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第四話:最後の砦を求めて ~元騎士団長バルカスとの邂逅~

 


 勇者・田中樹が城下で引き起こした大騒動から数日。


ロムグール王国の国王執務室は、未だかつてないほどの量の書類と、俺、アレクシオス・フォン・ロムグールの深いため息で埋め尽くされていた。


 窓から差し込む陽光も、どこかこの国の行く末を暗示するかのように頼りない。


 隣では、リリアナが有能な秘書よろしく、テキパキと指示をこなし、報告書を分類してくれているが、それでも仕事は減るどころか、雪崩のように押し寄せてくる。


「……はぁ。やはり、圧倒的に人手が足りないな。信頼できる人間が、だ」


 俺は、積み上げられた羊皮紙の山の一角を崩しながら、思わず本音を漏らした。


 リリアナは、俺の言葉に同意するように小さく頷き、その美しい顔に憂いの色を浮かべる。


「おっしゃる通りです、陛下。現在、陛下が推し進めようとされている改革……食糧増産計画、貴族の不正調査、そして軍備の見直し。どれも喫緊の課題ではございますが、その実行を安心して任せられる者が、あまりにも……」

 そこまで言って、リリアナは言葉を濁した。言いたいことは痛いほど分かる。


 この国の上層部は、腐っているか、日和見主義で自分の保身しか考えていないか、あるいは単に実務能力が欠如しているかの、悲しいくらいの三択なのだ。


 リリアナのように、若く有能で、かつ国を思う心を持った人材は、まさに砂漠の中のオアシスと言っていい。


(まさにブラック企業時代のワンオペ状態再び、だな……。あの頃は、どんな無理難題も、最終的には俺一人の力技で何とかしてきた。だが、国の運営となるとそうもいかん。物理的に手が足りんし、俺一人で全てを把握し、的確な指示を出し続けるには限界がある。それに、あの頃はまだ「自分の仕事」という範疇があったが、今は国全体が俺の責任範囲だ。重すぎる……)


 おまけに、あの役立たず勇者、田中樹だ。


 あいつは相変わらず「勇者様なんだから、俺は何もしなくてもいいんだろ? 食事と娯楽だけ用意しとけ。あ、あと可愛いメイドもな!」と宣い、リリアナが(俺の血の滲むような思いつきと指示で)作成した『勇者の心得集・ロムグール王国編~これを読めば君も人気者!(ただし異世界限定)~』も、「字が多くて読む気がしねー。絵はねーのかよ、絵は」の一言で、枕代わりに使っているらしい。


 監視の騎士からの報告によれば、最近は部屋で「どうやったら楽して魔王を倒せるか、もしくは魔王と友達になれないか」ということばかり真剣に考えているようだ。……いっそ、魔王と友達になって、二人でどこか遠くへ行ってくれないだろうか。


「特に軍事だ。隣国ガルニア帝国は、依然として国境付近で不穏な動きを見せている。いつ本格的な侵攻が始まってもおかしくない状況だというのに、我が国の騎士団は……士気も練度も低いと言わざるを得ない。先日提出された『対ガルニア帝国防衛計画(笑)』に至っては、敵が攻めてきたら『勇者様がなんとかしてくれるので大丈夫です!』の一文で終わっていたからな。作成者を問いただしたら、『勇者様なら、きっとすごい魔法で一瞬ですよ!』と目を輝かせて言っていた。……もうダメだ、この国の軍部は」


