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第四十話:慣れた匂い、新たな罠

 アレクシオス国王率いる先遣隊が、北へ向けて過酷な行軍を続ける、その数キロ先。


 吹雪が荒れ狂う、竜哭山脈の険しい山道に、四つの影があった。


 彼らは、吹雪そのものに溶け込むかのように、音もなく、そして熟練の狩人のように気配を殺して雪深い森を進んでいた。


 新生『闇滅隊』。彼らにとって、この光の届かぬ戦場こそが、この一年半、繰り返し身を投じてきた日常だった。


「……止まれ」


 先頭を行くファムが、すっと手を上げて合図する。


 彼女の視線は、前方の谷底で無残な残骸と化している橋に向けられていた。


「ちっ、また奴らの匂いだ。懲りねえ連中だな」


 ファムは、慣れた様子で吐き捨てる。驚きはない。ただ、冷たい怒りだけがあった。


「間違いない。これは、腐食系の呪詛の痕跡だ。半年前、西の港町で船を沈めたのも、同じ術だろう。相変わらず、後始末が雑なことだ」

 砂漠の民ナシルが、地面に残された微かな魔力の残滓に触れ、冷静に分析する。


「……邪気の流れが、風上に集まっている。複数だ。この歪み、この感覚…東の国境でやりあった、『無言の手』の一派か」

 ヤシマの剣士、ハヤテとシズマが、霊刃の柄に手を置きながら呟く。


 彼らは、これまでに幾度となく、黒曜石ギルドの様々な派閥と刃を交えてきた。


 敵の使う邪気の「癖」ですら、判別できるようになっていた。


 数時間後、彼らは険しい岩壁を登り切り、眼下に広がる光景に息を呑んだ。


 山間に拓けた盆地に、複数の天幕が張られ、十数名の黒いローブの者たちが、何か巨大な魔法陣を中心に、不気味な詠唱を続けていた。


「……天候操作魔術。それも、山一つを崩すほどの規模だ。雪崩を起こして、王様の軍隊を谷底に埋める気か」

「王様たちが、あの谷を通るのは、明日の夜明けのはずだ。時間がないぜ…!」

 ファムの顔に、焦りの色が浮かぶ。


 作戦は、夜半過ぎ、吹雪が最も激しくなった頃に開始された。


 ファムが陽動の煙玉を投げ込み、敵の警備兵の半分以上が釣られてそちらへ向かう。


「―――今だ!」

 ファムの合図と共に、四つの影が、風に乗ってキャンプへと滑り込む。


 目標は、魔法陣の中心で詠唱を続ける、五人の術者。


 だが、彼らが術者に迫ろうとした瞬間、魔法陣の周囲の雪が盛り上がり、中から黒装束を纏った四人の「影の番人」が音もなく現れ、その行く手を阻んだ!


「ちっ、護衛がいたか!」

 ファムが舌打ちする。


「ファムは術者を!ナシルは援護を!番人は、我らで断つ!」

 ハヤテが叫ぶや否や、二人の番人に向かって疾風のごとく突進する。


 彼の霊刃が、嵐のような連続斬撃となって番人の一人に襲いかかる。


 番人は、特殊な形状の短剣で巧みにそれを受け流すが、霊刃が触れるたびに、その身を覆う邪気の鎧が火花を散らして削れていく。


「見えぬ罠に注意じゃ!」

 ジャファルの声が、司令室の水晶からではなく、ナシルが持つ通信魔石から直接響く。


 ナシルは『真実の鏡』の欠片をかざし、術者たちが足元に張った見えざる呪詛の罠を看破し、味方にその位置を叫んで知らせる。


 ファムは、その援護を頼りに、罠を飛び越え、番人の一人をすり抜けて術者の一人へと肉薄する。


 しかし、術者は詠唱を続けながらも、懐から取り出した呪符を投げつけた。呪符は黒い蛇と化し、ファムに襲いかかる!


