は、はい、陛下!」


「攻撃魔法はもういい。残った魔力の全てを使い、一つの幻影を作り出してほしい」


「幻影、でございますか……? この状況で?」


 リリアナの瞳が、いぶかしげに揺れる。


 アレクシオスは、彼女の目を見据え、その瞳の奥に、狂気と紙一重の、熱に浮かされたような光を宿して言った。


「ああ。天の神々が鍛え上げたとしか思えぬような、最も荘厳で、最も派手で、最も、黄金に輝く、馬鹿げた鎧の幻影をな」


「……へ、陛下……? ご正気で…?」


「ああ、正気だとも。これ以上ないくらいにな。そして、伝令兵を集めろ。我が軍で最も声の通る者たちをだ。彼らには、これから、一つの『物語』を語ってもらうことになる」


 アレクシオスは、再び戦場に視線を戻した。


 吹き飛ばされながらも、再び立ち上がり、「魔王」に立ち向かおうとするバルカスの、老いたる獅子の背中が見えた。


(すまない、バルカス。すまない、皆。俺は、これから、お前たちが命を賭して守ってきた、騎士の誇りも、戦場の理屈も、その全てを、一人の道化に委ねることにする)


 彼の唇が、微かに動き、誰にも聞こえない声で呟いた。


「―――我が王国が誇る、究極の最終兵器を、今、解き放つ」


 絶望の淵で、若き王は、盤上の全ての駒を犠牲にする覚悟で、最後の、そして最も狂った賭けに打って出ようとしていた。


 その作戦名は、後に、大陸の歴史に、畏怖と、そして畏敬と共に刻まれることになる。


【勇者デコイ・オペレーション】。


 その、前代未聞の作戦の幕が、今、静かに上がろうとしていた。

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