 俺は、先日目を通した騎士団の報告書(と呼ぶのもおこがましい落書き)を思い出し、再びズキズキと痛み始めたこめかみを押さえる。


 騎士団長をはじめとする上層部は、先代王に取り入ってその地位を得た者たちばかりで、実戦経験も乏しく、ただ威張り散らし、贅沢三昧に明け暮れているだけ。


 これでは、いざという時に民を守れるはずがない。民を守れない王など、存在する意味がない。


「……陛下。あるいは、あの方にご協力をお願いするという手も……ございますが……」

 リリアナが、何かを思いついたように、しかしどこか躊躇いがちに口を開いた。


 その表情には、期待と不安が複雑に絡み合っている。


「あの方?」


「はい。先代陛下に疎まれ、数年前に騎士団長の座を追われ、現在は引退生活を送っておられる……バルカス様です」


「バルカス……?」

 その名を聞いた瞬間、俺の脳裏に、転生したアレクシオスの記憶の断片が、まるで雷に打たれたかのように鮮明に蘇ってきた。


 厳格な顔つき。


 しかし、その瞳の奥には燃えるような忠誠心と、民を思う深い優しさ、そして何よりも公正さを秘めた、五十代くらいの壮年の男。


 ロムグール王国最強と謳われ、その名を聞けば敵国の将も震え上がったという元騎士団長。


 若い頃から数々の武勲を立て、その清廉潔白な人柄と卓越した指揮能力で、騎士団員だけでなく、民衆からも「ロムグールの盾」として厚い信頼を寄せられていた人物。


 ……しかし、そのあまりに実直すぎる性格故に、先代王の贅沢三昧や腐敗した政治に対し、幾度となく諫言を繰り返した。


 その結果、先代王の不興を買い、さらには私腹を肥やしたい奸臣たちの讒言によって、事実上追放される形で騎士団を去った、と。


(バルカス……! そうか、そんな人物がいたのか! まさに、今の俺が求める人材そのものではないか!)

 王城の書庫には、彼の輝かしい戦歴や、彼が騎士団長時代に行った訓練改革に関する記録が残っていたはずだ。


 それらの記録に触れた時、【絶対分析】が限定的に彼の情報を読み取っていたのかもしれない。


 リリアナから聞くバルカス殿の人となり、そして俺の記憶の断片に残る彼の姿、それらの情報を総合すれば、その性格は「忠義に厚く、一度信じた主君には命を捧げる。ただし、不正と怠惰を極度に嫌う」といったところだろうか。


 ならば、俺が誠意を見せ、本気で国を変えようとしていることを示せば、あるいは……。


「リリアナ、そのバルカス殿は、今どこにおられるのだ?」

 俺は、思わず身を乗り出して尋ねた。


 声が上ずってしまったかもしれない。


「確か、王都から馬車で数日かかる、西の辺境にある名もなき小さな村で、ご家族と共に静かに暮らしておられると聞いております」

 視線を俺から外した後、俺の目を改めて見据える。


「ですが陛下、バルカス様は先代陛下との間に深い確執が……。そして、陛下に対しても、決して良い感情は抱いておられないかと……。なにせ、バルカス様が更迭された後、その後釜に座ったのは、現在の……お世辞にも有能とは言えない、陛下のイエスマンであった現騎士団長なのですから」

 リリアナは、期待と不安が入り混じった表情でそう言った。


 その瞳には「本当に大丈夫でしょうか、陛下?」という問いかけの色が浮かんでいる。


(なるほどな……。俺も、先代王と同類、いや、それ以上に腐敗を助長した張本人と見なされていてもおかしくないわけか。むしろ、その可能性の方が高いだろうな、あの評判では。……しかし、だからこそ、だ)


 俺は腕を組んで考え込む。確かに、ハードルは高いかもしれない。


 だが、この国の現状を考えれば、そんなことを言っている場合ではない。それに、この状況は、ある意味で俺の「芝居」の信憑性を高めるチャンスでもある。


「リリアナ。そのバルカス殿に、俺が直接会って話をしたい。いや、必ず会わねばならん。何としても、彼の力を借りたいのだ」

 俺の言葉に、リリアナは驚いたように目を見開いた。


「陛下、本気でございますか? バルカス様は、ご存知の通り、岩のような頑固者としても有名です。一度引退した方が、そう簡単に首を縦に振るとは……。ましてや、陛下自らが辺境の村まで足を運ばれるなど、前代未聞でございます」


「ああ、本気だ。今の俺には、彼の力が必要不可欠だ。それに……」

 俺は、不敵な笑みを浮かべてみせる。(これもハッタリの一環だ! だが、半分は本気だ!)