「うっとうしい!」

 ファムは、投げた短剣で蛇の頭を壁に縫いつけ、その隙にもう一人の術者へと狙いを変える。


 一方、シズマは、残る二人の番人と静かに対峙していた。


 彼は動かない。


 ただ、吹雪の中で、敵の呼吸、筋肉の動き、そして殺気の流れを、研ぎ澄まされた感覚で読み取っていた。


 一人の番人が、痺れを切らして飛びかかってきた。


 その動きは、常人ならば目で追うことすら叶わぬ速さ。


 しかし、シズマの目には、その全ての軌道が見えていた。

 番人の短剣が、シズマの喉元を薙ごうとした、まさにその刹那。


「―――遅い」

 シズマの身体が、ふっと消えたかのように見えた。次の瞬間には、彼は番人の背後に立っていた。


 その手にした霊刃が、静かに鞘に収められる。


 番人は、何が起きたか理解できぬまま、その場に崩れ落ちた。


 一撃必殺。それこそが、シズマの剣だった。


「儀式を止めるぞ!」

 ハヤテが、激しい打ち合いの末に番人の体勢を崩し、その胴を深々と切り裂く。


 その瞬間を、ファムは見逃さなかった。


 最後の番人を巧みな足捌きでいなし、その勢いを利用して、儀式の中心にいるリーダー格の術者へと、一直線に躍り出た!


「もらった!」

 ファムの短剣が、術者の無防備な背中へと突き立てられる―――はずだった。


 だが、術者の身体から、おぞましい量の邪気が噴き出し、ファムの身体を弾き飛ばした!


「ぐっ……!?」


「……邪魔が、入ったか」

 リーダー格の術者が、ゆっくりと振り返る。


 その顔は、狂信的な光に満ちていた。魔法陣の輝きが、最高潮に達しようとしていた。


「させるか!」

 ハヤテとシズマの二人が、同時に地を蹴った。


 二振りの霊刃が、左右から、術者を挟み撃つように迫る。

「無駄だ!我らが大導師様に、そして、新たなる夜明けに、栄光あれ……!」

 男がそう叫び、自らの心臓に呪詛の短剣を突き立てようとした、その時だった。


 二人の霊刃は、男ではなく、その足元の魔法陣の、二つの核となっていた魔石を、寸分の狂いもなく正確に貫いていた。


 パリンッ!


 甲高い音と共に魔石が砕け散り、魔力の供給源を失った魔法陣が、断末魔のような光を放って大爆発を起こした。


 爆風と雪煙が晴れた後、そこに敵の姿はなかった。狂信的な術者たちは、儀式の失敗と共に、黒い塵と化して消え去っていた。


「くそっ、また自決かよ!こいつら、絶対に口を割らねえ!」

 ファムの悪態が、空しく吹雪に溶ける。


 天幕を捜索するが、そこには、ほとんど何も残されていなかった。


「待て、これは……」

 ナシルが、自決したリーダー格の術者がいた場所から、焼け焦げた羊皮紙の断片を拾い上げた。


 そこには、暗号化された、いくつかの地名と数字が記されているだけだった。


「……手掛かりは、またこれだけか。だが、ないよりはマシだ」

 ファムは、その羊皮紙を慎重に懐にしまうと、眼下に広がる、今は静けさを取り戻した谷間を見下ろした。


「……まあ、王様の寝床が、雪崩で潰されることはなくなったな。仕事は、果たしたってことだ」


 闇滅隊の、数えきれない戦いの一つは、こうして終わった。


 敵の計画は阻止したが、その本体に近づくことはできず、またしても尻尾を掴んだだけ。


 その事実は、彼らの心に、勝利の味ではなく、終わりの見えない戦いへの、静かな焦燥感を刻み付けていた。


 四人は、手に入れた、あまりにも小さな手掛かりを手に、再び吹雪の中へとその姿を消していった。


 姿を消していった。

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