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第二十八話:皇帝の謁見、そして究極の二択

 

 ガルニア帝国の帝都は、まさに大陸の覇者の心臓と呼ぶにふさわしい威容を誇っていた。


 磨き上げられた白亜の石畳はどこまでも続き、天を突く壮麗な建築物の数々が、その圧倒的な国力と技術力を無言で誇示している。


 そして、街路を行き交う銀甲冑の帝国騎士団は、その一糸乱れぬ動きと、一人一人が放つ精強な気配で、ロムグール騎士団とは比較にならぬほどの威圧感を放っていた。


 バルカスは、物々しい護衛に囲まれながら、帝都の中央に聳える皇帝の居城、「天穹宮てんきゅうきゅう」へと向かう馬車の中で、何度目か分からぬ深いため息をついた。


 かつてはロムグール最強と謳われ、敵国の将兵を震え上がらせたこの老将も、今はただ一人の、どうしようもない小僧の守役に成り下がっている。


 その隣では、当の正使、田中樹が「なあなあジジイ、帝国の姫ってやっぱ美人揃いなのかな?俺、ハーレム作るなら最低でも10人は欲しいんだけど!」などと、能天気なことを口走っていた。



(……陛下。アレクシオス様。この老骨、もはや限界やもしれませぬ。千の魔物と対峙する方が、どれほど気楽であったことか……)


 天穹宮の内部は、バルカスの想像を絶する壮麗さだった。


 黄金の装飾、壁一面の巨大な絵画、そして天井から吊り下げられた、数千の魔晶石が輝くシャンデリア。その一つ一つが、ロムグール王国の国家予算数年分に匹敵するのではないかと、彼は本気で考えた。


 やがて、謁見の間へと続く巨大な扉の前で、バルカスは樹の肩を掴み、最後の、そしておそらくは無駄であろう念を押した。


「勇者殿。よいか、これより皇帝陛下に謁見申し上げる。いかなることがあっても、決して口を開いてはなりませぬぞ。ただ、そこにいるだけで良い。良いな?」


「ちぇっ、分ーってるよ。腹減ったけど、黙ってりゃいいんだろ。まあ、俺ほどのオーラがあれば、黙ってても皇帝の方がビビってひれ伏すだろうけどな!」

 その根拠のない自信に、バルカスの胃がキリリと痛んだ。


 重々しい扉が開かれる。


 その先にあったのは、途方もなく広大な謁見の間だった。磨き上げられた床は鏡のように一行の姿を映し、遥か奥の玉座には、一人の老人が鎮座していた。


 皇帝コンスタンティン・デ・ガルニア。


 その老いた瞳は、侵入者を値踏みするかのように鋭く、そして底なしの深淵を湛えている。


 バルカスは、長年の戦場での経験から、肌で感じ取っていた。


 この老人は、ただの王ではない。獲物を前にした、狡猾で、そして冷酷な捕食者そのものだと。


 一行が所定の位置で深々と頭を下げると、皇帝の、静かだがよく通る声が、謁見の間に響き渡った。


「……面を上げよ。ロムグールの使節団よ。長旅、ご苦労であった」

 バルカスが顔を上げると、皇帝の視線は、自分ではなく、隣で「うわー、すっげー広い。ここでサッカーできんじゃね?」などと、場違いな感想を小声で漏らしている田中樹に、真っ直ぐに注がれていた。


「して、そなたが、噂の勇者イトゥキ・ザ・ブレイブハートか。辺境の地で死せる大地を蘇らせるほどの奇跡を顕現させたと、我が配下より報告を受けている。だが、同時に、国境ではステーキを要求し、道中では不平不満を垂れ流していたともな。実に、興味深い矛盾だ」

 その声には、感情の起伏が全く感じられない。


 だが、それ故に、不気味なほどの圧力を感じさせた。


「おう! 俺がその勇者様だ! あんたが皇帝か。なかなか良い趣味してんじゃん、この城。で? 宴会の準備はできてんだろーな? 俺、もう腹ペコで限界なんだぜ?」

 樹は、臆するどころか、まるで近所のおっさんにでも話しかけるかのように、不遜な態度でそう言い放った。


 バルカスの血の気が引いた。「この無礼者めが!」と叫ぶよりも早く、皇帝は静かに手を上げてそれを制した。


 そして、その口元に、初めて微かな笑みを浮かべた。


 それは、獲物を見つけた蛇のような、冷たく、そして計算高い笑みだった。


「……よかろう。勇者の空腹を満たすのも、一興。だが、その前に、そなたの『器』、そして『聖性』とやらを、この目で直接、確かめさせてもらおうか」


 皇帝がそう言って指を鳴らすと、二人の侍従が、恭しく二つの盆を使節団の前に運んできた。


 一つの盆の上には、これ以上ないほど完璧に焼き上げられた、巨大な霜降り肉のステーキ。滴る肉汁が宝石のように輝き、芳醇な香りが謁見の間全体に広がる。


 樹の喉が、ゴクリと大きく鳴ったのを、バルカスは横目で見て絶望的な気分になった。


 そして、もう一つの盆の上には、禍々しい紫黒の光を放つ、拳ほどの大きさの不気味な宝玉が置かれていた。


 それは、バルカスの歴戦の勘が「危険だ」と、警鐘を乱れ打つほどのおぞましい邪気を放っていた。


「勇者よ」皇帝の声が、再び響く。


「その盆の上なるは、我が帝国が誇る最高の料理人が、最上の素材を用いて焼き上げた、至高のステーキ。そして、もう一方の盆の上なるは、我が国の辺境を蝕む『呪いの元凶』。この宝玉が発見されてより、かの地は作物が育たぬ『枯れ病』に苦しめられている。いにしえの怨念でも吸い上げているのか、高位の神官でさえも近づくだけで正気を失う代物だ」


 皇帝は、そこで一度言葉を切り、面白そうに目を細めて、樹を見つめた。


「さあ、選ぶが良い、『聖勇者』殿。目の前には、そなたが渇望する『至高の美食』と、罪なき民を苦しめる『元凶たる呪い』がある。真の勇者であれば、自らの欲望よりも、民の救済を優先するのは当然の理。そのどちらに手を伸ばすかで、そなたの、そしてロムグール王国の真価が、明らかとなろう」


 その言葉は、あまりにも残酷で、そして完璧な罠だった。


 もし樹がステーキに手を出せば、彼はただの食い意地の張った愚か者であると、この帝国の中心で証明することになる。「聖勇者」の伝説は地に堕ち、ロムグール王国は大陸中の物笑いの種となるだろう。


 だが、もし呪いの宝玉に手を出せば、その強大な邪気に当てられ、どうなるか分からない。もし、何もできなければ、それもまた彼の無力さの証明となる。


 バルカスは、顔面蒼白になり、絶望に目を見開いている。彼には分かっていた。勇者という男が、この究極の二択を前に、どちらを選ぶかなど、火を見るより明らかだったからだ。


(終わった……。アレクシオス様、申し訳ございません。この老骨、もはや万策尽きました……)


 謁見の間の全ての視線が、勇者一人に注がれる。


 樹は、キラキラと輝くステーキと、不気味に脈動する黒い宝玉を、交互に、何度も見比べた。その口からは、一筋のよだれが垂れている。


 やがて、彼は意を決したように、ごくりと喉を鳴らし、そして、ゆっくりと、震える手を、片方の盆へと伸ばした。


 ロムグール王国の外交の成否は、今、この男の、ただ一つの選択に委ねられていた。

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