「『以前の俺』ならば、確かに門前払いどころか、会うことすら叶わなかったかもしれんな。だが、今の俺は違う。そして、なぜ俺が『以前の俺』を演じていたのか、……その真意と、この国を立て直すという俺の覚悟を伝えれば、あるいは彼も、あのバルカス殿ならば、きっと理解してくれるはずだ」


 リリアナは、俺のその言葉に、またしても「陛下の深謀遠慮……! バルカス様の性格までお見通しの上で……!」と目を潤ませながら輝かせた。


 もう、この流れはお約束だな。


 彼女の中では、俺はとんでもない策士で、全てを計算し尽くしている超絶有能な王になっているらしい。


(本当にそうなら、こんな国が傾くまでやっちゃだめだろ……。スキル様々だな)


 その誤解が、今の俺の唯一の精神安定剤かもしれない。


(実際、バルカスほどの人物なら、直接会って【絶対分析】でその人間性の深層を見抜き、誠意をもって頼めば、あるいは……いや、それだけでは足りないかもしれん。俺自身の覚悟と、この国をどうしたいのかという具体的なビジョンを、明確に示す必要がある。前世で、どれだけ無茶な要求をしてくる取引先を、あの手この手で説得してきたと思っているんだ。あの経験が、こんなところで活きる日が来るとはな……)


「それに、先代王に疎まれた人物を、この俺が再び登用するとなれば、腐敗した貴族どもへの良い牽制にもなる。彼らが俺をどう見ているかは知らんが、先代とは違う、いや、かつての俺とも違うということを見せつけてやらねばならん。宰相閣下も、さぞ驚かれることだろうな。面白い見世物になるだろう?」

 俺は、わざとイデンの名を口に出してみる。


 あの老獪な宰相のことだ、俺の行動一つ一つを注視し、その意味を探ろうとしているに違いない。


 ここで一つ、予想外の一手を打っておくのも悪くない。奴の反応も楽しみだ。


 リリアナは、俺の言葉に深く頷いた。


「確かに……バルカス様が復帰なされば、騎士団の士気は格段に上がり、腐敗貴族も迂闊な真似はできなくなるでしょう。そして何より、民衆が陛下をより一層支持することに繋がります。……陛下、このリリアナ、バルカス様との面会の手筈を、責任をもって整えさせていただきます」

 彼女の声には、確かな決意が宿っていた。


 どうやら、俺の「芝居」と「覚悟」は、彼女の心を完全に掴んだらしい。


「頼む、リリアナ。ただし、これは極秘に進めてくれ。宰相や他の貴族たちに嗅ぎつけられる前に、俺とバルカス殿だけで、腹を割って話をしたい。お忍びで行くことになるだろうから、最小限の供回りも手配してくれ」


「かしこまりました。必ずや、陛下のご期待に応えてみせます。……陛下、道中お気をつけください。そして、必ずや吉報を」


 リリアナが退出した後、俺は一人、執務室で地図を広げた。


 ロムグール王国の小さな国土。そして、そのすぐ隣に広がる大国ガルニア帝国。


 その脅威は、日増しに現実味を帯びてきている。


(バルカス……か。彼が味方になってくれれば、百人力だが……。まずは、会ってもらえるかどうかだな。いや、会ってもらう。そして、必ずや説得してみせる)


 数日後。俺はリリアナが手配してくれた最低限の護衛と共に、質素な馬車に揺られ、バルカスの隠棲する村へと向かっていた。


 道中は、お世辞にも良いとは言えない悪路で、転生して初めて体験する長時間の馬車の旅は、俺の腰と尻に深刻なダメージを与えつつあった。


「くっ……やはり、インフラ整備も急務だな……。こんな道では、物資の輸送もままならんだろう……」

 小さく呻きながら、俺は馬車の窓から見える寂れた風景に眉をひそめる。


 道の両脇には、痩せた土地と、手入れの行き届いていない畑が広がっていた。


 これが、我が国の現状なのだ。


「陛下、まもなくバルカス様の住まう村に到着いたします」

 御者席から、護衛の騎士の声がかかる。


 俺はゴクリと唾を飲み込み、緊張で少し汗ばんだ手を握りしめた。


 やがて馬車は、本当に小さな、質素な家々が数えるほどしかない村に到着した。


 村の入り口で馬車を降り、リリアナから聞いていたバルカスの家へと向かう。


 それは、村の中でも特に簡素な、しかし掃除の行き届いた小さな家だった。


 庭先では、鶏が数羽、のんびりと土をついばんでいる。


 俺は、意を決して家の扉を叩いた。数度のノックの後、ギィ、と古びた木の扉が開く。


 現れたのは、年の頃は五十代半ばだろうか、筋骨たくましい、しかしどこか疲れたような影を宿した壮年の男だった。


 短く刈り揃えられた白髪混じりの髪、鋭い鷲のような眼光、そして、顔に刻まれた幾筋かの深い皺。


 リリアナから見せてもらった肖像画や、王城の記録で見た姿よりも、幾分老け込んだように見えるが、その佇まいには隠しきれない武人の風格が漂っている。


 間違いなく、記憶の中の、そして俺が求めるバルカスその人だった。


(……来た。ついに、会えたな。まずは、この目で直接見て、そして【絶対分析】で確かめさせてもらうぞ、バルカス殿……! あなたが、本当に俺の、この国の力になってくれる人物なのかどうかを!)

 俺は、目の前の男に意識を集中し、静かに【絶対分析】のスキルを発動させた。


 彼は、俺の姿を一瞥すると、その鋭い目に一瞬、驚きと不審の色を浮かべた。


「……何の御用かな、旅の方。このような辺鄙な村に、それもこのような立派な身なりの方が訪ねてくるとは珍しい」

 バルカスの声は、低く、そして重々しかった。


 その声には、長年戦場を駆け巡ってきた者特有の凄みと、そしてどこか世を拗ねたような、諦観にも似た響きがあった。


 彼は、俺が国王アレクシオスであることには気づいていないようだ。


 お忍びで来たのは正解だったかもしれない。


 脳内に、【絶対分析】による情報が流れ込んでくる。


【名前】バルカス・オーブライト

【称号】元ロムグール王国騎士団長、隠棲の老獅子

【職業】元騎士(現在は半農半猟)

【ステータス】

 ** HP:280/280 (全盛期:450)**

 ** MP:50/50 (全盛期:80)**

 ** 筋力:A (未だ衰えぬ剛腕)**

 ** 耐久力:A- (長年の無理が祟り、古傷が痛むことも)**

 ** 素早さ:B+ (年齢による衰えはあるが、常人以上)**

 ** 知力:B (戦術眼は健在)**

 ** 幸運:C (不遇な晩年を送る)**

【スキル】

 ** ・剣術(極意)**

 ** ・指揮(Aランク)**

 ** ・不屈の精神**

 ** ・真贋眼(人や物事の本質を見抜く。ただし、対象への先入観が強い場合は曇ることも)**

 ** ・頑固一徹(一度決めたことは曲げない)**

【現在の心境】

 ** 王家への不信感:極大。特に先代王と現国王アレクシオスに対しては強い嫌悪感。**

 ** 国への憂い:大。このままでは国が滅びると危惧している。**

 ** 諦観:自身の無力さと、世の不条理に対する諦め。**

【総合評価】適切な機会と動機が与えられれば、再び獅子奮迅の働きをする可能性を秘めた忠臣。ただし、心を開かせるには相当の覚悟と誠意が必要。


(……やはり、そうか。俺への不信感は相当なものだ。だが、国を憂う気持ちは誰よりも強い。そして、まだ諦めてはいない……!)

 俺は、情報を胸に刻み込み、改めて目の前の男に向き直った。


「突然の訪問、失礼する。私はアレクシオス。……アレクシオス・フォン・ロムグールだ。元騎士団長、バルカス殿にお会いしたい」

 俺は、あえて自分の名を名乗った。


 その瞬間、バルカスの顔から表情が消え、その瞳の奥に、凍るような冷たい光と、そして隠しきれない侮蔑の色が宿った。






本日中に10話投稿します。

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Xからきました。 ブラックからの転生でしかも勇者はポンコツが別にくるという設定が斬新でした。 ここからの内政で主人公がどう巻き返していくのかとても楽しみです。 大長編なので続きはまたゆっくり読ませて頂…
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